ハザマの胸中
洞窟衆としても新聞の発行など、広報活動はそれなりに行っている。
それでも今すぐに外部に出せない情報という物も存在するわけで、例えば現在進行中である、帝国と王国との間で交渉されているハザマ領の領有権を巡る問題など、洞窟衆側が公式になにかを喧伝すればその事実自体が交渉の結果を左右することにもなりかねないので、あえて外部には一切の情報を漏らさないように指示が出されていた。
配慮という以前の常識レベルのことであったが、こうした自主規制を行うことによってかえって外部の憶測を呼んでいるという側面があったわけだが、冒険者ギルドに所属する貴族関係者が劇的に増えたことによって、こうした憶測の数々を打ち消すような効果が自然と生じていた。
そうした貴族たちは、まず洞窟衆が手がけている業務の多様さと規模とに驚き圧倒され、ほとんどそれどころではなかったりするのであるが。
「それでは、帝国はハザマ領を買い取りたいと王宮に持ちかけているわけか?」
「男爵はあまり多くを語りたがりませんが、どうもそういうことみたいですね」
「いや、それは。
かなりの大事なのではないか?」
「男爵としては、どうでもいいというご意見らしいです。
なんでも、どちらに転んでも、今手がけている洞窟衆の仕事にはあまり影響しないだろうとのことで」
「なんとも。
それは」
とか、あるいは。
「ちょっと待て!
森東地域とやらに派遣しているこの人数に間違いはないのか!」
「なにしろこの規模ですから多少の誤差や情報の遅れが出るのはやむを得ないところですが、大雑把には間違っていないかと」
「いやだがこれは。
この数字が間違っていないとすれば、件の地域では百万前後の人間が稼働していることになるのだが……」
「該当地域の広さを考慮すれば、これでもまだ少ない方かと。
王国だけではなく周辺諸国と、それに山地の人間もかなり流入しています。
というか、人数からいえば平地の人間よりも山地の人間の方がよほど多い。
やつらもこれから寒くなる一方ですから、雪に閉ざされて身動きが出来なくなる前にこちらで仕事を得たいと考える者が多かったんでしょうね」
「さらにこれから、例の治安維持軍の連中が合流する予定だと。
……だがこれでは、下手をすると国境紛争におけるわが王国の動員数を超えてしまうのではないか?」
「国境紛争において、実際にどれくらいの人数が動いていたのかは存じませんが、現にこれだけの人数が稼働しているのは否定のしようもない事実でして」
「いや、そうなると」
すでに洞窟衆は、王国などよりも数段大規模な派兵を実質的に行えている。
と、そういうことになる。
さらにいえば、洞窟衆はその森東地域の問題に干渉する傍ら、従来通りの業務も並行して稼働させているわけであった。
というより、森東地域への干渉は洞窟衆本来の仕事というよりは、想定外に発生した仕事でしかなく、そのイレギュラーな仕事に対してこれほど大規模な物資や人間を動かすことが出来る。
それほどの余裕がある組織という物は、王国はおろか周辺諸国を見渡しても他に類例がないのではないか。
「なぜ、洞窟衆は周辺諸国を併合、平定していないのだ?」
「そうする必要性がどこにございますでしょうか?
うちの男爵ならば、そんなことをしても余計な負債を背負い込むだけだから放っておけばいい、くらいのことはいいそうな気がします」
そんな問答が、新たに洞窟衆内部で働くようになった貴族たちと古参の洞窟衆の者たちとの間で繰り返されるようになっていた。
目の前で動いている物資や取引、特にその規模を洞窟衆の内部から見るようになると、そうした態度も決して虚勢であるとも思えず。
結果、そうした洞窟衆内部に入り込んだ貴族たちは、認識を改めないわけにはいかなかった。
洞窟衆はすでに王国はおろか、周辺のどんな国家をも凌駕する権勢を手にしている。
それをこれ見よがしにしたり、あるいはそうした富を背景に他の国家の存在を脅かそうとしていないのは、ただ単に洞窟衆がたまたまそうした野心を持ち合わせていないからに過ぎない。
洞窟衆は、本気で王国や他の周辺諸国に強い関心を持たず、単純に取引相手としか見なしていない。
王国内の貴族たちが洞窟衆のことを気にかけるほどには、洞窟衆は王国内のどんな勢力にも強い関心を持っていなかった。
そう、納得するしかなかった。
そもそもこれほどの規模の事業を片手間に遂行できる組織が、王国やその他の国々の意向を本気で気にかける必要性は、存在しえない。
今の洞窟衆が本気になれば、数年もせずに周辺諸国を併呑して自分たちの領土として扱うことすら十分に可能であっただろう。
財力や、極限まで効率化された物流搬送能力はもとより、兵力としても山地や治安維持軍と協力を求める先には事欠かないのだ。
洞窟衆の首領であるハザマ男爵は、どうやらそうした野心はまったくといっても過言ではないほどに、持ち合わせていない人物であるらしいのだが。
