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「祈年祭の時、来てただろ、女なのに『父親』。
あれは勿論、実の父じゃない。
実の父は俺が小さい頃に死んだよ。優しい人だった記憶はうっすらあるけど、何分、物心がついたかどうかって時分だ。あの大きな手のひらが果たして父だったか。
父は医師をやっててさ。大きな病院を設立した院長だった。セゴナ中央医学部附属病院って知ってるか? まあそれなりに聞いたことはあるよな。そこの院長だ。偉大すぎるくらいに偉大だった。
父が医療の門戸を叩いたのは、そもそも、父は幼少の頃から症例のない難病持ちで苦しんでたかららしい。自分のような苦しむ人を一人でも救いたい。そんな一心から必死に勉学に励んでたんだって。
母は父の患者だった。同じ病気持ちだった。症例のない病気と思っていたら、目の前に同じ病魔に蝕まれた女が現れたんだ。父は母を一目見た時、この子を治すために自分が医者となるのは必然であり運命だった、と理解したそうだよ。
献身に向き合う父に、母は少しずつ惹かれていったらしい。立場が立場だけにお互いに葛藤や周囲の軋轢はあっただろうが、二人が選んだ選択としては、まあ、俺が産まれたことから明らかだよな。
父は歳を経るにつれ弱っていく身体に鞭打ち、自らを実験台にすることによって、ついに母を根治させたんだ。
俺が覚えている父は、大病院の病床で、すっかり皮と骨ばかりになった手を、それでも慈しむように俺を撫でてくれた、その熱さくらい。顔よりもそんなことばかり覚えてるのも変な話だよな。
はたして、父は遺すものをしっかり遺した上で、死んでいったんだ。
――少し話は変わって。
母は昔っから、それこそ病気の身ながら、かなり愛嬌と優しさに包まれた人で。それはもう、モテたそうだ。色んな男が寄ってきた、と母の友達から教わったことがある。まあ、病弱で細身ないつ消えていくかも分からぬ少女、なのにいつも笑顔は絶やさず優しい。そんなの、男の庇護欲湧くよなーって思う。息子だから母親のそんなとこ、理解したくねえって気持ちが湧くけど。
その中で、かなり仲のいいやつがいたんだ。
まー、そいつは一方的な恋慕を母に抱いていたんだって。想って想って、母の身を誰よりも案じて。自分こそ、この子を終生守り切る騎士になるんだと。拙く淡くも強い恋だよな。
それほどの相手が、自分以外の相手と恋をして結ばれたとあったら、まあ、心中穏やかなはずもないよな。
それでも母の身を案ずるなら引くしかなかった。父は権威ある医師だったし、何より、その病気との付き合い方は誰よりも知っている。その気持ちを誰より理解できる。心身ともに支えられる、唯一の人間だったんだ。もちろん、『そいつ』以上に。
さて。父と母はかなり歳の差がある。出会った時、父は五十二歳、母は七歳だったらしい。
……二人とも。引いたような顔をするんじゃない。俺だって色々と衝撃的だったんだよ。多感な時期にそんな話聞かされてみろ。〈グレる〉わ。ってか〈グレて〉たわ。
そして、父には前妻がいた。こっちもこっちで早世したらしいが、詳しいことは知らん。その前妻との間に出来た子がいて、その更に娘。まあ、孫だよ、セゴナの男が父になる平均年齢、二十歳。五十なら十歳前後くらいの孫がいても、そこはそんな不自然じゃないよな。
母に恋慕していた『そいつ』。
そいつの正体は、父の孫なんだよ。
歳が近いから話し相手になってくれ、と父が母と顔合わせさせたのが成り立ちらしい。一目見ただけで、仲良くなれそうってお互いに感じたそうだよ。その時点では友情でなく恋慕だったのは『そいつ』の方だけだったっぽいけど。
で、孫っつったけど。その孫、女なんだよ。
……めんどくせえ、みたいな顔すんな。
父が死んでしまえば、母と、俺と、母が胎内に残した子が残った。
そんな俺たちの一家を、その孫娘は、一手に引き受けた。……そうして紆余曲折を経て母は、旦那の孫娘であり、親友として絆を深めてきた女と再婚した。
サクラにはちょっと馴染みないだろうけど、セゴナは結婚する相手の性別、人数は問わないんだ。同性だろうが結婚できるし、一対一でないといけないこともない。複数対複数なんて、蜘蛛の巣みたいな家系図になる一族だって現存してる。本人たちが結ばれたいと思った相手と自由に契れる。それでも基本は男女の一対一だけどさ。まあ、制度としては可能なわけだ。
それで、結婚の際に孫娘は『夫』という立場を選んだんだ。
……その孫娘、嫉妬深くて。ずっと、母の周りにいる男を攻撃し続けた。番犬みたいなものか。自分たちがいればそれでいい、みたいな、愛情が重い女で。だから、そんな親友と結婚した祖父を、本気で憎んだ。憎んで、憎んで、憎しみぬいて。祖父が遺していったもの――いや、孫娘にとって、祖父によって奪われていったものは、全て。それこそ夫という立場すら欲しがった。
