ハザマの推測
「……なっ」
ガグルバイド伯爵はそういったきり、絶句してしまう。
「いや、面識があるようなことは確かにおっしゃっていましたが。
ですがなぜ、ヘムレニー教団の教主様が今こんな場所に……」
ガグルバイド伯爵からしてみれば、意外というしかない。
そもそも、ヘムレニー教団の教主ともなれば、気軽にどこにでも出かけて来るような人物ではないはずなのだ。
もちろんそれは、あくまでガグルバイド伯爵の常識に照らした認識なわけだが。
「と、おっしゃっていますが」
ハザマはガグルバイド伯爵の質問をそのままヘムレニー猊下にパスする。
「あ、こちらはガグルバイド伯爵様と申しまして、おれの監視と保護を兼ねている帝国の方です」
「なぜかといえば、こちらでとても興味深い現象が観測されているという報告を受けたからですね」
ヘムレニー猊下は何事かを思案するような表情を取り繕いながら、ガグルバイド伯爵に説明した。
「しかも、その場にはすでにハザマ男爵が先行しており、この現象の解明の解決に尽力していらっしゃるという。
これはもう、直に足を運んで自分の目で検分してみるしかないではないですか」
「いや、そういうことではなく」
ガグルバイド伯爵は視界が歪んでくるような錯覚を覚える。
そういえば、このハザマ男爵は皇帝陛下の前でも少しも臆する様子を見せなかった。
ときおり、そうした権力に対してまるで恐れを感じないタイプの人間は存在するし、このハザマ男爵もその一員であると見なせば特に不思議でもない。
ないのだが、その同じハザマ男爵が、こうしてヘムレニー猊下とかなり親しい様子でつき合い、あまつさえ昵懇の間柄であるかのように阿吽の呼吸でこんな遠い場所にまで呼びつけている様を見せつけられてしまうと、ガグルバイド伯爵としても自分の中にあるハザマ男爵の人物像というものを修正する必要を感じてしまう。
「不躾な質問をお許し下さい」
呻くような口調でガグルバイド伯爵は声を発した。
「お二人は、仲がよろしいのでしょうか?」
「別に不仲というわけでもないけど、特に仲がいいというわけでもないかな」
ハザマは言葉を選びながら返答した。
「なにせ、実際に顔を合わせたのは数えるほどだし」
「うちの寺領をハザマ領内から借りている関係で、事務的な連絡はそれなりに取ることがありますけど」
ヘムレニー猊下も、自分なりのいい方でガグルバイド伯爵の疑問に答えた。
「個人的な用件でやり取りをするような関係ではありませんね」
「では、なぜ」
ガグルバイド伯爵は、そう続ける。
「ヘムレニー教団の教主ともあろうお方が、こんな場所にわざわざいらっしゃるのですか?」
「先程もいいましたけど、この現象に興味があるからです」
ヘムレニー猊下は素っ気ない口調で繰り返す。
「別のこの件で帝国に対してなんらかの恩を売ろうなどと考えてはいませんので、ご安心ください」
いや、そういうことではなく!
と、ガグルバイド伯爵は心の中で叫んでいた。
なんでハザマ男爵がヘムレニー教団の教主様を動かせるのか!
そのことこそ、知りたいのですよ!
しかし、ハザマとヘムレニー猊下はガグルバイド伯爵が内心で抱える困惑などに関心を持つ風でもかなく、すでに自分たちの関心事についての会話を続けている。
「最初の接触のときに、どうやら相手は水棲の生物であるらしいと気づいたんですよね。
それも、おそらくは海に棲む生物だ。
だとすれば、遅かれ早かれヘムレニー猊下の出番かな、と」
「それが本当だとすれば、確かにわたくしどもの方が対処はしやすいとは思います。
ですけど、一口に海といってもかなり広いですから、すぐに手を出せるものかどうかは断言することができません」
「より詳しい情報については、これからおれが責任を持って収集する予定です。
それよりも今回の件は、色々と不自然な点が多くて、むしろそっちの方面から片付けていった方が早いかな、という気もしますね」
「不自然な点、ですか?」
「ええ」
ハザマは頷いた。
「ええっと、一番不自然な点は、やつらがなんで今になって地上の生物である人間の暮らしぶりに興味を持ち始めたのか、という点です。
考えても見てください。
知性の有無や高低はとりあえずおくにしても、まるで条件の異なる生活圏の生物が他の生活圏の生物について興味を持ち、調べようとするものでしょうか?」
「われわれ人間が深海の生物の暮らしぶりにあまり興味を抱かないように、ですか?」
「そうです。
仮にそうした興味を抱く個体が存在すると仮定しても、人間でいえばごく一部の研究者とか、かなり希少な存在のみに限定されるのではないでしょうか」
「今回の件は、その希少な存在が起こしているわけではないということなのですか?」
「あくまでおれ個人の心象、感じたことが論拠になってしまいますが、多くの意識がこちらを探りに来ている感触がありました」
ハザマはそういって、また深く頷いた。
「人間とはかなり異質な意識の構造をしている生物らしいのですが、複数の、それもかなり膨大な数の意識がこちらに繋がっていたように思えます」
