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さて、リィンを引き入れることは絶対条件ではあったが、計画はそれだけで成功するほど単純ではない。やることはいくらでもある。
「これ全部マイちゃんが集めてくれたんだ?」
「うん。面倒くさがってる割に、結構動いてくれるよね」
「面倒? マイちゃん、凄く楽しそうだよ?」
「そうかな。俺の前だとルォズヌ読みながらだりぃだりぃばっか言ってるよ」
「それはフーくんにかっこつけたいだけだってぇ」
大学生特有の寝てないアピールみたいなものだろうか、とフーマは考えた。自分も過去にやったことがあるので何も言えなくなった。前世ではなく、今世で。
放課後の教室、フーマはナージと机を向かい合わせ、意見を交わし合い、計画を煮詰めていく。……という体で、フーマは一人で脳内を紙に落とし込んでいく。
「ねえフーくん。この『予算』ってなんなの?」
「予算の出所の話? それとも内訳?」
「うぅん。よさん、ってなぁに」
「ああ、そういう。ナージってあんまお金の管理したことない? よくマイカと〈ウィンドウショッピング〉してるみたいだけど」
「うぃ?」
「んと……実際には買わないで、ただお店の商品を見るだけ、みたいなやつ」
「あー、やるねぇ。マイちゃんとよくいくよ。セゴナにきてからなんだよね。お買い物するようになったのも」
「あー……レチクラ国の孤児だとそうなるか。それじゃよく分かんないよね。予算っていうのはそもそも――」
学校の勉強はそれなりに努力してやっとこさ追いついてきているナージだが、それ以外の世間一般の常識などは、セゴナにきてから学問を修め始めたということもあり、かなり疎い。そのような背景は知っているので、多少無知を見せたとしても気落ちしたりなんてしない。分かっていてきちんとフーマの持てる権限でその役職に推薦した。
「――っていう意味があるんだ」
帳票作成の手は止めないまま、ナージに予算の意味、意義を説明した。かなり噛み砕いた説明にしたのが功を奏したか、なるほどぉ、と腕を組んで唸った。
「だから『キネンサイ』に必要なんだぁ」
「もっと大きな世界……それこそ国みたいな規模になるとね、もっと厳密にやんないといけなくなるから。学生のうちにそのおママごとみたいなのでいいからやって慣れてもらおうってのが、大人が学生に求める姿ってやつかな」
「じゃあナーちゃん大人の仲間入りぃ」
「そゆこと」
にししし、とナージと笑い合う。その様は、とても仲の良い兄妹のようだった。
「フーくんって難しいこといっぱい知ってるよね。そういうのってどこで知るの? リィお姉ちゃんみたいに本?」
「それも一つだね。俺の場合は初等部の頃、短い間だったけど、色んなとこで働いて世間勉強してたよ」
「やっぱわたしも働かないとだめかなぁ……」
「働くと色んな世界が見えるように思えるけど、大人になるってそういうことだけじゃないから。ナージはナージの方法で大人になればいいんじゃない? 音楽の力で世界平和にするなんて、本気で夢に思う人なんてかなり少ないから。俺はナージにはそんな大人になってほしいな」
「フーくんも立派な栄養士さんになれたらナーちゃん嬉しいです!」
「ありがとう。そんな風に邪気なく応援してくれる子なんてナージくらいだよ」
男連中も応援してくれるが、年頃男子としては女の子にちやほやされたいわけで。周囲の女は煽ってきたり否定してきたりアハハで済ませたりするので、素直に褒めてくれるナージは純粋に嬉しい。
「……ん、そういや、もうだいぶいい時間だろうなあ。退屈じゃない? 音楽の練習しに行ってもいいよ」
「フーくんはこの後どうするの?」
「もう少しで上手くハマるような……気が……するから、もうちょっと算盤叩くよ」
