ガグルバイド伯爵との交渉
「ハザマ領が帝国の直轄地になれば」
ガグルバイド伯爵は説明しはじめた。
「その領土を損なうことは許されません。
そうならないためにも、ハザマ領周辺区域の治安を維持しようと努めることは、意味があると思います。
ただ、なにぶん当地は帝国からあまりにも遠い。
そのため、帝国が可能な援助も極めて限定されたものになるということは、あらかじめご承知おきください」
「ハザマ領が帝国の一部となったその時は、外部からの侵略を許してはならない、と」
ハザマは、その説明に頷く。
「そうした事態を防止するために、今のうちから支援をしてくださるということですね」
ありがたいことだ。
と、ハザマは思う。
とはいえ、ガグルバイド伯爵が指摘をしたように、帝国からハザマ領まではあまりにも遠い。
その帝国からの支援も、現実的に考えればおのずと限定された物にはなるだろう。
たとえば、帝国からまとまった人数の援軍をここまで運んでくることは、物理的にいって不可能といえた。
だとすると。
「具体的に、帝国はどのような支援を考えているのでしょうか?」
「戦費を負担させていただきます」
ガグルバイド伯爵はハザマの問いに即答をする。
「せめて、心置きなく戦い続けることができるように。
とはいえ、無条件で帝国が費用を負担することも帝国配下の諸国に対する体面として都合が悪いので、実際にはハザマ領に戦時国債を発行していただき、帝国がそれを買い取るという形を取ることになるでしょうが」
「なるほど」
ハザマは頷いた。
「そういう形でしたら、確かに当面の軍資金に困ることはなさそうですね」
ハザマ領が発行した戦時国債を帝国が買い取る。
帝国が無償でその戦費をハザマ領に与えるわけではなく、ハザマ領が帝国に借金をする、という形になる。
利子や返済期間などの条件面は自由に設定でき、その上、当面の戦費に困らない状況を作り出すことが可能となるのだ。
軍資金の心配をすることがなくなる。
というだけでも、ハザマ領側としてはかなりありがたい申し出といえた。
「こちらとしてはありがたいのですが」
ハザマは、念のためにそう訊ねる。
「そこまでのことをして、帝国はどんな利益を受けるのでしょうか?」
ハザマにいわせれば、帝国のこの申し出は気前がよすぎるのである。
裏になにがあるのか、勘ぐってしまっても別におかしくはなかった。
「先ほどもいいましたように、ハザマ領周辺の平和」
ハザマの質問を予想していたのか、ガグルバイド伯爵は即座に答えた。
「先ほど説明したこの目的も、決して嘘ではありません。
それ以外にも、帝国はハザマ領に対して期待を寄せています。
いくつかの要因があるのですが、その中で最大の物は人材と文化、その衝突から得られる文物などの成果物が、今まで以上にハザマ領から出てくることを期待しています」
その返答を耳にして、ハザマはにわかにはその内容を把握できなかった。
怪訝な表情をして黙り込んだハザマの様子を確認して、ガグルバイド伯爵はさらに説明を続けた。
「当地ハザマ領は、山地と平地の間に位置し、両者から人材が往来、あるいは衝突をする場所です。
そこから出て来た産物、各種加工品などの形のある物はもちろんのこと、それ以外の形がない物、つまり、価値観や思想などの潮流が、ハザマ領から帝国配下の広大な版図に広がっていくことを皇帝陛下はお望みです」
「そういうことですか」
ハザマは、ようやく頷いた。
「それならば、どうにかお役に立てるかと思います」
つまり帝国は、どうやら無形の情報商品、その価値を認め、洞窟衆にそうした商品をもっと増産することを期待しているらしい。
わかりやすい例でいえば、洞窟衆が日々発行しているような書籍になるだろう。
ただ、物理的な本に価値を認めるというよりは、そこに書かれている内容を生み出すような土壌を、もっと豊穣にすることを望んでいるらしい。
こんな世界で、ソフトパワーの価値を認める勢力がいるとはなあ。
と、ハザマは内心で感心していた。
そうした生産性を高めるためには、最低限の治安を長期的に維持することは必要だったし、それ以外に、山地と平地だけではなく、もっと雑多な文化や人種が安心して往来できるような場所を保持することが必須となる。
ハザマ領が森東地域に一定の地保を築き、その住人が日常的にハザマ領に来るようになれば、それもまた新しい文化や価値観の源泉となるはずだった。
帝国は、ハザマ領にそうした、文化的なハブとなることを期待しており、そこでの成果をもっと広い領域に輸出していくことも望んでいる。
帝国は情報や文化が持つ力や価値をそれだけ認めているというわけで、そのセンスは王国周辺の平地諸国や山地方面の指導者層と比較しても、かなり進んでいるのではないだろうか。
「そういうことでしたら、ありがたくお世話になりましょう」
