トエスの交渉
「やれやれ。
危ない真似をする」
鰐頭人のひとりがいった。
「溺れるところだったではないか」
「鰐頭の人も溺れるの?」
トエスは、反射的に訊き返している。
「なんか、見るからに泳ぎが達者に見えるんだけど」
「基本的に、われらは泳がん」
その鰐頭人はいった。
「こうしている今も、地に足がついている。
魚ではないのだから、水中で息をすることもできん」
「へえー」
新鮮な情報を得て、トエスは素直に感心していた。
「なるほど」
「ところで、ヒトの娘よ」
目を剥いてそんなトエスを睨み、その鰐頭人はいう。
「われらを溺れかけさせておいて、いったい何の用件か?」
「ええっと、すね」
トエスはいった。
「この周辺一帯に、こう、ぐるりとうちの拠点を作りたいんですけど。
そうなるとちょっとばかし、この水中水上も賑やかになると思うんで、皆さんにも事前に了解を取っておいた方がいいかな、と」
「了解、か」
鰐頭人はいう。
「本来であれば、好きにせよというところであるが。
が、わざわざこうしてそんな内容を告げに来ていることを考えると、よほど大がかりなことを考えておるのだろうな。
この辺のヒトにそんな甲斐性はなかったと思うのだが」
「ああ、わたしら、ここいらの人間ではないっす」
トエスはそう告げる。
「そちらがご存じかどうかわかりませんが、洞窟衆って組織の者でして」
「洞窟衆だと!」
その鰐頭人は、覿面に動揺した。
「かのルシアナを倒した男が首領をしている組織ではないか!
なぜ先にその名前を出さん」
「いや、なんというかその、はなしの流れで」
トエスは、そう応じておく。
内心で、
「そのルシアナ討伐に自分も参加していたことは、ここでは伏せておこう」
と、そう決心していた。
あの討伐は、どうやらトエスたち身内よりも外部の者たちの方に、よほど大きな事件であると、そう認識されているらしい。
「洞窟衆ということであれば」
トエスの動揺を知らず、その鰐頭人は続ける。
「なるほど、かなり大がかりな事業にはなるのであろう。
ヒトも船も、今までとは比較にならぬほどに増えるのであろうな」
「そういうことになります」
トエスはいった。
「こちらとしても皆様の生活を騒がしくすることは本意ではないのですが。
出来れば、こちらがやることの邪魔立てをしないでいただければと、そうお願いにあがった次第でして」
トエスとしては、出来るだけ穏便に済ませたいところだった。
なにせここは、周囲をいつ敵に回るのかわからない人たちに囲まれている場所なわけで。
そんな孤立した場所で、鰐頭人たちとも対立するのは、やはり避けたい。
鰐頭人たちがこの場から立ち退きたいとか、そのために、なんらかの対価を要求してくるようであれば、出来るだけその希望に沿うよう、手配をするつもりだった。
「周辺のヒト族には、もう了解を得ているのか?」
鰐頭人が、そう訊ねてきた。
「それも、これからのことでして」
トエスは素直に明かす。
「なにせわたしらがこの土地に乗り込んだ第一陣。
そうした下準備も含めて一切合切、これからおっぱじめようって段階です」
「そうか」
その鰐頭人は、目を閉じて何事か考え込む。
「そういうことならばいっそのこと、われらを洞窟衆で抱えてはみないか?
われらは、体も大きければ見てくれもいかつい。
少なくとも周囲のヒト族ばらを脅しつけるのには、適しているかと思うが」
「はい?」
想定外の提案をされて、トエスは反射的に訊き返してしまう。
「ええっと、その。
正直にいって、そういうことはまったく想定していなかったんで、一度詳しい事情をそちらから聞いてから、上に判断を仰いでみてもいいっすか?」
少し考えた末、トエスは漠然と上の方を指さして、そう確認してみた。
「そうするのは、当然だわな」
その鰐頭人は、そういって喉の奥をゴロゴロと鳴らした。
「少なくとも慎重に、本気で検討しようと思えば、即答を避けるのは正しい態度といえる」
「あー、そうっすね」
トエスは、適当に相づちを返しておく。
下手をすると、この鰐頭人は普通の人間よりも理性的な判断能力を持っているのではないか。
案外、この交渉は、すぐに自分の手には負えなくなるのではないか。
この時点でトエスは、そう予感していた。
いつまでも船上と水中で長話をするわけにもいかなかったので、トエスたちは上陸し、改めて会談の場を設けることになった。
船頭のリウンは鰐頭人のことを警戒し、もっと十分な準備をしてからにしろといった意味の忠告をトエスにしたが、トエスはそれを無視して鰐頭人の提案をそのまま受け入れる。
トエスは性格的に、決着をつけるべき案件は早めに処理をした方が気持ちがいいと、そう感じる人種だったからだ。