何気ない雑談をしながらだったが、それでも手は止めてない。前世はシングルタスク派だったが、文字通り脳の仕組みが違うせいか、並列処理するのが苦じゃない。むしろナージとの会話で肩の力がいい具合に抜けるのか、意外に作業が捗った。ただどうしても噛み合うような噛み合わないような、うまく数値が合わない部分がある。そこはじっくり計算したかった。
「んー……」
ナージは座ったままだと床に届かない脚をパタパタさせた。
「どうしたの?」
「たまにはフーくんとおしゃべりしたいよ!」
「……あんま俺と話してても楽しくなくない?」
「そんなことないよ。わたしの知らない世界、いっぱい知ってる。それってフーくんだけだよ」
「またまた。俺なんて全然。世界の中の雄大さをシャニは知ってるし、知識の深さをチカキは知ってる。俺なんてあがいて見せて、それっぽく見せてるだけだよ」
「でもフーくんはこうやってナゴョミのために頑張ってるよ?」
あどけない瞳の、曇りなき賞賛。飾りっ気のない簡素な言葉が、むしろ引き立たせる。
「――――。ナージはいい子だなあ」
「にへへ」
まあ手さえ動かしておけばなんとかなる。ここで終わらなかったとしても家に持ち帰ってやるつもりだ。
いつもなら音楽の練習を始めているナージだったが、今日はフーマとの触れ合いを大切にしたいらしく、こうして歓談しているわけだ。思えばこうやって一対一で雑談することなどほとんどない。ならこれも付き合いかと、それならそれで楽しむことにしたフーマだった。
「ねえねえ。いつも思ってるんだけどさ、フーくんがたまに言う言葉って、どこのほーげん?」
「方言っていうか……〈日本〉、って国の言葉なんだ」
「にぃほン……そんな国あるんだ」
「説明すんの難しいんだよね……まあ遠くにそんな国があって。俺は昔、そこで育ったんだ」
「フーくんって純セゴナ人じゃなかったっけ?」
「純セゴナだよ。ただそこで育った時期もあるんだ。そこの暮らしも長くてさ。意識してないと、ふとした時に出ちゃうわけ」
「本当にほーげんみたいだねぇ」
ナージには言わないが、さらに細かく分類するとフーマは脳内では常に日本語で考えている。
――ミナヤ・クロックに記憶を戻してもらった時に、吐き気を催す、強烈な違和感を催した。その原因の一つが言語にもあった。
フーマは十歳まではもちろんセゴナ語のみで生きてきた。そこに日本語の記憶が上乗せした際に、脳の改膜質は異物を除去しようとした。しかし脳にこびりついたそれは剥がれることなく、血栓のできた血管よろしく、脳を損傷させる。
前世では日本語、今世ではセゴナ語しか会得していなかったのも不味かった。脳内で言語を切り替えるという経験を一切していない。こうすれば対処できる、という体感がない。泳ぎを知らない者が大海に放り出されたとて、ただ溺れていくのみ。
仕方なくミナヤ・クロックは、日本語を基礎に思考し、外に出力する際にセゴナ語へ自動変換するように脳を弄った。耳や目などの外からの情報はその逆の手順を踏む。ややこしい方法だが、それによってようやくフーマという人間に楓馬という男の記憶は馴染んだ。
今となっては、両方の言語を使い分けることができるようになったし、セゴナ語のみで思考できないこともない。それでも一人の時の脳内は日本語だけで思考してしまいがち。まだ他人との会話は自動変換されるのに甘んじていた。
……その甘えのせいで、セゴナ語にはない概念の言葉だと、日本語のままで発言してしまうことにもなった。
特に栄養学について口に発音させるとなりやすい。これに関しては前世の影響が強すぎて、どうしても日本語ベースで考えがち。おかげでテンション上がると謎言語を喋り出す男扱いされている。
フーマが時折、傍目には謎な発言するのは、そんな理由からだった。
……とまあ、そんな経緯があるのだが、それを正直にナージへ説明しても難し過ぎるだろう。自分自身ですら数奇な体質を抱えていると思っている。
「ナージはレチクラ国出身だよね。随分とセゴナ語が上手だけど」
「レチクラってセゴナ語も使うんだよ」
「あれ、そうだったっけ。あそこの国って――」
そんな感じで、二人は夕日が落ちるまで、ひと時の会話を楽しんだ。




