2-7
「んっはー、つっかれたー……」
「お疲れ様。ほいよ、気分転換に」
「ん、何これ?」
「サンリュの飴」
「おっしゃれー」
「皮肉か貴様」
「なんかフーミンに飴って似合わないよね」
「誰がお芋野郎だ」
「別にそこまで言ってないけどそういうとこ」
そんなことを言いつつも、マイカは包み紙を解く。青色をした飴玉。味通りの爽やかな空色。手首の力でぽんと上に放り込み、落ちてきたところを口で直接受け止めた。
「やるぅ」
「女の子なのに行儀悪いみたいなこと言うかと思った」
「それで落としたら当然文句言うわ。それ一粒で卵二個くらいの値段すんだぞ」
「なんで卵換算するしっ」
「ただまあ、俺は食に寛容な方の管理栄養士だからな」
「それで寛容? 世も末」
「ひでえ。あげたのに」
フーマも口に入れる。三年ほど前はよく感じた味。今でも口によく馴染む。
「あー、なんかナーの【元気の出る出るマーチ】でも聞きたい気分だしっ」
「鳥の歌声じゃ不満か」
「そんなの田舎だったらどこでも聞ける、ってかしかも歌声ってほど可愛くないしっ」
「じゃあ俺が可愛く歌ってやろう」
「もっと可愛くないしっっ」
「ひっでえ言われ様」
ナゴョミには人間こそ襲わないが猛禽類も生息している。今日も今日とて、キーキー高い鳴き声をナゴョミに響かせていた。これがナゴョミを象徴する長閑な平和の音だったりする。蝉や鈴虫の鳴き声は日本人以外には不愉快な雑音にしか聞こえないという。始めこそおっかないなと思っていたフーマだったが、わずか一年ほどですっかりナゴョミに馴染んでしまった。
太陽が西方へ向かう時刻。空気が徐々に黄色みを帯びるような錯覚すらする。日差しというのは黄色いのだろうか、白いのだろうか。手をかざしても肌の色が透けるだけ。真っ赤に滾る僕の血潮、とはこのことか。
「ねえ」
「なんだ」
「あたし、いる意味あった?」
「喋りは俺一人でやるつもりだったけど、一人で行くのが流石に不安だった。横に誰かいると安心する。いやわりとマジで。重要よそれ」
「…………。シャーでよくね?」
「こういう時の男勢は使えん。シャニは途端に無口になるし、チカキがいたところで気持ち悪いこと言うにきまってるし」
「――女子三人は?」
「ナージはがっちがちになって駄目。リィンを引っ張ってこれるわけねえ。サクラとかうちの生徒じゃねえし。マイカしかいねえんだよ。ってか今回に関しては、マイカがよかったんだよ」
「…………。ならいいけど」
納得してくれた様子。本気でそれが理由なのだから、それ以上言うこともない。
「――こういう時、〈サイダー〉飲みたい気分になるなあ」
ぽつり、フーマは言った。
村長宅からの帰り道。集落の外れにあるそこは、一息で移動しきるには中々骨の折れる距離。夕暮れまではまだ時間はある。張り詰めていた糸がぷちんと切れたせいで少し惚けていることもあり、少し休んでから帰路に着くと決めたのだ。村人がちょっとした休憩所として利用する四阿。二人はここで涼みながら、ぼんやりとした気分で取り留めのない話をしていた。
「聞いたことないそれ。どんなの?」
「炭酸っていって……重曹にクエン酸を加えると液体に炭酸が発生する。しゅわしゅわして暑い夏に飲むとサイコー」
「美味しそうに感じないんだけど」
「あれは飲んでみないと分からんよなあ……分かってくれる人も少ねえけど。人気出ると思ったんだけどなあ」
都心にいた頃は、柑橘果汁に炭酸水素ナトリウムを入れた原始的な炭酸を作って、たまに飲んでいたりもした。これ量産したら売れるんじゃないかと思ったこともあったが、実行に移す前に止めた。革新的な物が全て流行ると言うのなら、地方の土産は大抵全国区になってないとおかしい。そう思い至ってしまったのだ。
セゴナの一部地域では二酸化炭素を含む温泉があり、炭酸泉として観光名所になっているらしい。行ってみたいとは思っているが機会がない。セゴナでは炭酸水といったらこのイメージがある。食用だからときちんと管理して育てたタンポポを食べるかと言われたら、別にそんなわけはない。変わった味だね、食感だね、ぐらいの感想はあるが、好むまではいかないだろう。だから炭酸水は、好きな人は好きな飲み方、ぐらいの扱い。啓蒙すれば理解者も増えるだろうが、そんな気概などない。
「なんかフーミンって色々手を染めてるよね。大抵失敗してるけど」
「失礼な。成功例だってありますぅ。特許権取得して権益にしてますぅ」
「の割にはビンボーくさいよね」
「余った分は妹たちに渡してるんだよ。少しでも足しにしろって。あいつらお小遣いはないし」
「あれ? 妹? いるの?」
「ああ。下にクソ優秀なのが二人」
「上は?」
「俺がお兄ちゃん」
「なんか分かるわ」
「なんだよそれ」
「お兄ちゃんって、ええカッコしいなとこない?」
「もしかしてマイカんとこがそうなのか?」
「うん。いっつもいいとこ見せようとしてダサいとこ見せてる」
「はっはっ。兄なんてそんなもんじゃねえか」
「今日の村長のやりとりってゆうかも、すごいグイグイやってたじゃん。なのにちっともビビってないからさ。びっくりしたしっ」
そう言ったマイカは、どこか遠くを見た。
「なんかさー……フーミンが別人になったみたいだった」
「どこが。大人と会話する時なんてあんなもんだぞ」
「そうじゃない。そうじゃないんだって」
