ハザマ領の現状
山地は山地でなんだか揉めている地域も多いらしい。
基本的に、人口に対する食糧生産量が間に合っていないという土地柄でもあり、そのために洞窟衆もこれまで膨大な穀物類などを山地に輸出している。
とはいえ、広大な山地の全域をカバーする輸送網を構築することは不可能であったので、洞窟衆によって十分な食糧を得ることが出来た地域は、山地全域と比較するとごく限られた部分に過ぎなかった。
そして冬場になると、山地は標高が高い場所ほど積雪などを原因として交通の便が悪くなる傾向があり、こうした要素も紛争が頻発する要因となった。
目先が利き、なおかつ事前に準備を行うほどの余裕がある部族などは平地方面に働き盛りの人間を出稼ぎに出して食糧の消費量を減らしたりしているのだが、そこまで計画性がない、あるいは短絡的な連中はもっと手っ取り早い方法として近隣の集落を襲うなどして略奪という形で必要な食糧を補充しようとする。
山地のほぼ全域が食糧不足になっているわけで、こうした略奪の玉突き状態が連鎖して山地からはじき出された連中が平地に降りてきて森東地域での騒乱に一役買っていたりする形であった。
ハザマ領の周辺に関しては洞窟衆によるサポートがかなり行き届いていたのでそうした混乱はあまり見られなかったようだが、洞窟衆の影響圏からすこし離れた場所ではかなり荒廃した状況になっているらしい。
ルシアナが健在時には、かなり強引な形であるにせよ、どうにか秩序を保っていたそうだが、その箍が外れた現在は多少乱暴なことをしてもそれを抑制出来るほどの勢力があるわけでもなく、部族連合に至っては組織としての体制をどうにか保っているので精一杯であり、そうした各所で起こっている紛争を調停するだけの余力はなさそうだった。
王国もだが、現在はハザマ領周辺のあちこちで内輪揉めが起こっている状況であり、ハザマ領自体は至って平穏な、台風の目的な平和を享受していた。
別にそうなるようにハザマが仕向けたわけではなく、どちらかというとハザマの出現以前から用意されていた火種が様々な変化を経て続々と炎上しているような形であるわけだが、ハザマとしてはこの状況は都合がよかった。
外部から余計な干渉を受けることを考えずに、足元を固める猶予となったからである。
これまでに続けてきた各種の事業についてはそのまま継続してやって貰い、その上でハザマはハザマ領が独立国家としてやっていけるだけの土台を作るためにしばらく専念することにした。
王国や帝国との細かい交渉も引き続き継続しているし、ルシアニアの都市計画についても、若干必要となった予定の変更も含めて担当者と綿密に打ち合わせをした上で進行して貰っている。
そうしたルシアニアの造営についても膨大な資金が必要になるわけだが、今のところ洞窟衆の各事業はほぼ例外なく成長中であり、資金に困るということはなかった。
森東地域へ進出したこともあり、輸送関係は慢性的な人手不足であり、その他、各種製品の生産についても作る端から売れていて、手を休める暇がない状態だ。
従来の体制が持っていた歪みが一気に表面化した最近の混乱に乗じて、洞窟衆だけが一人勝ちをしているような状況であり、少なくともハザマ領周辺に限ってはかなり景気がよかった。
ハザマにとっては極めて都合のいい状況であるといえたが、この現状についてハザマは、
「いつまでもこんな状況が続くとは思えない」
と警戒する気持ちが強い。
山地にせよ王国にせよ、今は混乱しているにせよ、いずれは体制を立て直し、以前よりも強靱な体制に再構築してくる可能性は十分にあると、ハザマはそう考えていた。
いや、そうなるまでにかかる期間は予想できないが、必ずそうなるはずなのだ。
指導者が総入れ替えになるにせよ、土地の生産量自体はそんなに変わるものではない。
王国などの平地では農業生産量が、山地ではそれに加えて鉱物資源の産出量が経済力の指標となるわけだが、そうした根底の資源が変わらない以上、いや、様々な技術革新のお陰で従来よりも効率的になっている以上、いずれは混乱状態から脱してなんらかの体制が勃興してくるはずであり、ハザマ領としてはそうした周辺の勢力と対等に張り合うだけの力を今のうちに蓄えておく必要があった。
ま、コネだろうな。
と、ハザマは洞窟衆あるいはハザマ領の強みをそう認識している。
農業なり鉱業なりの自然の資源をあてにすることが出来ないハザマ領は、それらの交易を通じて資金を稼ぐのが一番手っ取り早い。
そうした資源を輸入してそのまま、あるいは加工して付加価値を加えた上で輸出し、利益を得る。
そうしなければ、領内の関係者を養うことが出来ない構造になっているのだ。
基本的に、洞窟衆の収益は輸送や加工に関わる人件費の占める割合が多い。
