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この村は治安がいいため、防犯のための施錠という文化が基本的には存在しない。民家だと自由に出入りするのが当たり前だ。ただ、学校には各種機材があり、遊び目的で子供が紛れ込むと危険なものだって扱っている。そういったものから防ぐという意味で、最低限の施錠は行う。守衛の人間はいないので、帰る前の施錠確認は基本的には年長者の仕事だ。学校に居残りがちなフーマは、七割がたはその役目を担うこととなる。
「……ん」
気が付けば時刻はもうすぐ日没。逢魔時。
空は赤から紫にほど近い彩色に染まり、影の長さが見て取れるほど徐々に伸びていく。
異世界に吸い込まれそうだ。
日頃見ている光景とまるで違う、日常が非日常に侵食されていくこの感覚。これを見ていると、そんな感想を抱いた。そして、そんな感想に自嘲をする。もうすでに、別の世界に来ているというのに。今更そんなことに不安がるのではない。
見回りをしていると、中庭の花壇の真ん中に人影を見つけた。少しだけ驚いたが、誰であるかはすぐに想像ついた。
「まだいたのかサクラ」
「うんー。この子たちと遊んでてー」
……当たり前のようにフーマは声をかけたが、サクラが『そういう』人物だと知らなければ、ただただ場が静まる光景が広がっていた。
花壇の中央でその小さな身体を大の字にして寝転んでいた。身体の周囲には、特別伸びた花々が、サクラの全身を纏っていた。さながらそれは、ご主人様にはしゃいでじゃれつく犬のよう。……身も蓋もない比喩をするなら、花葬か何か。
「なんて言ってるんだ」
「ううん。何も言わないよー。たださー、すごく嬉しそうなんだよねー。大きくなるのが、すーごく楽しいんだって」
「そうか」
そんなバカな、と馬鹿にする権利などない。他人の気持ちなんてわからない以上に、魔を使うる者の気持ちなんて男に推し量れるはずがない。そういう能力を持つ人間が言えば、そうなのだ。ここはそう割り切らなければいけない世界。
「どうする。俺はもう帰るけど」
「あ、じゃ一緒にかえろー。今日のおばーちゃんに、『はよぉかえってきぃさんねぇ』って言われてたんだったー」
「ならここで油売ってられなかったろ」
「そうだったそうだったー」
てへへ、と朗らかに笑うサクラの表情を見ていると、こいつ本当に世界各国を旅してきているのか、と疑問になる。中には戦争の激しい地域もあったはず。
「かえりましょーふーま君―」
そう言うと同時に、サクラにじゃれていた花たちは、しゅるしゅると茎を短くしていく。少しだけ遅く短くなっている個体は、名残惜しく思っている、のだろうか。手も使わずふわっと起き上がったサクラ。花壇で寝転がっていたというのに、背中には土一つついてなかった。
一路、帰路に着く。
「おばあちゃんって、今日は誰だ?」
「クゴコシおばあちゃんとこなんだ」
「あー、なるほど。じゃあ数日はそこで泊まるんだな」
「うん。明後日はミツヤイおじいちゃんに来てくれってお願いされてる」
「すっかり人気者だな。〈仙台四郎さん〉みたいだ」
「せんだ……なに?」
「シロウさん。俺が昔いたとこに、そういう人物がいたんだよ。すごく愛嬌のいい人物で、彼が訪れたお店は不思議と商売繁盛したんだと」
「へー。私もしろーさんみたいになれるかなー」
「もうなってるんじゃないか? じいさんばあさんたちがこぞってサクラを泊めたがってんだから」
「にへへー。みんなやさしーよねー。ナゴョミ、すごいいいとこー」
「サクラさえよければずっと居てもいいと思うぞ」
「おかーさん見つからないしー、やっぱしばらくいよーかなー」
目を細めすぎて線になっているサクラは、本当に楽しそうだった。
だから。
「…………」
母という単語を出した時の陰り。こちらがどこか悲痛な面持ちになってしまう。
「まだ痕跡も全く見つかんないのか」
「うーん……おかーさんの『空気』はいっぱいあるしー、嘘の情報じゃないのは分かってんだけどー、これだー! っていうのがなんにもないんだよねー」
セゴナ人でもなければ、ナゴョミ校の生徒でさえないサクラ。それがこうして当たり前のように村に馴染んでいる理由。それは。
母を探す旅の最中だから。
他人の事情に深く踏み込みすぎたくないので、フーマは詳細を訊いていない。自分から話してもいいと思った時がもしくれば、そこで初めて耳を傾ける。……ただまあ、それはフーマの方針であって、ナージなんかは訊いたりしたらしいが。それはそれで露骨に話を逸らすとのこと。サクラは手伝いを求めているわけではない。自分だけで探そうとしている。
ただ、『アレ』はサクラにとっても無関係じゃないんだろうな、と思う節は一つあった。奇しくもそれはフーマ……どころか、ナゴョミの土地に住まう人間なら共通の夢と同じ。
「…………」
帰り道からは少し離れたところにある小高い山に、ぽつり佇む、ナゴョミの象徴。
ここからだと遠すぎて視えるものではないが……その方角を物悲しげな目をするサクラに、どこか心打たれた。
「最近、見に行ったか?」
「一週間くらい前にー」
「その時はどうだったんだ」
「全然―。生きてるのにー、答えてくれないのー」
「ふう。まだまだだな、俺ら」
フーマは自分の手をじっと見る。まだ頼りなき細い指。
「……ねー。ふーま君―。今から見に行かないー?」
「今から? クゴコシばーさん待ってるだろ」
「遅くなるって伝えとくー」
言うやいなや、サクラはフーマより更に細く小さい指を、空高くかざす。ふわり、淡い青の花びらが、空の紅に染まず漂う。ふうと額を撫でる風。一瞬目を離した隙に、花びらはもう遠くへ赴いてしまった。
(便利だよな、女って)
思うだけで口には出さない。身体の仕組みの違いで起こるすれ違いなど、わざわざ言ったところで嫌味や皮肉にしかならないものだ。ただ、どうしても小さくない嫉妬は起きた。そんな矮小な自分を自覚しているからこそ、そこは男の意思を持って我慢する。
「それじゃ、いきましょうふーま君」
いつもと同じ言葉遣い。なのにどこか毅然とした態度を持ったサクラ。沈みゆく陽射しは心を焼いているのか。




