王国貴族の価値
「ありゃ、弾かれちゃった」
巨人の元へと向かう馬車の中で、千里眼のディアーナが舌打ちをした後、軽い口調でいった。
「巨人の損傷の様子は?」
即座に、対面に座っていた老人が、ディアーナに訊ねる。
「んー。
ピンピンしている、と思う」
ディアーナが応える。
「外から見たら、度重なる攻撃のおかげでかなり汚れて見えるんだけど。
でも、平気で、今までと変わらない速度で進んでいるし。
あ、今、ズッハス伯爵の包囲網を突破した。
あの近衛部隊、泡食って巨人から逃げ出してる。
実質上、戦線崩壊だね」
「巨人は、ズッハス伯爵の部隊に対してどのように振る舞っておる」
「別に、なにも」
ディアーナは首を軽く振りながらその問いに答えた。
「あんまり眼中にはないみたいよ、ズッハス伯爵の部隊のことは。
さっきのはあんまり五月蠅いから思わず手を出しちゃった、みたいな様子で、自分から積極的に攻撃をする気はないみたい。
無視して、ずんずん先に進んでる」
「僥倖であるな、ズッハス伯爵」
ディアーナと会話を交わしていた老人は、目を閉じて深く息を吐いた。
「取りあえず、命は拾ったか」
ズッハス伯爵はこの先、この騒動が終息した後、部隊の不行状とそれに王都の民の前で醜態を晒した責任を問われることになろうが、社会的な生命はともかく、生物的にはどうにか生き延びた形となる。
「でもおじいちゃん。
あの巨人、もう公館街に入っちゃうけど、放置して置いていいの?」
「今のわしらにはなにも出来ん」
老人はのんびりとした口調で、ディアーナにそう答える。
「それに、ぼちぼちマリエン子爵かヌフィード伯爵が手勢を引き連れてあの巨人の前に立ち塞がる頃合いだ。
あの二人に任せておけば、まず間違いはなかろう」
というより、あの二人が率いる部隊の精強さは近衛部隊の中でも一、二を争うといわれている。
近衛部隊の中で最強、ということは、つまりはこの王国の中でもっとも強い軍勢であるということを意味していた。
あの二連隊に対処できなければ、そもそも今の王国にはあの巨人に対抗をする手立てがない、ということになる。
諸侯の軍勢をこれから集めるにしても、そんな手配をしている間にあの巨人は王城に到着し、ほしいままに暴れるだろう。
それはつまり王家の威信が地に落ちるということで、今後の王国全体に影を落とすことになるはずだった。
最悪、王城が破壊されるだけで済まされず、なにかの間違えで逃げ出す機会を逃せば、王家が断絶することさえ、十分にあり得た。
いや。
と、老人は思い直す。
むしろ、そのことが目的か。
そう考えた方が、邪魔をしたズッハス伯爵の部隊に追い打ちをかけなかったあの巨人の行動についても、得心がいく。
「われらはどうやら、肝心な時に間に合わぬようだからな」
老人は、ディアーナにそういって腰を浮かせ、馬車の御者に声をかけた。
「行き先を変更だ。
われらの部隊は王城に入り、そこの人々をお守りする」
この情勢下で王家を害して誰が利益を得るものか、老人には想像も出来なかったが、それでもあの巨人をわざわざ用意した勢力が、その目的である王家をそのまま放置しておく訳がない。
老人、第四近衛部隊隊長のオングドラーデ子爵は、そう判断をした。
「あとは」
一度浮かせた腰を落として、オングドラーデ子爵は小さく呟く。
「今のうちに、ハザマ男爵から聞けるだけのことを聞いておくか」
石頭のズッハスに事情を訊ねるよりは、より有益な情報を得られるはずであった。
問題は、オングドラーデ子爵はハザマに面識がなく、それどころか最近になってにわかに普及した通信術式とやらの扱いについて、苦手意識を持っていることだった。
「済まぬが、ディアーナ。
通信で、ハザマ男爵とやらを呼び出してくれ」
『じいさんの部隊は王城に入るとよ』
「相変わらず慎重だな、あのご老体は」
『そっちはそっちで大事ではあるしな。
それに、あらかじめ保険をかけておいた方がこっちも心置きなく戦える』
「違いない。
それにしても、こういういい方もなんだが、最初にあれに接触をしたのがズッハス伯爵の部隊で助かった」
『あの部隊の者たちは気の毒なことであったが、威力偵察であったと考えるしかないな。
これであの巨人を侮る者はいなくなったはずだ』
「だといいがな。
