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「やー、春めいてきましたなー。わたしが何もしなくてもお花がどんどん咲いてくよー」
「【花咲士】として商売上がったりだな」
フーマはラセリという、トマトのような野菜を食べながらサクラと会話を楽しむ。朝飯代わりだ。独特すぎる青臭さと酸味が嫌いだという人間も多いが、それこそが好きだった。好きが高じて、自前の畑で栽培なんかもしている。
「もともとお金なんて貰ってないですよーだ。がめついふーま君とは違うんだいー」
「俺も直接貰ってるわけじゃねえって何回言えば分かるんだ。ちゃんと研究結果を提出してだなあ……その対価として……」
「料理作るんじゃなくてー?」
「俺は料理人じゃねえ! 栄養士! 栄養士は栄養指導に従事できる人間が持つ仕事で……」
「そーゆーとこが難しいんダーイ」
和装をふわふわはためかせているサクラは、フーマの無粋な言葉に憤慨する素振りだけ見せる。それでもどこか朗らさがあった。まるでこんな何気ない会話が楽しいかのよう――いや、実際に楽しいのだろう。会ったばかりの頃、サクラは愛想笑いしかしなかった。しかしそこから短期間で、実に明るく笑うようになった。
その暖かさはさながら、この世界にはないはずの、彼女と同じ名前をした『桜』のように。
「ん。……あー……この子、苦しんでるねー」
「え? ああ、うん。そうなのか?」
ほのぼのと会話していると、ふと足を止めたサクラは、一本の小さな木の前で立ち止まった。サラスビという、この地域では比較的どこにでも見られる木だ。ただ、既に開花している木も多い中、この木は一輪とだって花を見せていない。花も恥じらうとはいうが、あまりにも恥じすぎだ。
「でも、昨日もここを通りかかったけど、何も感じなかったんだろ?」
「うん。そうなんだけど……ちょっと成長遅いなーぐらいは思ってたんだけどー……多分、これまでは我慢してたんじゃないかなー。人間だってそうでしょー。具合が悪くなったら体を温めてゆっくりと寝る。この子たちも同じだよー」
ふうん、となんとなく納得したようなできないような、とても曖昧な感嘆を出しながらフーマは、葉っぱを一枚もいで、無造作に口へ入れた。
ゆっくりと咀嚼。舌に広がる五味のうち、渋さ、苦さ、酸っぱさ。それぞれを生体的に分析していく。
「たしかに滋養ないなこれ。葉まで糖が行き渡ってない。……〈サラスビの葉はイソマルトースが多かったはずだけど、いくら噛んでも味がない。俺の口、αアミラーゼくらい分解できるようになってるはずなんだけどな〉」
サクラには聞こえない声で、自分の言葉で呟く。どうせ日頃の学問を活かした会話をしたところで、フーマに相槌を打てる分野の人間なんてほとんどいない。よく気持ち悪がられるが、研究に没頭する人間はこんなもんだ、とフーマは意を返さない。
ともかく。
「おかしいな」
「おかしいね」
頷き合う二人。
サクラとフーマが持つそれぞれの感覚と知識。方向性がまるで違うそれらだったが、同じ答えを出した。
ずい、とサクラが一本前に出る。何をするかは分かりきっているし、手伝えることが何もないと知っているフーマは、三歩引いたところからただ見守る。
サラスビの樹皮へ静かに手を置いたサクラは、深く呼吸する。
――ぱあん、と。
ほんの刹那、淡い桃のような色……桜色をした光が、辺り一帯の空間を燃やす。その光は、フーマの視覚以外にはなんの影響も及ぼさない。
どれほどの時間だったろうか。その光は徐々に収束していき、サルスビより一回り大きいほどの規模で安定する。
そうして。変化は起きた。
固い蕾であったはずのそれらが――一斉に、ゆっくりとではあるが、目に取れる速さで咲き始めたのだ。
「すう……」
完全に光が収まった後、サクラは静かで、しかし大きく大きく息を吸った。
「オオツキ様、報謝致します」
サクラは自身が信奉している神への言祝ぎを述べる。服装も相まって、途端、神秘性のある存在へと空気が昇華される。単なる通学の一風景にしか過ぎない今この一瞬が特別な意味を持つ。常人が紛れてはいけない儀式に踏み入れたのではないか。そんな錯覚さえした。
――この子だけを救ったところで他の子たちまで救えるわけじゃないしー、意味ないことだってみんな笑うよー。けどねー、それでも私はさー、せっかく頑張って生きてきたこの子たちねー、見捨てることはできないんだー。
少し前に言ったサクラの言葉が残響する。特殊な力を持つことで自分もこんな考え方を持てるようになるか、フーマは足りない想像力で夢想してみる。……しかし哀しいかな、どうやっても、その力を使って生計を立てる……もっとあられもなく表現してしまえば、金を稼げるかばかり考えてしまう。
いかんいかん、と自戒する。こんな俗な人間に育った覚えはない。少しでも罪悪感から逃れようと、サクラの次の行動を読んで、すぐに動き出しておく。
「元気になったね」
優しくサルスビを撫でるサクラ。まだフーマと同じく十四歳であるというのに、その表情は、子を抱く母そのものだった。優しい顔つきでサルスビを撫で続ける。……だんだんと、顔色が悪くなっていく。額には玉の汗が浮かんでいく。
「はあ、はあ、はあ……」
荒い呼吸は、聞くからに苦しそうで。聞くに堪えなかった。
「ほらよ。脂質多すぎてやっぱ男には飲めたものじゃないから、俺も味の調整が全然できないけど、力を使った後のサクラなら多分、いけると思う」
フーマの説明を聞いてかいらずか、フーマの渡した試験管ほどの小さな木筒を受け取ったサクラは、一息に飲み干した。
「――あー」
少しずつ、顔に血色が戻ってくる。名前の通りの、綺麗な桜色に。
「ありがとうふーま君。すっごく……お腹いっぱい!」
「そりゃよかった」
……実の所、サクラが体調悪そうにしていたのは、ただ単純に、力を使い過ぎてエネルギーが枯渇……言い換えれば、お腹が空いていただけだった。
空腹というもの自体は生物が持つ、自己防衛のための大切な機能であり主張でもあるので、何も悪いことはない。ただし、サクラはあまりにも顔を由々しき事態かのように歪めるので、ついこちらも引きずられてしまうのだった。
渡した木筒には、フーマが『調理』しておいた、蜜と油を果実で風味付をしたジュースが入っている。一度口に入れれば、口いっぱいに脂質と糖質の甘さが広がる。飲んでいると奥からアクァジンという成分が、柔らかく通り抜ける清涼感。並の男が飲み干せばそれだけで一日のカロリーが取れるとんでもない代物である。それを一息で消費するほどのエネルギー量。
「ありがとーねー、ふーま君―。ふーま君がいると安心して【花咲】できるよー」
「よござんした」
実際に凄いのはサクラなのに、心底からの笑顔で真正面からお礼を言われるとどうにも照れくさい。目線を外して少しぞんざいに返した。
まあ、でも。
『生前』ではごく普通に、趣味を追求した末に獲得した資格、それを利用した職種に就いただけであったが、思わぬ形でその経験が役に立っている。
薬剤師のように直接その症状に対処できるわけでもなければ、調理師のようにいきなり美味しいものを作り上げるのではない。しかし、特性を理解し、食物と人間を直接結びつけることができる者。
管理栄養士。
それがフーマが現在名乗っている、馴染みのある称号。
まだまだやれることはある。なにせ大いなる夢が、できてしまったのだから。




