静かな朝の異変
外部の思惑や動きとは関係なく、洞窟衆としての活動はそのまま続けるべきだ、と、ハザマは思っている。
やつらの都合に合わせて、こちらが遠慮をするべき理由など少しもない。
それに、ハザマとしては様々な要因を考慮した上で、出来るだけ大勢の人間の益となる選択をしているつもりでもある。
もちろん、ハザマの計算違いや見込み違いにより想定外の反応が起こることもあるわけだが、そうしたデメリットを勘定に入れても、まだしもこの世界の誰よりも、ハザマの判断の方がマシであると、そういう自信をハザマは持っていた。
独善的だな、と自嘲混じりに思いつつ、それでもハザマは旧態依然としたこの世界の人々よりは広い視野と見識を持っている。
そして、洞窟衆というかなり大きな組織を動かせる今のハザマは、自分の構想をかなりの程度実現する力も持っていた。
今の時点でも、ハザマの決断により周囲に決定的な変容を強いている以上、今まで以上に遠慮し自重しなければならない理由もない。
将来的に、ハザマたち洞窟衆の行動がどういう結果と評価を招くことになるのか、この時点ではなんともいえなかったが、今の時点ではその洞窟衆の働きによって救われた人間が大勢居る。
生命や財産を脅かされることがなくなり、それどころか比較的安価な印刷物が普及しつつあり、洞窟衆の周辺では識字率の向上をはじめとして関係者の知識は確実に増えていた。
こうした変化は従来にはなかった物であり、ハザマにいわせればそこいらの国家のひとつやふたつを引き換えにしても十分におつりが来る成果である、ということになる。
ハザマ自身は王国を初めとしてこの世界のどこの国家にも直接干渉をしようとは思わなかったが、その代わり、洞窟衆が普通に活動をした結果、外部の国家や組織がどのように変わろうともなんとも思わなかった。
その構成員の知的レベルが向上するだけで成立しなくなるような国なら、さっさと自滅してしまえばいいのだ、とさえ、ハザマは思っている。
ある意味でハザマは、この世界に対して無責任というか、とても冷淡な部分があった。
個々人の生命や安全は出来るだけ守るべきだと考えるが、その割に、既存の国家や社会体制に対して及ぼす影響については、ハザマは積極的に考える習慣を持たない。
そうした洞窟衆が及ぼす変化をもろに被る人々にとっては甚だ迷惑なことであったが、よくも悪くもハザマとはそうした価値観を持った人間だった。
などという埒のあかない事物を、日々の業務の傍らにつらつらと考え続ける程度には、ハザマはここ最近の日々に飽いている。
いや、飽いているといえばそもそも柄でもない洞窟衆首領としての業務全般に、特にここ最近のような机に縛られるような生活にはかなり飽き飽きしているのだが、他に同じ仕事を出来る人材がいないのでハザマ自身が行うしかない。
基本、ハザマという男は他人に預けられる仕事はとことん他人任せにし、自分の負担を可能な限り軽減するように努めて来ている。
実際問題としてそうしないと自分の身が持たないから、というのが最大の理由な訳だが、それ以外にもハザマとしては、
「この世界のことはこの世界の人間に任せるべきだろう」
という考えを持っている。
それにしては、なんだかんだで直接間接に多大な影響を与えているような気もするが、ハザマにいわせればそれも結果論でしかなく、少なくともそうなることを目的としてハザマ自身が積極的に働きかけを行ったおぼえはない。
ハザマや洞窟衆の働きによって人生の有り様を大きく歪められた人間もこの世界には大勢、それこそ数十万という単位で存在するわけだが、そうした人々の存在についてもハザマは、だいたい正確に認識をした上で、
「仕方がないんじゃないかな」
と、そんな風に思っていた。
一見無責任なようであるが、ハザマが人間社会に出て暮らすようになれば多かれ少なかれなんらかの影響は存在したはずであり、それを避けるのならばハザマが洞窟衆の者たちと合流する前の時点で野垂れ死ぬか、それともずっと誰とも会わずに森の中で隠棲生活を続けるしかない、はずなのだ。
「この世界に悪影響を与えないため、人知れず死ぬか一生誰にも会わないで生活してくれ」
と、その時点で誰かから示唆を受けたとしても、ハザマは絶対にその意見を受け入れることはなかっただろう。
確かにハザマはこの世界を掻き回す悪質な乱入者であるのかも知れないが、その悪質な存在にしても人権という物はあり、人間らしく生きる権利はあるはずだ、というのがハザマのスタンスであった。
それに、今の王国の貴族たちのように、ハザマが出現したせいで安定した生活基盤が不意に危うくなって来た人も多いわけだが、ハザマと洞窟衆のおかげで救われた人々は、人数の上でいえばおそらくその数千倍とか数万倍というオーダーになる。
とも、思う。
数量でことの善悪を判断するのが正しいのかどうか、ハザマにはなんともいえなかったが、少なくともそれだけの理はある、というのが、ハザマのいい分であった。
