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「楽しみだねぇ、『キネンサイ』、はやくこないかなぁ」
マーチング太鼓の音色と共に二人は夜の帰路を歩く。少しテンポが速く、ややずれているリズムは、ナージのワクワクの鼓動を表しているようだった。
夜道で襲われるなんて話はセゴナじゃ聞いたことがないが、年下を家まで送るのは年上としてはマナーだろう。結局、学校に最後まで残ったのはフーマとナージだけとなっていた。
二人の下校道。道中の民家を一瞥するだけでも分かる。既に準備を開始しているようだった。既に行動を開始しているフーマからしても、この村の民は気が早いと感じる。まあもっとも、娯楽の少ない村なのは確かだから、そういった小さな刺激でも堪らなく楽しくなって逸る気持ちも理解する。
「わぁ、おぉきなラセリ」
ヤシツ家の玄関口に、高さがナージの丈ほどもあるラセリが置いてあった。
「祭の観賞用だね。ナージだったら一年間は食べてられるね」
「もうったらフーくん。一年間もラセリ食べたら口腐って取れちゃうよぉ」
「はははは。本当に嫌いだねラセリ」
「フーくんが大好きなの、意味わかんないよぉ」
「俺が食べたらあんなの三日で消えるよ」
「早すぎだよぉ!」
「はっははは!」
そんな益体もない会話をしていると、思ったよりもすぐに、ナゴョミの中では珍しい、三階建ての建物の前に到着した。
ナージは村にある寮に住まっている。
初等部の子はナゴョミに実家がある生徒が大半。少しでも自立できるなら、村を出て別の地方の学校に通うのが一般的だ。ナゴョミの初等部は本当に基礎的な学習しかできず、学習環境もさほど良くないため、やりたい夢があるならそちらに合わせて進学して当然になってくる。仕方なくナゴョミで幼少期を過ごしている……とまで言うと悪口が過ぎるか。ともかく、フーマたちのように外からやってくる人間の方が奇異なのだ。現在の虹霓こと中等部の中にナゴョミ出身の者はいない。
なので現在、ここに住んでいるのは、女子はマイカとナージとリィン、男子はシャニとチカキだった。実質的に虹霓用の宿舎である。最大で男女合わせて二十人住める規模で建造されているので、人数の少ない現状は、どこか物淋しかった。
「やっとナー帰ってきた。遅かったねもうすぐできるよ。あ、変な虫ついてきてるから追い払って」
「虫とは失敬な。俺はちゃんとナージの付き添いしただけで。……なんで割烹着?」
庭に面した窓から、マイカが半身を乗りを出してきた。足跡で気づいたのだろう。
「今日、寮母さんいないから、自分たちで作んないといけないしっ」
「へえ。ヴォルグさん空けるって珍しいな」
「んにゃ? そうでもないよ。あたしよくやってるしっ」
「たまに早く帰るのって、もしかしてそれ?」
「うん。こう見えても料理できる系女子なんだからね」
時折お菓子焼いてくるので能力あるのは知っていたが、そのレベルでできるのかとフーマは驚いた。
「なんかどんなの作るか気になるな」
「あ、じゃぁフーくんも食べてもらおうよ」
「えぇ……?」
露骨に嫌そうな顔をされる。まあ突然の来客など、炊事する者としてはとても苛つくものだ。
「マイちゃんだめぇ?」
「駄目ってか……だって絶対、フーミンあたしの作ったの見て鼻で笑うじゃん」
「俺をなんだと思ってる。食に関してとても真面目だぞ」
「そういうとこだしっ」
まあ客観的に見れば自分のようなタイプが面倒くさいのは承知している。それはそれとして、耳に痛いことをきちんと言わなければならないのもまた栄養士というものだ。太っている人間にはきちんと、食べる量を減らしましょう運動しましょうなんて定型を言わなければならない。その性質は今も変わっていなかった。
「……ま、まあ、どうしてもっていうなら、いいよ」
「どうしても食べたい」
「少しくらい戸惑え恥じらえろ!」
その台詞を聞き届けたナージは『勝ち』を確信したのか、フーマの背中を押して寮の中へ連れ込んだ。靴を脱いで入口近くの食堂へ入る。
「ほらナージ。外から帰ったらちゃんと手を洗いなさい」
「はーい」
どこかのおかあさんのような台詞をフーマが言うと、ナージは素直に従った。
入口付近にある、腰ほどの高さに設置された褐色のガラスの瓶。足元にあるペダルを踏むと一回分の液体が、瓶の先にある吹き出し口から噴霧される。その液を手に揉み込んだ。聖水という名で一般的に出回っている、消毒水だった。寒天のような性質の無菌培地があるので、自分で実際に細菌検査をしてみたことがあるが、確かに効果は絶大だった。これがあると衛生的手洗いも気が楽。
