2-13
学校に残って作業している生徒が多いこともあり、全員を帰す頃にはすっかり日が落ちてしまった。もし進展が悪いようなら泊まりで作業をしてやると決めているが、今のところはその段階にない。まあ、通常の授業があるというのに、あまりあちらこちらに装飾しても仕方がない。そんなもの、教室で遊んでたら壊しかねない。
(『あの頃』はそういうの参加すんの疎かった俺がなあ……)
自分のことながら、自分らしくない。演技でやっているのではなく、心底から楽しんでやっているのがまた、らしくなかった。だが、それこそが今のフーマという男の有り様になっている。
「ふう」
ため息は月夜に溶けていく。今夜の月は雲にうっすらと隠れていた。
顔が火照る。最近は気温も上がってきた。夜は流石に涼しくなるが、山間部にある割にナゴョミは温暖な気候だ。元々特殊すぎる土地柄なだけあって、常識を当て嵌めようとする方が間抜けだろうが。
残り一ヶ月。学校だけでなく、村全体が活気ついている。
この独特の高揚感。常に心臓が早鐘を打つ。
早く祭がきてほしい。絶対に楽しいから。楽しいものにしてみせるから。
祭が終わってしまったら悲しい。時は絶対に過ぎていく。魔ですら止めることの叶わぬ世の無情。失ってしまった何かを取り戻したい。
そんな気持ちも片隅にあるのだろうか。自問しても問は出せない。
――そんなフーマの不安定な内面につけ込まれたのか。
すっかり過ぎて行ったはずの夕焼けを音にしたような、どこか哀愁のある調べ。ナージの演奏によるものではない。セゴナの楽器にはないその音色は、しかしフーマにはとても馴染んだ。
どこからだろう。何故だかは分からない。その音に、酷く惹かれる。脚は独自の耳を頼りに音を目指す。
探している最中の意識も朧、ふと気付いた時には屋上に居て、音源を探し当てていた。どれだけ動いたかも定かでない。
どこか、現実味がなかった。
「『花々の いのちいっぱい 咲くからに 生命をかけて わが眺めたり』」
――そこに居る、見慣れた小さな背中は、間違いなくサクラ。転落防止の柵の向こう、淵に腰をかけて脚をブラブラさせている
しかし、それが本当にサクラなのか。
大袈裟な素振りの流し目でこちらを認めた。その顔は、全てを見透かしているような、泰然とした笑顔だった。
まるで、バレバレな子の悪戯を見守る母のような。
「やっちゃった。ごめんね。やっぱ、ふーま君は……合っちゃってる、のかもしれないね」
「合った……って?」
普通に出したはずの声は、自分でも驚くほど密度が伽藍堂だった。
「お花たちにしか聞こえない音なんだけど、男の人でもたまーに聞こえる人がいるみたいなんだよね。ふーま君もその感じっぽいね」
まだこれで、驚くほど大人びた声でもしていれば、素直に受け入れられたかもしれない。だがサクラはどこまでもサクラだった。やや言葉尻がきりりとしているが、それだけだ。身から染み出す気配との齟齬が、フーマにどこまでも幻想さを演出させておる。
「それか、もしかしたら――ふーま君は、改膜質が特別に変わってる……ダイニチ様の差金かな。全部、誘導されてる。なんか、やっぱあの人許せないな」
「……サク、ラ?」
強く鋭い台詞。ますます、それがサクラ本人なのか分からなくなる。
「私、変に見える?」
「」
首肯することしかできない。
「たまになるんだよね、私。こうなっちゃうと一晩はずっとこうでさ」
サクラは自分の隣をぽんぽんと叩いた。何も言い足さなかったが、ここに座れということだろうか。
細心の注意を払って……払わなければいけないはずなのに、側から見たらそのまま飛び降りるかと思うほどにはふらふらと移動する。柵を乗り越えて、ドシンと腰掛けた。
暗かったから気づかなかったが、その淵周りは、苔むしていた。
「ふーま君を送って行ってあげたいんだけど、なるべく緑のないところに居ないと、育ちすぎてみんな苦しんじゃうんだよね。この子たちは凄く元気だからそれでも生えてきちゃうんだ」
原始的な生物こそ、単純な条件で生き延びる。それにしたって、こんな短時間で生えてくるものとは。この一角だけ人がいなくなって久しい廃墟のよう。
