3-3
「――ミナヤ様たるやごきげん麗しゅう、」
その人物が見えたと同時に、フーマは頭を下げ、脳に用意してある最上敬語を即座に引っ張り出してくる。
「あーあーいいわよそういうの。今日はそういうんじゃないから。それにまだセゴナ語完璧じゃないでしょ。『日本語』のがマシ」
以前に会った時とは全く違う、とても砕けた口調。のみならず顔立ちも体格もまるで異なる。
だが、この御身を拝見した瞬間の背筋の震え。簡素ながら強烈に特徴的な記号性である金の髪に白のドレス。そして、特筆することのないただのベンチに座っているだけなのに、絵画から抜き出したような、生涯忘れようのない凄絶な透明感。
知識と感覚の双方が答えを示し合わせている。
目の前にいるのは、セゴナの神たるミナヤ・クロック、その人。
「オオツキ様まで来たんですねー」
サクラのその言葉を受けてか、ミナヤの背後で佇んでいた女性が、漆黒そのものを纏わせたような黒髪を僅かに揺らした……ように感じた。
サクラがオオツキ様と仰ぎ、言祝ぎを上梓している人物。ニムナ・クロック。セゴナ三神の一人にして、ミナヤに次ぐ能力者にして……男に技を授け、世界を男も交えた闘争の世界にした張本人。ミナヤと同じく、世界史を勉強すると何度も名前が出てくる、生きた歴史書。
これも具体的な関係性は完全に伏せられているが、ニムナはミナヤの侍女をしている。侍女ではあるらしいが、あくまで対等な立場なのだと。それでいて、いつかは決着を着ける必要のある仇敵だと、聖書には記述されている。
ミナヤ・クロックが太陽なら、ニムナ・クロックは月。
「あー汝らちょっと捌けて。妾はこの子らと秘密裏に会談したいから」
この日中の晴れやかな青空の下で秘密裏もないとフーマは思ったが、それを聞いた聴衆は、ミナヤに一礼をして素直に散り散りになった。混乱や落胆なんてものはない。ただただ静かに、元の日常へ戻っていく。
母親の言うことは素直に聞きなさい。セゴナ人にとってミナヤはもう一人の母であり、母の言葉には子として従う。それがセゴナ国民の心に刻まれた、ミナヤへの信仰と、親交だった。そしてその心は、フーマも同く。
残されたのはフーマとサクラ、ミナヤにニムナの四人だけだった。
「ま。楽にしなさんな」
ミナヤはそう言うと、外に置いておくには似つかわしくないような、やけに豪奢な装飾の施された椅子を即座に作り出した。二人はおずおずと座る。……脚の裏から背筋に至るまで、ピッタリくっついて離れない。縛り付けられているといったものではなく、身体がどうしようもなく快感を訴えている。専用で作られたよう……というよりは、事実、フーマの身体に合わせてあるのだろう。最早、背筋が変形してこの形状になってしまったようだった。疲れている脚が一瞬で回復しきる。ナージのマーチよりも強力だった。
「固くなられるとこっちも参るから『この妾』できたわけよ。それとも十五歳の方がよかったかしら」
「いえ。俺は十歳ミナヤ様が一番好きです」
「おっぱい小さいから?」
「…………。いえいえそんなバカな」
「なんなら膨らむ前だから?」
「膨らまないじゃないですか」
「ふーま君、ダイニチ様相手にすごいこと言ってるのわかってるー?」
母性の象徴たるミナヤではあるが、その胸部は……。チカキに聞かれたら首をふっ飛ばされても文句が言えない。ちなみにフーマは女の胸は基本的には小さい方が好みだった。大きいのは、それはそれで男として、まあ。
そんな大きさな、『この妾』……ミナヤとニムナは、それこそサクラや、ナージすらも下に超えるほどの幼さをしていた。
セゴナ建国をしたことから、セゴナではミナヤを建国の神として扱っている。そこまで敬っているのにその実、年齢、経歴、詳細なことは一切不明。目撃された現象のみが事実として扱われる、全てにおいて規格外。
その事実の一つに、『世界に三体ずつ同時に存在する』というものがあった。
十歳体、十五歳体、二十歳体などと世間ではよく言われている。そのうちの十歳体が目の前にいる。
このミナヤはとても活発で、よくセゴナの色々なところに出没しているらしい。セゴナ人でミナヤと会ったことがある、といった場合は、この十歳体ミナヤを基本的に指した。
ともあれ、そんなどうでもいいことはさておき。それだけ規格外な貴賓が直々にお呼びとは。
「まずは妾の呼びかけにきちんと応じてくれたことを感謝するわ。これはその証ということで」
一通の封筒を渡される。先程と同じ封蝋。中身を開かなくても、それがなんなのかは流れで理解する。受け取ると、ずっしりとした重さ。こんなに仕上げてきたのかと感嘆する。性格に難あれど、頭脳は比類ない。
「これがちかき君のなんですなー」
サクラがパンパンに張った封筒を持ち上げ、その分厚さに驚いている。
「チカキも夜の短い時間で書き上げたって言ってたからなあ。汗や涎にまみれた傑作だろうよ」
「…………」
「おおい無言で地面に叩きつけるな!」
