トエスの取り組み
ゴドワ、というのは湿地帯のただ中にある某所の呼び名だ。
三本の河川が合流していることを除けばなんの特徴もない場所だったが、洞窟衆が森東地域に進出することによって、事情が少し変わってきた。
このゴドワを通る河川は、ブビビラへと経由する一本と、さらに南下して湾岸部へ流れ着く二本とに分かれる。
つまり、今ヴァンクレスの部隊が目的地としているブビビラが無事に占拠され、湾岸部を首尾よくグフナラマス公爵家が占有することに成功した暁には、この森東地域でも重要な水運の要となると、そう予測されていた。
そのため、トエスの手勢はこのゴドワを目指して水賊衆の船に乗り込んでいたわけだ。
そうした目的はともかく、船頭のリウンが危惧しているのは、そのゴドワがここ最近、かなり不穏な場所になっていることを知っているからであった。
もともと地元豪族同士の小競り合いが常態化しているような土地であったが、山地からの複数の勢力が流入してきた現在、その侵略者と手を結んで自らの勢力を拡大しようと企てる者、そうした結果あっさりと裏切られ、地所を乗っ取られる者などが続出し、一言でいえばかなり紛糾した状態になっている。
いや、そうした事情はこのゴドワ以外の場所でも似たり寄ったりなのであったが、このゴドワに関しては、さらに不安材料が加わっていた。
そのゴドワを中心とした一帯の河川に、いつの間にか鰐頭人という異族が住み着いてしまったのだ。
この鰐頭人は、体も大きく体表も硬く力が強く、おまけに、水中でも陸上でもそれなりに機敏に動くことが出来るという、普通の人間にとっては抗しがたい性質を持っていた。
幸いなことに、船便や船の荷物には関心を持たないようで、そのおかげで水賊衆の被害はほとんどなかったが、そのかわりこのゴドワ周辺の住民にはかなりの被害が出ている。
どうやらこの鰐頭人は縄張り意識が強いらしく、河川に入ってきた人間を見つけ次第、襲うのだという。
船に乗っていればそのまま無視されるようだったが、ゴドワの地元住民はこれまで、対岸に用事がある時は泳いで川を渡っていたようだ。
川の流れがさほど急ではなく、なにより、それまで労働力を集約してそうした河川に橋を架けようとする有力者が存在しなかったからである。
船に関しても、同じような理由であまり利用されていなかったようだ。
どうもそうした地元の人間は、自分で泳いで渡れる場所のために、わざわざ船を作るのが無駄に思えたらしい。
また、普通に暮らす分には、わざわざ川を渡る必要もなく、生活に必要な物のほとんどは、地元に求めることが出来た。
つまり、そのゴドワ周辺の人間たちは、これまでかなり閉鎖的な生活様式を持っており、その習慣が外部からの衝撃により揺さぶられ、従来のように立ちゆかなくなりつつある。
というのが、現在の状況であるらしい。
そうした事情はゴドワ以外の森東地域全般で、程度の差こそあれ普通に見られる現象だった。
だが、ゴドワの場合は、そうした普遍的な要因に加えて、鰐頭人というかなり厄介な要素がある。
戦闘単位として見た時、この鰐頭人はかなり厄介な存在だった。
種族的な特性として頑強な体を持つことに加え、普段は水の中で過ごし、食事もほとんど水中水上の生物を捕食して済ませているらしい。
つまり、兵站線を潰して孤立させる、兵糧攻めもこの種族を相手にした場合、あまり意味がない。
普通の人間が正面からこの鰐頭人に戦いを挑むのはかなり困難であり、この森東地域においても、戦いを挑んだ勢力が何度かあっけなく追い返されている。
いくら洞窟衆といっても。
と、船頭のリウンは思う。
こんな小娘が率いる犬頭人の一団で、どうにかなるような相手に思えなかったのだ。
「大丈夫だって」
トエスという小娘は、リウンの心配をよそに平然とした態度を崩さない。
「ワニなら、相手にするの慣れているし」
動物のワニと鰐頭人とは、根本的に違うのだが。
と、リウンは思う。
「でも、その鰐頭人っていうのをやっつけたら、ゴドワ周辺の人たちは一目置いてくれるかな?」
トエスは、そんなことまでつけ加えた。
「そりゃあ、まあ」
リウンは頷く。
「一目置く。
そういうよりは、逆らう気をなくすでしょうな」
少なくともゴドワ周辺の住人は、鰐頭人に誰もかなわなかったわけで。
普通に考えて、その鰐頭人を退ける者が現れたら、そいつには逆らおうとはしないだろう。
「かえって都合がいいや」
トエスはそういい放った。