口調は穏やか、なのにどこか、哀憐の含んだ声だった。
「あたしも……上手く……説明できないんだけど……」
そこで一旦会話が途切れた。言葉にできないもどかしさに身を焦がしているのか。
フーマも特に声を掛けない。かける言葉なんてなかった。
そよ風だけが二人の間を無邪気に通り過ぎる。僅かに含んだ花の香り。はたしてこれは、風なりの気遣いだろうか。
「村長さんのアレって、どういうこと?」
どれほどの時間が経っているのだろう。検討もつかない。久しぶりとすら思えるマイカの声は、どこまでも平常だった。だから、マイカの言葉の意味まで理解してやるのに脳内処理が手間取った。先程の、フーマの問いに対し、村長がゆっくりと茶器を上げた……そのことだろう。
「村長は茶葉を栽培してる。ゆくゆくは美味しい茶葉を育てたい。……じゃあさ、もしも【ナゴョミ】が咲かなかったら?」
その言葉に、マイカははっとした表情をとった。マイカも成績はほどほどだとしても、察しが悪いわけではない。
村長はナゴョミに定住できるよう仕組みを整えたり、自然の姿のまま観光資源として活用できるスポットを見出したりと、村の発展に勢力的に動いている。現状は閑散とした開拓地でも、いずれは緑と人間は共生していける環境にしたいという願いがそこにある。
だが、【ナゴョミ】が咲かなければ、この土地は緩やかに衰退していく結末が待つ。そうなれば、これまで長い時をかけて築いてきたものの軌跡は、草陰にただ埋もれていくだけだ。
そんなリスクを背負ってなお、ナゴョミの住民が花を咲かせようとしているのは、自分の代では無理でも、次の代が。それでも駄目ならその次の代が。そう信じているからだ。無理だと悟るなら、地盤を固める方へ全力を尽くす。そこに『失敗したら無駄になる』といった消極的な考えは存在しない。只直向きに、自然との対話を試みている姿がそこにはある。
「それに、あの茶葉って凄い手間を、敢えて採用してるんだ。生育する過程で、各種動物、植物、いろんな要素が絡み合わせている。言ってみればあの一杯のお茶は、小さなナゴョミ。ナゴョミの自然という抽出物の固まり、結晶。並大抵ならぬ努力で仕上げてるんだ。それを振る舞うってことはさ、たった一杯のお茶だけど、ナゴョミという村の全てを紹介するのと同じだ」
「あれって、そんな……」
何気なく飲んだ一杯。確かに大変に美味であった。だがそこに込められた、沢山の想いの雫。
「――男の技って、すごいの発明するよね」
「いいや。手間と根性がかかるだけだよ。それさえあれば女でもできるだろうし、なければ男もできない。そこに性別の違いはない。成功率はもちろんやり方次第で変わってくるけど、なにかを成し遂げたい時、成功するまで諦めることなく挑戦を続けなきゃいけないのは男女関係ない。……『魔に頼らなくても、人は奇跡を宿す』。そう教えるのはミナヤ教。それは別に、男の技がそれを成す、って意味じゃなくて、人間という枠の中で、はみ出ようとした意欲こそがその原動となる。……チカキの解釈を借りたけど、俺も違ってるとは思わない」
「村長さんもそう考えてるの?」
「さあ。……偉そうに考察してみたけど、これ、俺の推測だったから、本当のところは、本人にしか分からない。ただ、内にはきちんと熱い火が灯ってる。じゃなきゃ、矢面立って発展に尽力しねえよ」
「……よく分かんない。男の世界って」
「正直なところ、俺だって分かりきってねえよ」
フーマはそう言って笑った。
「フーミンってそうゆうとこ、大人。なんか、あたしと同い年っての、信じられない」
「…………」
マイカはどこか苛立ちげに、爪を強く噛んだ。
「あたし、どう生きたら、フーミンみたいに考えられたのかな」
たった今、フーマが性差など関係ないと言ったばかり。であるからして、脳の仕組みがどうこうなどという無粋な話ではなく、どうやったら視野を得られるのか、そんな話。
「俺だってずっと悩み続けてるもんだ」
「え。フーミンってなに悩むの?」
「色々あるわい。……俺に栄養士を名乗る資格があるのか、かな最近は」
「ちょ。自分全否定じゃん」
「逃げでやってる部分あるし」
「逃げ? さっきも言ってた気するけど」
「……まあ、俺も、あるんだよ」
「そっか」
虹霓として集まった面々。セゴナという平和な国に生まれ育ったフーマは他の面子ほどではないが、それですら言いたくない過去は抱えている。みんな、今こそ笑っていても、辿り着くまでに傷だらけになっている。それを肌で感じてしまうのだ。だからか、こちらから語らない限り、深入りはしない。暗黙の了解となっていた。
「それでも、確かなことはある」
「なに、それ」
「このナゴョミの人間は全員、【ナゴョミ】が咲いてほしい。そのためなら、例え青臭くて恥ずかしいことでも、頑張れるってこと」
フーマがそう言うと、またもマイカは眉間に深く皺を寄せる。
「うーん……」
勢いよく立ち上がったマイカは大きく伸びた。
「よし! なんか燃えてきたしっ!」
その声は、髪の色と同じように、キラキラとても輝いていた。
「どこにそんな要素あった?」
「なんでも!」
フーマは自身でも面倒くさい性質をしていると思っている。けれど、マイカもまた、そういった一物を抱えているのか。
人というのは難しい。難しいから面白い。栄養士として、理不尽こそ楽しめてなければ。




