公爵様出迎えの準備
本来であれば所詮は男爵に過ぎないハザマが公爵であるアルテラ公を自分のところに呼びつけるなど立場上、不可能なはずなのである。
しかしハザマとしては面談の目的も明かされないような対面のために割くような時間の余裕もなく、「多忙」を理由にあえてアルテラ公爵にハザマ領公館まで足を運んで貰うように要請した。
無論、文面は丁寧なものであり、形式的にはこちらから伏して頼み込むような内容にはしているのだが、実質的には「その条件が聞き入れられないようだったら、この面談はお断りする」ということを暗に匂わせてもいた。
実際、このときのハザマは森東地域関連の膨大な資料を読み込んでいる最中であり、精神的にも物理的にもこれ以上の案件を抱えられるような状態ではなかったのだ。
このアルテラ公爵の件についても、この時期を選んでわざわざ接触して来ているわけだから相応に複雑な相談事があるに違いなく、ハザマとしては相手の方から断られるのであればかえって都合がいいとさえ思って、意図的に粗雑な扱いをしている面もある。
アルテラ公爵がハザマの無礼さに腹を立てて面談の申し込みをなかったことにしても、ハザマとしては助かったと思うことはあっても特に困ることもなかった。
また、この頃に限らずハザマは以前から一貫して、王国貴族社会内で自分の体面を保つという努力を一切放棄している。
相手が貴族や王族であろうがなかろうが、ハザマが相応に礼儀を尽くすべきだと判断をするときというのは、おおむね相手の持ちかけてきた案件がなんらかの意味でハザマ自身か洞窟衆にとって利益になる場合に限られており、そうでない場合には慇懃な態度で社交辞令を述べて距離を取るだけで、その意味でハザマはかなりの功利主義者であるともいえた。
実際問題として、その身分に関わらず洞窟衆の首領であるハザマに接触しようとする者は多く、どこかで線を区切って振るいにかけておかないと他人に会うだけでハザマの一日は潰れてしまう。
事前に用件の内容を確かめ、「ハザマ自身の判断に委ねるべきだ」と判断された案件だけがハザマの前にまで持って来られる形であった。
このアルテラ公爵の件についても、その内容が明らかではないことから通常ならば門前払い同然で無視をされるとことであったが、相手が王国の公爵様その人であることから例外的にハザマ自身が判断をすることになった形であり、これでも洞窟衆側としては相手の身分を配慮した上でかなり例外的な扱いをしている、ということになる。
こうした微妙な判断を要求されることは煩雑といえば煩雑であったが、ハザマ領が王国内の一領地として使われている以上、王国内の身分ヒエラルキーを丸ごと無視するわけにいかず、ハザマとしてはこのまま自分が王国貴族から除籍することになればこうした面倒からも多少は解放されるのになあ、とそんな淡い期待を抱いていた。
ハザマ領が帝国の版図に含まれるようになれば、その領主であるハザマもこれまでとはまた違った身分に組み込まれることになり、そして王国と帝国とをその組織の規模や複雑さで比較すればどうしても後者の方がより複雑怪奇なことになるわけだが、この時期のハザマはそこまで深く考えていなかった。
より正確にいうのならば、考えていないというより、ハザマ領が帝国に組み込まれる件について、まだまだ現実味を持って実感できなかったのであるが。
とにかくハザマは、このアルテラ公爵の件についても、
「そういう無礼な返答をしておけば相手の方から諦めるだろう」
と予想し、その件についても返信の方針を伝えたっきりすっかり忘れてまた別の仕事に戻っていった。
「アルテラ公爵が公館までいらっしゃるそうです」
だから翌日、ハザマが公館の職員からそう告げられても、ハザマはにわかにその意味することを理解できないでいた。
「へ?」
ハザマは間の抜けた声を出し、次いでその職員に訊ね返した。
「誰が、どこに来るって?」
「アルテラ公爵が、ハザマ領の公館にいらっしゃるそうです」
ハザマ領公館の職員は、同じ内容を繰り返した。
「昨日、アルテラ公爵から書簡で依頼された件ですよ」
「ああ、あれか」
ハザマはようやくその案件を思い出し、大きく頷く。
「てっきり断られて終わりだと思い込んでいたから、すっかり忘れてたわ」
そういってハザマは、大きくのびをして周囲を見渡す。
ここはハザマ商会が使用している倉庫の一角。
ハザマはその一室を借りて臨時の執務室として使っていた。
森東地域関連の報告書や書類などはかなり膨大であり、それをある程度自由に広げられるだけのスペースからハザマ領公館内になかったからである。
「来るっていうんなら、しょうがないな」
ハザマは嘆くような口調でいった。