「あんまやりすぎちゃうと私がニムってみんなにばれちゃってまずいから、自然治癒を待つしかないんだ。最後まで責任持って看病するから。ごめんね」
サクラは手元の小さな道具を口元に持っていく。
――――。
先程聞こえてきた音と同様のものだった。現実にある物体ではなく、魔で生成したもの。横笛のようなそれは、発する音はどこまでも厳かで、心を清める音を奏でる。
ピンとサクラが横笛を指で弾くと、その横笛はサクラの頭上に空中で固定される。そして、一人でに演奏を始めた。
その音を序奏に、サクラはしっとりとした声で唄い始めた。
「『秋に秋桜咲かす君は いつも私に 飽きさせる』」
フーマの全く聞き取れない言語。どこの言語かも検討がつかない。
それでもどこか……言葉の意味は通じなくとも、郷愁を強く誘う。
自分が泣いているのに気がついたのは、サクラが唄い終わり、しばらくして、手の甲に熱い雫が垂れてからだった。
「なんで、おれ……」
分からない。
何もかもが分からなかった。
分かることなど何もない。ただか細いだけ。迷子になった仔猫。
「ね。ふーま君」
「…………」
「ふーま君は、偉いね」
「……なに、が」
「本当は止まりたいんだよね。でも止まれない。止まったら何が起きるのか知ってるから」
「――俺は、走ってなんか、」
「そこだよ。そうやって意地張るとこ。もう少しゆっくりでもいいんだよ」
「…………」
決めつけられても。そう言い返したい気持ちがないこともない。だが、自分では仄かに感じていたその切先。炙り出されると、どうにも居心地が悪い。
「泣きたい時に我慢できるのはね、泣かないよう努力できるからだよ。それは強くないけど、偉いよ。上を向いてなきゃ、涙は溢れちゃう」
――そこが限界だった。
堰が切れた瞼という堰堤は、ただ涙を垂れ流す滝の役割しか果たせなかった。
どうしてだろう。想いが溢れてくる。全く止められない。
考えないようにしていた心の奥底。
一度照らされれば、あれもこれも一角は出ていたのに気付いてしまう。
……妹が。
妹が、どうなったか知りたくてたまらない。
俺はまだ、妹に謝っても謝りきれないのに。
フーマは死んだ直前のことは覚えていない。その一年ほど前の段階で記憶は止まっている。その時点での脳の構造を再構築して擬似的に記憶を取り戻しているのだから、死の直前を思い出すことはできない。だからそこはそこは諦めるしかない。ミナヤ・クロックとの取り決め。
空白となった一年の間にどれだけのことがあったのだろう。自分のことだから可能な限りのことはしてるはずだが。その間、どれだけ妹のために遺すものができていただろう。
自分のことなどどうでもいい。その代りに、自分の全人生を注ぎ込んででも幸せになってほしい。そうやって生きてきた。それが果たせかも分からぬままこちらへ来てしまった。もしかしたら果たせていなかったのではないだろうか。そんな負い目。
あの憎まれ口を叩く妹のことだ。死んでせいせいした、くらいのことは言うだろう。それが本心だったらなんの問題もない。
フーマが厭うのは、あれほど迷惑をかけた妹に、ろくすっぽ返せていない状態で死んだのではないか、ということ。
……フーマを見ているサクラは、何もしない。ただ見守って、自身は唄うだけ。それはフーマの心にすぅっと溶け込み、糧となる。栄養となっていく。
だから余計に、自分の身体だけが強く輪郭線として浮かび上がる。世界は認知できない部分が存在しなくなる。
ある時突然考える。どうして俺は頑張ってるんだろう。
いつの日か、どこかで聞いた歌のフレーズを思い出す。
妹のため。それも今は昔。
自分のため。ただ生きるために苦労などない。頑張る必要なんてない。
なんのため。なんのため?
頭に浮かんでは吐露する前に霧散する。霧散した水滴は雲となり雨となってまた降り注ぐ。
終わることのない循環に巻き込まれる。
「ふーま君。
人生、楽しい?」
あくまでも優しく、サクラは訊いてきた。
考える脳みそも存在しない。
それでもその言葉だけは、僅かに残っているかも怪しい理性に訴えた。
「ああ」
それに対する答えに関しては、ただ一つに決まっていた。
それを聞いて。
――ふんわりと。
――はんなりと。
サクラは笑った。




