ヴァンクレスの出立
「よし!」
その報せが届いた時、ヴァンクレスは大きく叫んだという。
「ようやく、好きに暴れていいってお許しが出たぞ!」
「いや、別に好きに暴れていいってわけではなくてですねえ」
大股で厩舎へと急ぐヴァンクレスを追いかけながら、スセリセスがいった。
「あくまで、南進の許可がおりたってことですからね!」
「やることは別に変わらねーだろ!」
ヴァンクレスは振り返りもせずにいった。
「邪魔するやつを蹴散らしながら、まっすぐに、なんだ、なんとかって村までいってそこを占拠する!」
「いや、そうなんですけどねえ」
スセリセスが慌てて反駁する。
「今回は今までとは違って、兵站など十分な支援が望めません!
戦いそのものには勝っても、入った先で孤立して立ち往生するって可能性もあるんですよ!」
「なに、そういう難しいことはうちの大将に任せておけばいい!」
ヴァンクレスはそういって、愛馬を厩舎から出す。
「そういう悪だくみの下準備には、手を抜かねえ人だからな!」
ハザマは、勝てないいくさをはじめることはない。
その手の状況判断について、ヴァンクレスはハザマの判断を完全に信頼していた。
そのハザマが、表面的には多少危うく見えるにせよ、
「進軍してもいい」
といって来たということは、なんらかの目論見が背後にあるはずなのである。
ヴァンクレスは戦場を大局から見るような能力は持たなかったが、目前の戦いや戦術レベルのことについては野性的ともいえる直感力を持っていた。
「こうすれば勝てるな」
あるいは、
「これでは勝てないな」
という推測をする勘働きともいうべきものが、常人よりもよほど鋭いのだ。
そのヴァンクレスの経験からいっても、これまでこの手のことに関して、ハザマの判断が間違っていたことはない。
前提条件を出来るだけ自分の有利になるように整えてから、ようやく戦端を開くタイプの人間だった。
逆にいうと、そうした準備が整うあてがない場合は、決して自分から積極的に攻めにいったりはしない。
この森東地域に関しても、これまで消極的な交戦しかしてこなかったのは、つまりはハザマが洞窟衆側にとって有利になる局面が見通せなかったからだろう。
その方針が変わったということは、つまり、ヴァンクレスが関知しない場所で、これまでの前提条件を崩すようななにかしらの変化が起こったせいではないのか。
単純に動いているように見えて、ヴァンクレスは彼なりにそこまで推測した上で動いている。
多少危うい部分があるのは、これは仕方がない。
これまでの洞窟衆の戦いぶりを振り返っても、多少の危険要素は含んだ上で、それを前提にして最善を尽くすような形が多かった。
それに、戦場とは所詮生き物である。
こちらの思惑を超える障害は普通に起こるものであったし、そうした危険を忌避していただけでは、戦場ではなにも出来ない。
スセリセスが指摘をするような難点なぞ、ハザマならばすでに承知しているはずなのである。
その上で、進軍の許可を出したということは、そうした難点を解決するあてが出来たのか、それとも、危険を承知で急がねばならないなんらかの事情が出来たのか。
その、どちらかであった。
そしてそのどちらにせよ、ヴァンクレスがここで二の足を踏む理由にはならなかった。
「ついに動いたな」
厩舎には、ネレンティアス・シャルファフィアナ皇女が先に着いていた。
「詳細については、追って知らされよう。
まずは急いで出立することこそ肝要」
「だろう」
ネレンティアス皇女の言葉に、ヴァンクレスは大きく頷く。
「いくさにゃあ、機ってもんがある」
「まずはすぐに発てる者だけで行くことにしよう。
足並みが揃うのを待っていても、どうせ途中で脱落する者が出てくる」
「今回は、ええっと、なんとかって村を一刻も早く占拠するのが目的だっていうしな」
「ブビピラだ。
今の時点ではなんの特徴もない寒村だというが、その近くに王国方面から街道を通す予定らしい」
「その道が通る前に、出口を確保しておこうってことか」
ヴァンクレスはネレンティアス皇女の言葉に頷いた。
「だったら単純だ。
なんなら、おれ一騎だけでもそこに着けばどうにかなる」
「ろくな備えもないだろうから、そこまで着けば本当に単騎でも占拠できそうであるが」
ネレンティアス皇女は、諭すような口調でヴァンクレスにいった。
「今回の場合、その目的地よりもそこへ至るまでの道中が危ない。
距離が長すぎる」
「周り中、敵だらけ。
その上、補給をするあてもない」
ヴァンクレスは、そういって頷く。
「ブビピラっていったか。
そこまで、どれほどだ?」
「通常の早馬でも、二十日以上はかかると聞いている」
「おれなら、せいぜいその半分くらいでいけるな」
ヴァンクレスはこともなげにそういった。
「そして、そのくらいの日程ならば、特に補給も必要がない。