「人間とはかなりで異質ありながらも、そうした個体差を識別できるほどには個性というものが確立している生物が相手なわけですか」
ヘムレニー猊下は思案顔になった。
「仮に海のどこかにそうした生物が居たとして。
ええ、確かに、陸上にも人間のような生物が存在して独自の文明を築いているとは、なかなか想像できないでしょうね」
そこまで二人のやり取りを聞く一方であったガグルバイド伯爵は、そこであっと叫びそうになった。
あくまで、今回の現象を引き起こしているのが海中を生活圏としている生物であるというハザマ男爵の証言を信じることが前提となるわけだが。
そうした生物が、陸上にあがることさえできない生物が、人間とその文明の存在を知り、詳細に知ろうとすることは、ほとんどあり得ないはずではないか。
そもそも、人間という生物の存在さえ、かなりの偶然が重ならなければ知ることはできないはずだ。
ましてや、ここまで大々的に、港町エンテアに居住するほとんどすべての人々の意識を同時に覗くなどいうということは、どんな生物にとっても負担が大きいはずだ。
「何者かが、きっかけを作っているということですか?」
小さな声で、ガグルバイド伯爵が疑問を口にした。
「おれはそう考えています」
ハザマは即答した。
「でなければ、やつらがこんなことを仕出かすきっかけがなんなのか、どうにも説明をすることができない。
やつらに接触し、人間の存在を教え、好奇心を煽った人物が、この港町のどこかに居るはずです」
「……そんなことをして、一体なんになるというのですか?」
ガグルバイド伯爵は、力の抜けた声を出した。
「相手は、知能は高いかも知れないが、海に棲む、人間とはかなり異質な存在なのでしょう?
そんな存在とわざわざ接触をしても、お互いに得るものが少ないはずですが」
「多分、おれたちには、そういって悪ければ、普通の人間には理解できないような理由なのでしょうね」
ハザマはそういって肩をすくめた。
「その人物は、なにかの間違えでやつらと接触し、ある程度意志の疎通をおこなうことができるようになった。
せっかく得た能力だから、使わないともったいないと思った、とか。
おそらくは、そんなつまらない理由だと思いますよ」
「……せっかく得た能力だから、使わないともったいない」
ガグルバイド伯爵は、ハザマの言葉を繰り返す。
「そんな、他愛のない理由で……」
「これはあくまでおれ個人の想像で、なんの確証もありませんけどね」
ハザマはそういって肩をすくめた。
「案外現実の人間ってのは、合理的な理由だけで動くわけでもありませんから。
誰にもない能力をなにかの拍子に得てしまったら、使いたくなるものではありませんか?」
「そんな、くだらないことで」
ガグルバイド伯爵は、小声で呟いたあと、ハザマに顔をむけていった。
「いや、だが。
その前に、その人物は、どうやってそのやつらとやらと交渉をおこなっているのですか?」
「物理法則にも従わず、不可能を可能とする能力の持ち主が、この世界にはときおり生じるのでしょう」
ハザマは、淡々とした口調で指摘をした。
「離れた場所の、普通であれば人間とはおおよそ理解し合うことができないような知性体と意思を通わせ、交渉できるようになる能力の持ち主というが存在をしても別に不思議ではないと思いますが」
「加護持ち、ですか」
ガグルバイド伯爵はハザマの言葉に頷いた。
「もしもそれが本当なら、確かに説明はつきますが」
「おれはそちらの方面には明るくないので、そのことについてもヘムレニー猊下に確認をしたいと思っていました」
ハザマはそういって、ヘムレニー猊下に問いかける。
「そのような加護の力というは、存在する可能性はありますか?」
「加護とか亜神の力というのは、不合理な能力であるという以外の制約がありません」
ヘムレニー猊下は断言をする。
「そのような性質を持つ加護の力が存在したとしても、別に不思議ではありませんね」
「そうした力を持った人間が、独力でこの事態を引き起こしたということは考えられませんか?」
「可能性としては完全に否定できませんが、ほとんどありえませんね」
ヘムレニー猊下は即答する。
「というのは、加護の力に制約がなくても、それを使う人間にはどうしても限界が存在するからです。
人間の精神に干渉をおこなう種類の加護は何種類か知っていますが、数万人単位の人間の意識に同時に干渉する能力は存在しません。
その加護の力を使用する側の人間の意識が、負担に耐えられないからです」
ヘムレニー猊下が提示した論拠は明確だった。
「加護の力に限界がなかったとしても、人間ができることには限界がある、と」
ガグルバイド伯爵は、その言葉にしきりに頷いていた。
「では、その力を持った人間を捕らえることができれば」
「すぐに解決することは無理でも、解決に至る糸口くらいは見つかるでしょうね」
ハザマが、そう応じる。
「少なくとも、事態が進展するわけです」