そうしたハザマの無欲さは、周辺諸国に取っては幸いなことなのだろう。
いや、こうなるとやはり、ハザマ領は王国内の地方領のままにしておくよりは、帝国配下の治外法権にしてしまった方が、現在の洞窟衆の権勢にはかえってふさわしいのではないか。
冒険者ギルドを通じて洞窟衆の中に入り込み、その実態に触れた貴族たちは一様にそんな思いを抱き、そうした心証を包み隠さずに周囲に漏らしはじめていた。
それまで洞窟衆の実態に対してまっすぐに見ようとしてこなかった貴族たちが、認識を改めて洞窟衆のことを再評価し始めた契機となったわけである。
「公式に広報が出来る情報ばかりでは、かえって実態が掴めないし事態も進展しないってことか」
そうした状況を把握したハザマは、誰にともなくそう呟く。
「そもそも、新聞を発行してもそれを読める人数が限られているこの世界では、広報活動といってもその効果には制限がある」
結局、そうした広報活動も実物に触れた人間の口コミ効果には適わない、というのは、メディアの影響力が大きかった世界から来たハザマにしてみれば想定外のことだった。
この世界では、まだまだ人同士の結びつきが強く、紙に印刷した情報よりもそうした口コミの方が効率的にぱっと広まる。
「洞窟衆などという得体の知れない集団は、さっさと放逐して王国の体制から切り離すべきだ」という世論が、ここ数日でにわかに王国貴族社会の中に広がっていた。
このこと自体は、洞窟衆としてはどちらかというとありがたいことではあったのだが、その過程で起こった動き、どういう機序でそういう世論が高まったのかという部分は、完全にハザマの想像していなかった領域でのことであった。
「やはりどうも、おれは、こっちの世界のことをまだよく理解できていないんだな」
と、ハザマは内心でそんなことを思う。
ともあれ、そうした世論がどうやら王国貴族社会の中で広まってきたおかげで、帝国と王国との交渉は帝国側の提案を受け入れる方向に動いているようだった。
それとは別に、他の貴族たちも洞窟衆に直接的に反発するだけではなく、反感は反感として打ち消せないのは仕方がないにしても、それでも今の時点で直接洞窟衆に敵意を向けるのは得策ではない、という諦観混じりの風潮が広まってきている。
と、ハザマはそう耳にした。
これまで、洞窟衆の実態についてあまり詳しく知らなかった貴族たちが、森東地域への干渉でさえも数ある洞窟衆の業務のごく一部であるのに過ぎず、その権勢に直接対抗してもどうやら勝ち目はなさそうだという、洞窟衆の側からすればいちいち説明する気にもならない事実に気づいた結果、そういう空気が広まっているようだった。
これもまた、ハザマが事前に予想し得なかった動きになるわけだが、ハザマにしてみれば、
「改めて対策をする手間が省けたな」
程度の感慨しかない。
他にも考えなければならないことが無数にある現状で、王国貴族のご機嫌取りのことまで考えないで済むようになったのは、ハザマとしても喜ぶべきなのだろう。
このまま事態が推移すれば、帝国の思惑通りにハザマ領は王国の所属を離れ、洞窟衆も完全に帝国以外のどこの国にも属さない、独立勢力となる。
ハザマ領が帝国の属領となる形ではあるが、帝国の版図はここからかなり遠く、有事の際にも大軍を送り込んでくるということは事実上出来ない。
実際的に見れば、洞窟衆がその上にどんな勢力も持たない独立性を獲得したのに等しくなる。
その、はずであった。
「今後の活動についても、それだけ制約を受けずに動けるということはありがたいんだが」
ハザマは、内心でそんなことを思う。
「そうなるとうち以外の人たちは、どう動くつもりなんだろうな」
ニョルトト公爵家とブラズニア公爵家とは、この時点で王国からの脱退を宣言して事実上、独立した政体として動きはじめている。
この両公爵家がここに来て、これまでの方針を撤回するとも思えなかった。
困ったことに、ハザマの留守中にリンザがこの両公爵家に対して王国への再帰属をするように説得する役目を、王国から押しつけられてもいた。
もっとも、その役目もあくまで王国の圧力を軽減するための方便であり、リンザも両公爵家もあくまで外向きの芝居としてそうした交渉をしているふりをしていただけであったようだが。
この両公爵家以外にも、王国内の貴族たちの中で、王国の意向から離れて独自の動きをする者がこれから現れるのではないか。
そうした貴族たちと洞窟衆とは、どのように接するべきなのか。
ハザマ領が王国の所属から離れることで、それ以外にどのような波及効果が起こるものか、この時点のハザマには正確に予想することが出来なかった。
どうせまた、どっかの誰かがろくでもない、こちらが想定していない動きをするであろうことだけは漠然と予想できたのだが。