もっとも、これまで正面からハザマのことを指弾してきた人物はいなかったので、これまでこの理屈を実際に口に出す機会に恵まれてはいないのだが。
さらにいえば、あやふやな、道徳的な善悪はともかく、ハザマの洞窟衆の存在はこの世界を確実に前進させているはずだった。
技術的、社会的に進歩することが必ずしもいいことであるのかどうか、これは哲学的な命題になるはずであるからハザマにも容易に返答出来ないし、実をいうと本気で考えたこともない。
それでも、社会の構成員の大半が文盲であり、重要な、社会的な意思決定権はすべて一部の特権階級に独占されている状況は、ハザマにいわせればやはりゆがんでいるし、是正された方がいいように思えてしまう。
それはハザマが生まれ育った社会の規範をこの世界に押しつけようとする、独善的な行為だと自覚しつつ、ハザマとしてはこれまでしてきたように、下層階級に知識と富とを分配できるような体制を目指すことの方が社会全体へ益することが多いと、そう思ってしまうのだった。
「まあ、おれたちが居るおかげで没落する人たちにしてみれば、迷惑以外の何物でもないだろうが」
ハザマは、目を通していた書類から顔をあげて、ため息混じりにそう呟く。
ハザマは自分の考えが唯一絶対の正解であるとはまったく思っていなかったが、それでも洞窟衆が介入する以前よりは、介入した後の状況の方が遙かにマシであると、そういう状況でなければ洞窟衆を動かしていなかった。
もちろん、その時々の洞窟衆が保持するリソースには限度という物があり、出来ることに限りはあったがそれでもその都度、それなりの成果を上げてきているはずだ。
だが、現実に洞窟衆のおかげで苦境に落とされようとしている人々にしてみれば、過去の洞窟衆が与えたよい影響のことなどそもそも関係がなく、ただ単に洞窟衆の存在を煙たがり、最悪、憎んでいるような者も存在はするのだろうな、と、ハザマはそう自覚もしている。
ハザマたち洞窟衆は正義の味方でもなんでもなく、自分たちの利益のために動いているだけの集団に過ぎない。
洞窟衆と利益を共有する人々はともかく、それ以外の、相反する利権を持った人々にとっては害悪な存在でしかないのだ。
これは別に洞窟衆だけに限ったことではなく、人間が作る集団すべてに共通する性質だと思うから、ハザマ自身はそれを特別悪いことだとは思っていない。
状況により洞窟衆と敵対する立場となった集団やその構成員について、ハザマは、
「運が悪かったな」
と思うだけであり、別に個人的に憎悪をしているわけでもなかった。
ただ、どこかに洞窟衆やこの自分を心の底から憎悪している人間は存在するはずであり、そのことだけは常に頭の隅にとどめて置こうと、そう自戒しているだけである。
ハザマが全知全能の存在などではない以上、関わったすべての人間を満足させ、幸せにすることなど出来るはずもなかった。
ハザマ個人としては、出来るだけ無害な存在に留まろうと努めてきたつもりであるが、これまで周囲の状況はそれを許してくれなかった。
暦の上でその年が終わりかけたある朝、ハザマはいつも以上の冷え込みを感じて寝台の上で目覚めた。
随分と冷えるな、などと思いつつ、窓の木戸を開いて、ハザマは、
「ほう」
と、嘆息した。
外は、一面の雪景色だった。
ここ王都は、ハザマの体感によれば東京近郊よりもやや温暖なくらいの気候で、冬であっても滅多に雪が積もるということがない。
まだ朝の早い時間であったが、年始年末の区切りでちょうどこの日から官公庁が休みに入っていたため、珍しく積もった雪にも踏み荒らされた跡がついていなかった。
静まりかえった中、白一色に塗りつぶされた王都は、ハザマにかなり奇妙な印象を与えていた。
綺麗といえば綺麗だが。
と、ハザマは根拠もなく、そう思う。
こうも人気がなく、静まりかえっていると、なんだか不吉な感じもするな、と。
王都の官吏たちに休暇はあっても、ハザマ自身はそういうわけにはいかなかった。
洞窟衆を取り囲む状況は依然として変化をし続け、その最高責任者であるハザマは常に大小様々な事項について意見を求められていたからである。
その日もいつものように書類と格闘をしながら半日以上を過ごし、昼食を摂ってしばらくしたあと、ハザマ商会の者が予定のない来客を連れてきた。
「誰だ、こんな時期に」
当然、ハザマはそう確認をした。
この時期、王宮や官庁街はもとより、王都の他の者たちも大半は仕事を休んでひっそりと家族と過ごしている。
そんな時期に急な来客があれば、怪しむのは当然だった。
「王宮勤めの衛士の方だとか」
来客を取り次いで来た者は、そういった。
「なんでも、男爵に折り入って頼みたいことがあるとかで」
その言葉を聞いたとき、ハザマは、今朝、漠然と感じた不吉な印象が、いよいよ現実の物となったことを確信した。
どうやら王城では、人知れずなにかマズい事態が進行中であるらしい。
そうでなくては、王宮勤めの衛士が自分を頼ってくるはずはないのだ。