やつら、巨人に迫られて逃散したとかいっていたが」
『こっちで声をかけられた者に関しては、こちらの部隊に合流をするようと命じている。
接触が出来なかったやつらに関しては、どうにもできん』
「そいつはしょうがない。
なにせこの非常時だ。
なにをするにしても万全で、っていうわけにもいかないさ。
ところで、こちらの手の者が、避難地域で魔法兵同士が交戦しているのを確認しているんだが」
『真偽の確認はまだだが、ハザマ男爵のところに、ブラズニア公爵が接触していたとの情報が入っている。
おそらくそのうちの一方は、ブラズニア公爵麾下の魔法兵だろう』
「となると、放置して置いた方がよさそうね。
熟練の魔法兵ってのは、どこででも誇り高いからねえ」
『ああ。
下手に手を出したら、かえって恨みを買うぞ』
「では、そっちは放置ということで。
ええと、他になにかあるかな?」
『特に思いつかんな。
というより、こんなやり取りをしている間にあの巨人がお出ましだ。
われらヌフィード伯爵連隊はこれよりあの巨人との交戦に入る』
「頼むぜ。
おれたちマリエン子爵部隊は、公館街に残っている貴族たちを糾合して、そちらの防衛戦が突破された際にあの巨人を迎撃する。
事実上、おれたちの部隊がやつらが王城に至るまでの最終防衛戦となるだろう。
それを突破されたら……」
『それこそ、オングドラーデ子爵の働きに期待するしかなくなるな。
せめて王族の方々だけでも、どこかに逃がしてくれるといいのだが』
「あのじいさんならば、その辺の抜かりはないだろうよ。
おれたちはなにも考えずに、あの巨人を倒すことのみに専念すればいい」
『それでは、これよりしばらく通信をする余裕もなくなる。
武運を』
「武運を」
そういってヌフィード伯爵との通信を終えたマリエン子爵は、そばに居た幕僚に声をかけた。
「貴族連中の指揮系統整備は、どこまで進んでいるのか?」
「もう終わります。
通信札を配布する作業に若干の遅れが出ていましたが、先ほどから協力を渋っていた方々が妙に積極的になってくれましたので」
「ズッハス伯爵部隊が派手にやられたからなあ」
そういって、マリエン子爵は苦笑いを浮かべた。
「あの様子を見れば、全員で一致団結をしてあの巨人に対処したくもなるだろうよ」
貴族が貴族である限り、あのように強力な相手でも、戦わずして逃げるという選択肢はない。
そんなことをすれば、それ以降の人生を貴族として生きることは出来なくなるはずだった。
王城を見捨て、自領扱いされている公館も捨てて敵から逃げ出したとなれば、それはもはや貴族を貴族たらしめている根幹を否定しているようなものだからだ。
だから、今の地位が惜しい貴族は、近衛部隊に協力してあの巨人に対処するしかなかった。
見栄と体面、それに社会的な地位のために、貴族たちは協力してあの巨人と戦い、可能であれば倒さなくてはならない。
仮に力及ばずその途中で倒れたとしても、残された親族が後ろ指をさされることはない。
逃げ出せば不名誉な卑怯者だが、あの巨人と戦えば少なくとも家名に泥を塗ることだけは避けられる。
勝算があるなしに関係なく、そう考え選択しなければならないのが、貴族という生き物なのであった。
「あの巨人は」
マリエン子爵は、誰にともなくそういった。
「ひょっとすると、王国貴族の価値を計りに来たのかもな」
王国中央が上級貴族の切り離しを考えている、などという噂が、最近になって貴族の間で囁かれていた。
貴族の存在意義が、なにかと取り沙汰されるようになっている。
マリエン子爵もそう肌で感じている、そんな矢先にこんな騒動が起こった。
いや、こんな時期だから、か。
と、マリエン子爵は考えかけ、しかし途中でその思考を強引に中断をした。
あの巨人を用意し、動かしている下手人、その正体を探るのは、今は止めておいた方がいい。
あれだけの仕掛けを秘密裏に準備することが出来、なおかつ、そうするべき理由や動機を持っている者など、ごくごく限られているわけだが。
そんな詮索をするよりも、そう、今は目の前の脅威に対抗する方が、急務であるといえる。
「ヌフィード伯爵の部隊が攻撃を開始しました!」
そんなことを考えていたマリエン子爵に、幕僚が声をかける。
「現在、あの巨人と交戦中です!」