「まずはその鰐頭人って人たちを、大人しくさせよう」
洞窟衆という連中は、もともとどこか常軌を逸したところがあるものだったが、こんな小娘までこんな調子なのか。
と、リウンは悪い意味で感心する。
とはいえ、水賊衆として、リウンはこの連中をゴドワまで運ぶことしか契約していない。
そのゴドワに着いてから、トエスをはじめとする洞窟衆の連中がどんな目に遭おうとも、リウンが心を痛めるべき事柄ではないというのも、確かなことなのだ。
これ以上に余計な口出しをすることは控え、商売に徹するべきなんだろうな。
リウンはそう判断し、それ以降、この件については口を閉ざす。
「まずはその鰐頭人って人たちに、声をかけてみたいんだけど」
ゴドワに着いた直後、トエスはリウンにそう相談をした。
「ええ!」
リウンは、驚愕の声をあげる。
「そんな無茶な!」
「あれ?」
トエスは首を傾げる。
「鰐頭人って、ヒトの言葉がわからない?」
「いや、それは知らんが」
リウンは首を振った。
「やつらはともかく、誰のいうことも聞く耳を持たんと、そう聞いている」
「ふうん」
トエスは一応、その見解に感心をしてくれた。
「つまり、頭がどこまでいいのか、確認できた人がいないってわけか。
山地の人たちにも、事前に問い合わせておくべきだったかなあ」
異族との関係が深い山地の人間であれば、鰐頭人について、もっと詳しい事情を知っていてもおかしくはない。
などと、トエスは考えている。
とはいえ、今から問い合わせをして返答を待つような、そんな悠長な真似をしている場合でもなかった。
「まあいいや」
トエスはそう結論する。
「リウンさん。
物は試し。
一度、その鰐頭人って人たちの近くまで、船を寄せて貰えない?」
「そりゃ、やれっていわれればやりますけどね」
リウンは、肩を竦めてから竿を操る。
「やつら、船はあまり襲わないって聞いてますから」
それも、
「鰐頭人を怒らせるような真似をしなければ」
というただし書きつき、なんだろうな。
と、リウンは思う。
このトエスがやつらを怒らせないよう、リウンとしては願うしかない。
リウンはそのまま、鰐頭人たちの細長い頭部が多く浮かんでいる場所に船を寄せる。
洞窟衆が雇った他の船は、鰐頭人たちを刺激しないよう、少し離れた場所に停泊させている。
リウンの船に乗っているのは船頭のリウンとトエス、それに、尖った耳を持つ子ども二人と、トエスよりも年下に見える少女が三人、後は、荷物ばかりだった。
「ねえねえ。
鰐頭人の人たち!」
トエスは、そのまま素直に大きな声を出して、鰐頭人たちに声をかける。
「ちょっと確かめたいことがあるんですけど、誰か、相手にして貰えませんか?
こっちの言葉、わかります?」
鰐頭人たちの反応は鈍かった。
トエスの言葉を耳にしても、せいぜい気持ちよさそうに閉じていた目蓋をひくつかせる程度だ。
つまり、トエスの呼びかけは聞こえているようだが、まともに反応する気はないようだった。
「ふむ。
返事がない、か」
トエスはそういって、大きなため息をついた。
「それでは、仕方がないね。
水妖使いたち、やっちゃって」
「はいなあ」
三人の、体全体をすっぽりと覆うようなマントを着用した少女たちが、声を揃えて気の抜けた声で返事をする。
その次の瞬間、川の水面、ことに鰐頭人たちが密集しているあたりに、異変が起こった。
唐突に渦巻きが、それもかなり流れが速い渦巻きが発生し、鰐頭人たちを翻弄しはじめたのだ。
あまりにも不自然な渦巻きだった。
現に、リウンやトエスたちが乗っている船は、びくともしない。
かなり局所的な、鰐頭人たちがいる場所だけを狙って発生している。
そうとしか、思えなかった。
「ねえ、鰐頭の人たち」
トエスは、落ち着いた声で、再度語りかける。
「きちんと相手をしてくれたら、この渦巻きを即刻止められるんだけど」
「わかったわかった!」
驚いたことに、渦巻きの出来ている場所から、野太い声が返って来た。
「ったく。
いきなり精霊使いを連れてくるとはな。
どうにも始末の悪いことだ」
トエスが手で合図をすると、その途端に、渦巻きが停止する。
精霊使い?
と、リウンは疑問に思う。
この周辺ではあまり見かけないが、かなり強力な術者の中に、そういう連中がいると聞いている。
まさか、この船の中にそんな術者がいたというのか。
洞窟衆とはどうも、リウンの予測を遙かに超えて、油断がならない連中のようだった。