必要なもんは、道中で調達すればいい」
買うか、奪うか。
ヴァンクレスにしてみれば、どちらでもその場で手っ取り早い方法を選択するだけである。
「というわけで、スセリセス!」
ネレンティアス皇女は、唐突にスセリセスの方を振り返っていった。
「お主はこの場にて騎馬隊の態勢を整え、それが終わってからわれらを追うといい。
後詰めも大事、万端に準備を整えてから出立せよ!」
「ええ、はい」
戸惑いつつ、スセリセスは頷く。
「そうせよとおっしゃるのならば、ええ」
正直、不安な気持ちは打ち消せない。
だが、この場では時間が大事だということも、それなりに理解が出来る。
この二人がいうように、まずは先行できる者を先に出して、それ以外の者が補給物資などを携帯した上でその後を追うのがいいのだろう。
この先にまで、洞窟衆の通信網は届いていないのだが、その代わり、最寄りの洞窟衆支部まで転移できる札を、ヴァンクレスもネレンティアス皇女も何枚か持たされている。
いざという時の連絡に不自由することもなかった。
結局、ヴァンクレス麾下の騎馬部隊、それに、ネレンティアス皇女麾下の私兵とはまず少人数で先行し、それから半日ほど遅れてスセリセス率いる騎兵部隊がその後を追いかける形となった。
人数からいえば、スセリセスが率いる部隊は、先行した部隊の四倍強になる。
人馬だけではなく、多くの物資を馬の鞍にくくりつけての出発であった。
森東地域でもこの周辺より南は、整備された道が少ない。
馬車も、安心して運用できるような土地柄ではなかった。
これまで、積極的な攻勢に出てこなかったのに、いきなりこんな命令が来たということは。
スセリセスはスセリセスで、今回の件について考えを巡らせる。
多分、どこかで、情勢が変化するようなことがあったんだろうな?
その結論は、ヴァンクレスが考えたものとほぼ同じだった。
そうとでも考えなければ、いきなりブビピラなどという、これまでに聞いたことがない村を急ぎ占拠せよなどという命令が下るわけがない。
ネレンティア皇女によれば、そのブビピラは森の中を横断する街道の出口付近に位置するという。
だとすれば、その情勢の変化には、街道がなんらかの形で関係しているはずだった。
一日も早く、その街道の出口を味方の管理下におかねばならない必要性、とは?
普通に考えれば、街道が開通する日が近づいている。
と、そう考えるべきだったが、件の街道がまだ着工してから日が浅いという事実も、スセリセスは知っていた。
つまり、今回の方針転換は、かなり不自然なのである。
なにがあるのか?
なにが起こったのか?
こちらの現場まで降りてくる情報は限られていたので、この場でスセリセスがいくら思案をしたところで満足のいく回答は得られなかった。
ただ、スセリセスが知らない場所で、なにか大きな変化が起こった、ということはまず確かに思えた。
この森東地域も、いよいよ戦乱に入るのか。
スセリセスは、そんな風に思う。
ヴァンクレスたちが、そのブビピラとかいう村を占拠すれば、それですべてが終わるようにも思えなかった。
多分、この一件は、あくまでこれから起こる大きな戦乱の、最初の一歩に過ぎないのだろう。
国境紛争、ガンガジル動乱、スデスラス王国の争乱。
これまで、ヴァンクレスの背中を追うようにして数々の戦場を渡り歩いてきたスセリセスであったが、ここ森東地域も、そうした大きないくさと比肩しうる戦いになるのではないか。
情勢の複雑さからいえば、この森東地域は、これまでにスセリセスが通ってきた戦場とは比較にならないほどの複雑さを秘めている。
上の人たちは、こんなに入り組んだ土地をどう治めるつもりなんだろうか。
と、スセリセスは、疑問に思う。
ヴァンクレスにせよ、それ以外の洞窟衆関係者にせよ、戦場で敗れることは、スセリセスにはあまり想像が出来なかった。
その代わり、このいくさが終わった後に、この森東地域がどんな形に変容しているのかは、もっと想像が出来ない。
多分、上の人たちには、スセリセスなどには見通せないほど遠い場所まで見通した上で、なんらかの展望を持って動いているのだろう。
なんだかんだいって、洞窟衆はこれまで、そうした目的を持たずに場当たり的に動いたことがないと、スセリセスは見ている。
細かいことなどは、かえって現場の判断にそのまま委ねるような傾向があったが、その代わり、戦略的な大目標に関しては、割合しっかりとしたビジョンを持って、それを堅持する傾向を、洞窟衆は持っている。
今回、ヴァンクレス麾下の騎兵部隊の出動が許されたということは、つまりはその目標がようやく定まった、いいかえれば、洞窟衆がこの森東地域をどのようにしたいのか、そのビジョンが定まったということを、意味した。
しかし、スセリセス自身は、この時点でそこまで遠くまで見通す位置には立っていない。