「フーくんって手すごい洗うよね」
「手はすごく重要なんだよ。何を触るにも感染源は手から。ミナヤ教の経典にも書いてある」
「それ言ったら無敵じゃね。大抵のこと書いてあるし」
ミナヤ・クロックはセゴナを建国する際に公衆衛生についてかなり細かく整備している。化学的清浄法だけでなく、生物学的清浄にも気を配っていた。おかげで上下水道だってこんな田舎にも完備されているのだから、栄養士としても衛生面で不満は少ない。
「ふむ」
「なんかうっざ」
共同の食堂スペースに入り、腕組みをして、今日のマイカが作った料理を俯瞰してみる。
「〈主食はラヴァワをメインの雑穀米、食物繊維豊富。主菜がスゥ・アピオの炒め煮。バラ部分を使用か。脂質が多い部位だからその分タンパク質は少なめ、でも汁物のヘルネィト、タンパクはそれほどだけどアミノ酸価がラヴァワと補間してるから相性がいい。ツル菜とラセリのサラダはシンプルながらに各種ビタミン類を補給できる。内陸部だと不足しがちなミネラルを補給できるのもいい〉」
「フーくん今日は一段と長いですなぁ」
「出たよめっちゃ早口。ぐちゃぐちゃ言ってよくわかんない。いい加減その作り込んだ設定止めない?」
「止めない。設定じゃねーし」
マイカはフーマの日本語を、よく作り込んだ脳内設定と思っている節がある。生まれ変わったなどと言うつもりもないが、中等部特有の心が痛くなる期間と思われても遺憾だ。否定はきっちりしておく。
「うんまあ一般的だけど、それは慣習的に〈PFC比率〉整ってるからなわけで、裏打ちされた食文化感、俺は嫌いじゃないよ」
「……素直に褒められてるのか遠回しにに皮肉られてるのか判断つかないんですけど」
「なんと信頼のない。嫌いじゃないっつーとるだろうに。安心感あるよね。お母さんみたいで」
「やっぱとりま一発殴り! 誰が田舎の婆さんじゃい!」
「言ってねえよ!」
日本で言うなれば、ご飯に味噌汁、肉じゃがに漬物といったぐらいのナゴョミの定番郷土料理。お袋の味。それを言っただけなのに、身長差をものともしない頭突きを喰らったのはなかなか理不尽さを感じるフーマだった。
「ほら盛り付けするから早くシャー呼んできてっ!」
「なんで俺が……まあいいけど」
流石に本気の一撃ではなかったが、それでも鼻っ柱がじんじんと痛い。こんなもの唾つけとけば治る。なんの根拠もないただの男の見っ張りを、誰もいないのに発揮する。
食堂から出て、小さな行燈の光を頼りに、フロアの片隅にある階段を上って二階へ移動する。
そのまま三階まで行ってやろうかとも鎌首がもたげる。が、三階へ至る階段の手前には、シャボン玉かのような、妙な光沢のある膜が張られていた。触ったらどうなるやら。諦める。
二階に上がってすぐの廊下は、人が二人すれ違える幅で、一番奥はこの暗さでは小さな行燈一つでは全く照らせていないほどの長さがあった。その壁面にはいくつもの扉がある。シンと静まり返った空間はひたすらに空虚だった。
階段近くの扉。『シャニ・クルナミ』と、トゥールスルトの言語で書かれた表札が掲げられている。シャニの母国語だ。
コンコン、とノックを一つ。
「シャーニーくーん。あっそびっましょー」
「なにして遊ぶー」
扉の向こうからシャニの裏声が通り抜ける。普段のバリトンからは全く想像できない、いやに高く、綺麗な声だった。
遅れて扉が開け放たれる。
「よ。夕方ぶり」
「どうしたんだよフー。寮にくるなんて珍しい」
「来た理由分からんのにすぐ返してきたあたり、足跡で気づきやがったなお前。『な、なんでお前がここにぃ! お前はあの時、滝の下に落ちたはず……!』ごっこしたかったってのによ」
「はははは! 悪いな、オレの耳は三里離れたヨゥイの足音で性別を聞き分ける男だぜ」
「まーたお前はでっかくでたなあ! ……できないよね?」
「急に不安がるな。一里までしかできん」
「一里ならできるのかよ」
「ほら男二人! バカやってないで早く降りてこいしっ!」
男同士が再会のやりとりをしているというのに、なんとも無粋な怒号が乱入したものだ。
「お? なんだ、今日はフーも飯食ってくのか?」
「ああ。ナージにお誘い受けてさ」
「マイカの飯はたまに食ってるけど、なかなか美味いぞ」
「マジかよ。妻いるのに級友女子の料理食えるとか羨まし過ぎる。マイカなのは目を瞑るけど」
「普段から菓子作ってもらってる奴が何言ってんだ」
あまり遅いと今度は魔の電撃あたりが床下から襲い掛かってきかねない。ふざけながらもバタバタ降りていく。