それ以外に、領内の不動産を貸し出して得る家賃収入なども最近は増えつつあるのだが、比率からいえばやはり人件費が収益のほとんどを占める。
そしてそうした人件費は、賃金としてその大部分を実際に働いた人間に還元する必要があるわけで、洞窟衆自体の収益効率は実はさほどよいわけでもなかった。
ただ、洞窟衆経由で仕事に就いている人数が膨大になるので、結果として洞窟衆にも膨大な金額が残る結果となってる。
こうした構造も、現在のようにうまく回っている限りは問題がないのだが、なにかトラブルが起こってある日突然機能しなくなる可能性も十分にあった。
洞窟衆が扱っている業種は多種にわたり、また、交易路もかなり広範囲に広がっているのでそのすべてが一気に全滅する、という事態はまず起きないとは思うのだが。
それでも、こうした交易を中心とした経済構造をしている限り、ハザマ領は所詮周囲の勢力とのつき合いを配慮しながら共存を図ることでしかうまく運営をする道がないわけで、これはもう地理的経済的に見てもほとんど固定した構図なのである。
無論、ハザマにしても未来永劫に洞窟衆が繁栄をするようなことまでは望んではいない。
というか、未来になにが起こるのか予測が出来ない以上、そこまで責任を持つ必要はないと思っていた。
想定外の天変地異や技術革新など、現在洞窟衆が持っている優位がひっくり返り、無効になる要因はいくらでも考えられる。
しかし、これから結婚しどうやら家庭を持つことになるらしいハザマとしては、せめて自分の子どもか孫の世代くらいまでには洞窟衆が現在と同じくらいには健在でいられるようにするつもりだった。
そのためには。
「まず、人だよな」
と、ハザマは呟く。
教育や通信など、情報に関わる産業を重視する。
これは、ハザマが当初から一貫している方針だった。
そのため、早い時期から印刷業を起こし、力も入れている。
商売としての旨味が多いから、という理由もあったが、印刷物という形で正確な知識や情報を流布することによる波及効果も、ハザマはかなりあてにしていた。
比較的廉価な形で知識をばらまけば、後は特になにもせずとも勝手にそうした知識を吸収して実生活に役立てる、あるいは自分の仕事に生かす人間が相当数、出てくるだろうと、そう予想していたのである。
その予測は、ある意味ではハザマが想定していた以上に当たっていた。
洞窟衆が発行した印刷物は、現在では洞窟衆の交易範囲を超えて広がっている。
印刷物そのものもだが、それ以上にそれを筆写した物が膨大に出回って広まっているという報告を、何度か受けていた。
体系的に記述された知識というものがこの世界においてどれほど貴重で商品価値があるものなのか、その認識についていえばハザマの予測は完全に甘かったということになる。
とはいえ、どのみち現在の状況でも洞窟衆の印刷所はオーバーワーク気味であり、勝手に洞窟衆の製品を書き写して売買されても特に不快には感じなかった。
この世界には著作権などという概念は広まっていないし、なにより、そうした知識に対する貪欲さを押しとどめる方法も思いつかなかった。
とにかく、そうした洞窟衆の出版物、その内容がこの短い期間で想定外に広まっていることは確かであり、いくつかの分野では事実上、定番の基礎知識扱いされている。
そうした書物は算術や簿記の他に初歩的な魔法や薬学などを伝えているわけだが、このまま行けばそうした知識がこの世界での標準になりそうな勢いだった。
ハザマは、そのこと自体に不快には思わなかったが、
「こんなんでいいんかいな」
という困惑は、感じている。
そうした印刷物の内容はほとんどが元からこの世界に存在していた知識であり、ハザマ自身はほとんど関与していない。
そうした既存の情報を整理して印刷するだけでも十分に商売になる、というあたりに、この世界での情報インフラの脆弱さを物語っていた。
ただ、こうした印刷技術もすでに広がりを見せ、洞窟衆以外の勢力による印刷所も続々と開設しているそうなので、もう少し時間が経てばごくごく平凡な、存在して当たり前の技術になっていくだろう。
そうなったときに、この世界にはどれほど書物が氾濫することになるのか。
その影響は、かなり大きくなるのではないかと、ハザマは推測する。
とりあえずハザマとしては、ルシアニアに巨大な、洞窟衆が発行する書物をすべて収めた図書館を建造するようには指示を出していた。
図書館とは呼んでいるがそこでは入場料を取り、蔵書も売る予定でいる。
中に入って蔵書の内容を書き写してもよし、内容を確認してから本を購入してもよし。
元の世界でいえば、ネカフェと本屋をいっしょにしたような空間になるはずだった。
造営中のルシアニアという都市の性質を考えると、そうした施設は必須なのだ。