ハザマは、そういった。
『よろしいのですか?』
通信で、マヌダルク姫がハザマに確認をしてくる。
『あまり帝国に借りを作っても……』
『どのみち、おれたちはすぐに帝国の支配下に入る予定になっています』
ハザマは、やはり通信で穏やかな口調で説明をする。
『おれにしてみれば、帝国がハザマ領を乗っ取ってくれるのならば、かえって歓迎をしたいくらいでして。
いや、冗談はともかく、おれたちの背後に帝国が控えているってことを外部に知らせるだけでも、敵を萎縮させる効果はあるかと思います』
ここでは冗談といっておいたが、なんならハザマ領が帝国に乗っ取られても構わない、というのは、意外にハザマの本音でもある。
ただ、帝国がハザマ領に望んでいる物が本当にガグルバイド伯爵が語ったままのものであったら、ハザマがハザマ領をどのように統括するのかという過程すら、帝国はハザマ領の成果物と見なしているはずでもあり。
つまりは、ハザマが領主稼業から足を洗う日は、当分来そうにもなかった。
「タマルを呼んでくれ」
ハザマは傍らのリンザに顔を向け、そういった。
「ここからは商談、それもかなり大きな商談だ。
おれがやるよりはタマルに任せた方がいい」
書類の束を抱えてやって来たタマルは、早速ガグルバイド伯爵との「商談」を開始した。
ハザマはその交渉に参加するつもりはなかったが、一応、同席している。
タマルの説明は詳細で、つまりはどれくらいの予算が必要になる予定なのか、かなりの幅を設定した上でガグルバイド伯爵に説明をしているらしかった。
「兵糧などもすぐに不足するはずなので、今まで以上に遠くまで穀物を買い入れるために交渉に赴く必要がある」
とした上で、この戦乱が短期間で終わった場合と長期に及んだ場合の影響の差、特に洞窟衆側が負担をすることになる戦費の予想額などについても、かなり具体的な数字をあげて説明をしている。
ガグルバイド伯爵はといえば、基本的にはおとなしくタマルの説明を聞いているのだが、ときおり短く質問を挟みながら対応していた。
どうやら、タマルが説明する内容を、完全に理解しているらしい。
能吏ってやつだな。
と、ハザマは感心した。
帝国から、これほど大きな案件に対してある程度の裁量権を与えられた上で派遣されているのだから、ガグルバイド伯爵が無能なわけはないのだが。
それでも、伝聞でしか知らないはずのこちらの状況を完全に把握した上で、かなり突っ込んだ予算の説明を理解できるというのは、ハザマにいわせればかなりの傑物ということなる。
おそらく、ここまで有能な人物は、この周辺にはほとんどいないのではないか。
とも、思った。
これまでハザマが知った王族や貴族にしても、統治に関する具体的な内容をここまで細かく理解している者は、ほとんどいない。
そのガグルバイド伯爵も、帝国の中では数多く存在する家臣の一人でしかない。
その事実に、ハザマは内心で戦慄しさえした。
国として、組織としての規模が大きいだけあって、帝国の人材は、ハザマが想像する以上に豊富で層が厚いのだろう。
別に媚を売る必要もないのだが、間違っても帝国とことを構えるようなことをしてはいけないな、と、ハザマは心の中でそんなことを思う。
以前にも、似たようなことを考えたことがあったはずだが。
「男爵」
タマルとガグルバイド伯爵との交渉が終わらないうちに、リンザがハザマに耳打ちをしてくる。
「今度はなんだ?」
「治安維持軍のケイシスタル・ワデルスラス姫様から通信が入っております」
「今度は治安維持軍か」
ハザマはそういって頷いた。
「お前がこんな時に取り次いでくるんだから、それなりに緊急だとは思ったが」
あっちからこっちからも。
と、ハザマは思う。
こんな混乱をした時には、一度にどこからでも連絡が来るもんだ。
それだけ、どの勢力も情勢が読みにくく、必死で自分の勢力にとって有利な道を模索している、ということなのだろうが。
『どうも、おひさしぶりですね』
ハザマは、声には出さずに通信のみでケイシスタル姫に伝えた。
『スデスラス王国でおれが姿を消した時以来ですか?』
『あの時も、おぬしの姿は遠目に確認した程度であったがの』
ケイシスタル姫の声は落ち着いていた。
『今日連絡したのは他でもない。
あの森を貫通する街道のことであるが』
『このタイミングで連絡をしてくるってことは、その用件なんでしょうね』
半ば予想をしていたハザマは、あっさりと頷いた。
『それで、治安維持軍はなにをお望みで』
『一刻も早く、あの街道を開通させることを』
ケイシスタル姫は、即答をする。
『そのつもりで敷設現場に人を送り、アルマヌニア公爵にも協力をする旨、了解を取っている。
あれが開通すれば、そこから森東地域に兵を送り込むことが出来るからな』