こうして俺には、血筋だけで見れば半分は血の繋がっている年上の姪であり、戸籍上では父となる人ができた。
……ん? ああ、母から見れば、血縁上の孫と結婚したことになるかな。……引くな引くな、俺が一番引いてるんだよ。
――とまあ、ここまでが、俺を取り巻く環境の成り立ち。俺が言いたい、肝心な部分はこれからだ。
『父さん』は、よく言えば効率のいい人なんだ。
女だてらに、祖父に並ぶか、それを上回る才覚を見せた。十歳には大学を卒業し、二十歳になる頃には一端の医師として最前線で働き始めた。もともと、祖父よりも先に親友を治療させてやる、といった気概で挑んでたらしいからな。その執着心は凄まじいものだったらしい。その甲斐あって、三十歳にもなっていないのに、既に国立病院の一つの管理を任されるほどだ。
天才ってのは、ああいうのを言うんだろうな。男だってあそこまで頭の良い人はいないわけでさ。男よりも小さな脳で、男が敵わない力を発揮してるんだから。それでいて魔だって一流。能力だけ見たら、本当に存在だけで男という生物の意義を奪う人だよ。
それだけの人だからさ、他人に求める基準が著しく高いんだ。
俺には一卵性の双子の妹がいる。実の父が亡くなる直前に母に宿った子だ。だから俺の実の妹でもある。
この妹たちがこれまた優秀で。小さい頃から神童と呼ばれて、父さんの再来としてあちこちから期待されてる。俺の三個下なのにチカキより学力指数が上って言えばヤバさが分かるだろ。
父さんからしたら、この妹たちですらまだ物足りないんだ。
……そんなの、ごく一般人でしかない俺と比べられてみろ。
これで失望してくれて、切り捨ててくれたのなら、それはまた別の辛さは勿論あるんだろうけど、心の持ち用はまだどこに置けばいいのか明確だっただろうさ。……けどなあ、なんというか、父さんは、母さんを好きすぎるんだ。母さんが産んだ子なんだから、清廉潔白、なんでもできる。そんな風に思ってるんだ。
なまじ、妹たちが優秀なのも俺には不都合だった。妹ができるのなら、男のお前だってできるはず。真剣になっていないだけ。死ぬ気になればなんだってできる。そうやって燻ったつもりになってないで、しゃんと前を見ろ。
父さんから、後ろ向きな言葉なんて貰ったことはないよ。むしろ、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも高い所から俺を導こうとする。
そんなの、俺には重荷でしかなかった。
父さんの敷いた軌道に乗ることは、いつからか、できなくなったんだ。
俺は逃げた。なんでもよかった。
逃げられるのなら。楽しいことがあればそこに溺れたかった。
だから、ぎりぎり最後の一線では踏みとどまれたけれど、そこに至るまでの、既に止まっていなければならない道は、かなり進んでしまった。
そんな時だ。俺が栄養士を目指したのは。……これまた別の話になり過ぎるから割愛するけど、十歳の時に、栄養士としての知識を手に入れた。
悪いことに手を染めるくらいならと。俺はその世界に沈んだよ。
前まで、栄養のことなんか、飯の種にしか考えてなかった。そこまで好きじゃなかった。けどさ、深く追求してくうちに、あれ、これってひょっとして、楽しいんじゃねえかって、そんなことすら思った。
逃げだったのかもしれない。
それでも。
改めて触れた世界は、とても新鮮で、やりがいがあって、面白いものだったんだ。
俺は没頭した。かなり荒れていた時期は、『よろしくない』集まりに参加して人に迷惑をかけたりもしたし、かと思えば人々をより健やかにさせるための栄養のことやったり。数年前の俺は、自分でも何をやりたかったのか、まるで分かっていなかった。
初等部を卒業する頃。父さんには、これから先どうするか、絞られたよ。母さんは好きなことをすればいいって言ってくれたけど、父さんはそれで通してくれなかった。妹たちは、進んで父さんの帝王学を学び始めてたから、余計に俺はふらふらしてる放蕩者に映るわけだ。
俺は、俺だけを必要としてくれる何かが欲しかった。
そんな頃だった。ナゴョミの話を聞いたのは。
これまでもそうだったろうし、実際、お前たちも似たようなことを考えたりはしただろうよ。『自分こそが、もしかしたら選ばれた人間かもしれない』って。
そのぐらい選ばれた人間だったなら、自分の価値も出てくる。そう思ったんだ。
……最初のうちはな。
いざこうしてナゴョミ校に進学して、父さんのいない環境になったらさ。やっぱ、逃げるのって駄目なことだなって思えるぐらい、余裕ができたんだよ。
そう思ったら、栄養士としても、ナゴョミを咲かすことにしても、どちらも本気を出したくなっちまったんだ。
それも、自分一人だけでなく、お前らと一緒に、な」