メンコよりも軽く地面に投げたサクラは、追い討ちでもかけるかのように両手を封筒にかざした。何をするかはわからなかったが、燃やすぐらいのことはされてもおかしくない雰囲気だった。これがどれだけ重要なのか分かっているのだろうか。急いで奪取する。
「まったく……」
背嚢へ仕舞う。ずっしりとした重さが加わった。
「ふふふふ。汝らは本当にあの子を気持ち悪がってるわね」
「悪いやつじゃないんですけどね……ただ、神様への愛が暴走しすぎてるだけで」
「そうねえ。あの子は毎日熱心に建国祭の準備をする傍らにミナヤ踊りの研究をしてるわね。研究という態の発明側だけれども。なかなか愛が重いところが可愛いやや子よ」
「ミナヤ様がそんな扱いすんですか。可哀想に……」
「まあそれはともかく。チカキディーガの話だけをしにきたわけじゃないわ。少しくらい妾に時間を割きなさい」
「買い物があるので手短に」
「それは平気よ。残り必要なものはここに揃ってるから受け取りなさい。プレゼントとかお土産の類までは入れてないわ。そんなものは自分の気持ちを込めながら買いなさい」
ミナヤがそう言うと、背後のニムナが何もない空間から籠を取り出した。淀みない所作でフーマに渡した。中を軽く確認すると、残りの買いたい予定だったものは揃っていた。
「貴男が持ってる予算全部と交換ね」
「金取るんですか?」
「当たり前じゃない。慈善事業じゃないわ。只より高いものはないのよ」
本来予定していた金額を支払う。受け取ってから検品しておく。……この金額でこの品質のものが揃うなら、むしろだいぶ安上がりだった。
「それとこれを授けるわ」
「それって……」
そう言ったミナヤは立ち上がって、『それ』を繰り出す。
細い、鈍色の鉄。『鍔』を境に分けられている。シュルシュルと、空気を断ち切る音を響かせながら回転させ、かちり、鞘へ戻すその物は。
「……〈刀〉、ですか?」
ミナヤの剣舞に見惚れていたフーマは、思い出したように呟いた。
サクラがいるせいでたまに忘れそうになるが、こちらの世界に日本なんてもちろんないし、似た文化圏もない。便利な地名『東方』も、むしろセゴナが大陸の極東にあるから通用させてくれない。もしもそんな国があったとしても、この世界における、男女の隔たり。これがある限り、似非日本にしかならない。似ているからこそ生じる違和感はより厳しいものになるだろう。
「貴男に合わせるとそう呼んだ方が通りがいいわね。実際はセゴナに伝統ある武器の一種を妾がアレンジしたまでよ。貴男はあまり兵器に詳しくないからそのくらいの軽い説明で留めておくわ。――【虹霓】。それがこの子の銘よ」
「【虹霓】。……虹霓?」
「貴男が属する集団と同じ名前と思っているけれどそれは因果が逆よ。この武器から取った名前だもの。もう覚えている子もいなくなったけれど。まあそこはどうでもいいわね。今やなんの意味もないもの。ただ想いの残滓があるだけ。つまるところ虹霓という紛らわしい名前の〈刀〉と認識しても問題ないわ」
ただでさえミナヤと会話しているだけで、セゴナ語と日本語が平然と入り混じって翻訳機能が混乱するのに、さも当然のように和風なものを出されると、脳がグワングワンと揺れる。
「来る時が本当に来たら使えるから使いなさい。使えそうな場面がきたらすぐ分かるわ。それ以外の時に使おうとしてもただの棒切れですらない鈍だけど」
そう言うと同時に、【虹霓】と呼ばれた刀は消える。
「普段はあなたの周囲に漂っているわ。使う意思を見せればすぐに出現するから」
試しに使おうとしてみる。すると、いつの間にやらフーマの手には先程のものと同じ刀が握られていた。手を離すと、落ちることなく、また瞬時に消え去る。
えー。女は自分の意思で好きなものをこうできるのかよ。そんな風に、利便さというよりも、その属性の格好良さに嫉妬するフーマだった。
「ちなみに、なんで〈刀〉なんです?」
「男の子は何歳だって〈刀〉を振り回すのが格好良くて好きだからに決まってるじゃない」
わかっていらっしゃる、と心のなかで同意する。
「さてさて。ここまでお膳立てしたのは改めて貴男の様子を直接この眼で確認したかったからなのよ。こうでもしないと時間なんてまともに取れないし」
神出鬼没、セゴナのあちこちに出現するが、外国にも故あれば出向くのがミナヤという人物。こうして一点に留まることの方が珍しいともフーマは聞いていた。
「あの頃に比べたら安定したわね。ギラギラした若い目つきも可愛いものだったから残念半分かしら。大人になるっていいことばかりでないものね」
「……その節はどうも」
「ただ女の子にちょっかい出す割には重要なところではぐらかすのは頂けないわね。全員娶るつもりかしら」
「いや、あいつらとは」
「そういうところよ」
だと言われても、今の立場が一番気を置かなくていいし、楽できる。
「まあ言及はこのくらいにしておくわ。どんな恋愛するも自由なんだから好きになさい」
それだけ言ってあっさり引き下がる。
「――加えて伝えておくべきことがあるわ。心して聞きなさい」
ミナヤに言われることなど純粋に事態が好転する類のものではない。過去に一度しかない経験が警鐘を鳴らす。少しだけ背筋を伸ばす。