「日時を打ち合わせて、こちらの予定も空けておいてくれ」
相手が面談を所望している以上、ハザマの立場ではしかるべき口実もなしに断るわけにもいかない。
こうして相手側から断られなかった以上、つき合うしなかった。
ハザマとしてもかなりしぶしぶ、というか、不本意なことではあったが。
「しかし、アルテラ公爵様がわざわざこの時期に、か」
ハザマは、ぽつりと呟く。
「嫌な予感しかしねえな」
ハザマ公館とアルテラ公爵領と何度か意見の交換をした末、さらにその翌日、ハザマ領公館においてハザマとアルテラ公爵との面談が行われることになった。
その交渉の途中から、ハザマ領公館内は、かなり忙しないことになっている。
今回の交渉は予定外の、不意に沸いた形であり、そして男爵領公館にまで王国公爵様が直々に足を運ぶということは滅多にない珍事でもあるのだ。
「みんな、いきなり仕事が増えて大変なんだけど」
王都郊外にあるハザマ商会の倉庫から転移札によって公館内に移動をしたハザマは、すぐにハヌンに捕まってそういわれた。
掃除や調度の見直しなど、狭い公館なりに公爵様を出迎えるための準備として整えなければならない事物は無数にあり、正直にいってしまえば公爵がこちらの公館に来るよりもハザマがアルテラ公爵のもとへ足を運ぶ方が職員たちの手数と苦労はかなり減ったはずであった。
ハヌンがそのことをハザマに指摘すると、ハザマは視線をあらぬ方向にさまよわせて、
「いやまさか、おれも本当に公爵様がここまで来るとは思わなかったし」
などといい訳をする。
「いや、あんたがなにを考えていたかなんて別に聞きたくもないんだけど」
ハヌンの反応は冷淡だった。
「それのおかげでわたしたちの仕事がいきなり増えたってことに変わりはないんだし」
ハザマ領公館職員たちは、アルテラ公爵とハザマとの面談が決まったおかげで割を食っている形なのである。
嫌味のひとつもいいたくはなるだろうな、と、ハザマは理解した。
「いっておくが、この件を持ちかけてきたのはあくまでアルテラ公爵だからな」
「そんなこと知っているし」
ハヌンの反応は、やはり冷ややかだった。
そんなやり取りをしながらハザマは内心で、
「なんでおれがこの件についていい訳じみたことをしなければならないのか」
自問していた。
ハヌンにも説明した通り、この件についていえばハザマの発案や主導ではなく、むしろハザマは断ろうとしていた立場なのである。
相手が相手であるから、漠然とした「やる気のなさ」を示すことしか出来なかったわけだが、いずれにせよこの件の決定権はハザマではなくアルテラ公爵が握っていたはずで。
理不尽だよなあ、と感じながらもハザマは公館職員たちの機嫌を気にし続けた。
そうこうしているうちに公館側の準備もどうにか整い、その直後にアルテラ公爵の一行が公館に到着した。
基本的に王都内は日中、馬車や馬の乗り入れは禁止されているのであるが、流石に公爵ともなると特権として堂々と馬車を連ねて移動してくる。
応接室の窓からその様子を確認しながらハザマは、
「公爵様ともなれば、それぐらいの威容を普段から周囲に見せつける必要があるのか」
と思った。
あるいは、公爵家の紋章が入った馬車をこちらの公館に乗り付けることで、王都の者たちにアルテラ公爵とハザマとが公式になんらかの交渉をしていると見せつけたい意図があるのかも知れない。
少し前にハザマが帝国の使節団を王宮内に案内した様子を見た目撃者たちが原因となって、あらぬ憶測を呼んでいたように、こうしたデモンストレーションをあえて見せることでなんらかのメッセージなり印象なりを不特定多数の人間に植えつけようとする意図は、少なからずあるのだろう。
「貴族ってやつは」
と、ハザマは少しげんなりする。
ハザマにはそのやりようが、いちいち芝居がかっているように思えた。
ハザマが王国貴族やアルテラ公爵をどう思っていようが立場上、その公爵を出迎えないわけにはいかない。
今回の件は、ハザマは多忙を理由に無理をいってアルテラ公爵にご足労を願った、という建前なのである。
下っ端貴族でしかない男爵としては、せめて玄関まで公爵様を出迎えに行くくらいのことをするのが筋というものだろう。
ハザマは別にアルテラ公爵個人に敬意などを感じてはいなかったが、形くらいは整えておく必要がある。
礼節とか形式というの物は、厄介ではあるが相応に気を払っておかないとあとで足元を掬われかねないのであった。
あまり広くはない公館の中を早足に移動して、ハザマは正面玄関まで移動した。
公館自体があまり大きくないから、その移動にもさして時間がかかるわけではない。
そして、そこに控えていた公館職員に手をあげて合図をして、正面玄関の扉を開けさせる。