それ以外に、水妖使いの三人や犬頭人など、連れてきた連中の実力をかなり評価していた、ということもあるのだ。
ともかく、トエスはリウンから見たよりもよほど慎重に動いている。
この鰐頭人たちが今この場に居る者たちで対処できない存在であったら、それに対抗出来るのは、洞窟衆の中でもかなり限られた人間だけになってしまう。
それに。
と、トエスは思う。
それまでに交渉してみた感触として、あの鰐頭人たちはかなり会話が通用するように思えた。
同じ人間でも、あのゴロジオ国王のようになにを考えているのかまったく理解できない存在もいるわけで、たとえ異属であっても、
「普通に会話が出来る」
存在ならば、どうにでもなる。
これ以上の交渉が円滑に進むのか、それとも決裂するのかは、実際にやってみないことには明確な予測がつかなかったが。
結果として決裂したとしても、それはそれで納得のいく結果にはなるのではないか。
この手の交渉について、トエスは自分の能力を過信していなかった。
何度か経験すれば、その中のいくつかは必ず失敗するものと、そう達観もしている。
今のトエスとしては、たとえ交渉が失敗するにしても、後になって禍根を残すような決裂の仕方をしなければいい。
と、そんな風に割り切っている部分もあった。
条件面で鰐頭人が要求する対価を洞窟衆側が用意することが出来なければ、それでこの交渉はご破算になる。
仮にそうなったとしても、それはそれで別にいい。
少なくとも洞窟衆にとっては、そんなに大きな過失とはならない。
と、トエスは思っている。
本来、楽天的な性格でもあり、失敗することを過度に恐れないのは、このトエスという少女の長所でもあった。
「それで、そちらとしては、労働の対価としてどういう物を欲しいとおもっているわけっすか?」
会談の場が設けられ、開口一番にトエスはそう切り出す。
「協力してくれるのは大変にありがたいんすけど、こちらで用意出来る物と出来ない物があるんで、先に条件を確認しておきたいっす」
金銀財宝、ではないんだろうな、と、トエスは予想している。
そもそも、そうした貴金属ならば、こちらよりも山地の方がよほど豊富だ。
この鰐頭人がわざわざ森東地域にまで降りて来ている以上、そうした物を欲しがるとは思えなかった。
「当然の疑問であるな」
トエスの前には、三人の鰐頭人が地面にしゃがみ込んでいる。
「報酬の確認から入るのは、実際的でもある」
鰐頭人たちは、本人も自称していたように、体が大きかった。
そうしてしゃがんでいても、目の位置が大人の背丈よりも高い。
そして、顔が長くて、口を開くとその縦長の顔にぎっしりと鋭利な牙が並んでいるのが見える。
いくら人間の言葉をしゃべるとはいっても、これでは普通の人間は怖がって近寄らないわなあ。
と、トエスも思う。
「通常、うちの報酬は金銭で支払われます」
念のため、トエスは確認をしておく。
「それに合わせて貰うのが、こちらとしても一番やりやすいのですが」
「硬貨、金貨や銀貨、あるいは銅貨などのことだな」
鰐頭人はトエスの言葉に頷く。
「知っておる。
ヒト族が扱う事物に価格をつけるための指標となる代物だ。
あれはあれで便利だとは思うが、われらは普段、そんなに頻繁にヒト族とつき合いがあるわけではない。
その金銭とやらもあればそれに越したことはないが、積極的に欲しいかといわれると、正直首を傾げる」
人語を解するだけあって、人間社会の風俗にもそれなりに通じているようだった。
ま、そっちの方が、こちらも余計な説明をする手間が省けるんだけど。
と、トエスは思う。
「その金銭があれば、大抵の物は手に入ると思うんですがねえ」
トエスは、そういった。
「それ以外になにか、欲しい物がありますか?」
「さて、それだ」
鰐頭人はそういって、大きく頷いた。
「こうして山地から平地に移ったはいいが、この近辺で調達できる鳥獣は山地の物と微妙に異なっていてな。
いや、食べる物には事欠かないのだが、ときおりこう、無性に山地の生き物が欲しくなる」
「はぁ」
トエスは、曖昧に頷いた。
「山地にしかいない、鳥や獣ですか。
その肉を缶詰にして、定期的にこちらに持ち込むことは可能ですが」
ただ、それを実現するためには、缶詰工場の設営から冒険者ギルド経由で特定の種の鳥獣を集めるなど、相応の準備が必要になる。
割に合うのかどうか、だよな。
と、トエスは思った。
洞窟衆として、この鰐頭人のために、そこまで労力をかける必要があるのか。
その判断は、この場でトエスが行うことは出来なかった。
「いや、缶詰についても知っている。
その缶詰でも、別にいいといえばいいのだが」
内心で困惑しているトエスに向かって、鰐頭人はさらに困難な要求を突きつけてきた。
「出来れば山地の動物を、生きたまま、ここまで定期的に届けて貰いたい」




