国王と国務総長の対話
満点の星。
ハザマの出身世界とは違い、大気汚染などほとんどないこちらでは、夜空の星、その分布が、本当に濃い。
黒いカーテンの上にバケツで何杯分かの砂糖をぶちまけてみたいで、背後の暗黒よりは星の光の白が広く感じるほどだった。
それでも。
「やはり、ハザマ領の夜空とは、星の配置がまるで違うな」
どことも知れぬ大海原の真ん中でぷかぷかと浮かびながら、ハザマは呟く。
ハザマとて、元の夜空の星の配置をしっかりと記憶しているわけではないのだが、それでも見分けくらいはつく。
「どうやらここは熱帯みたいだし、こりゃ、かなり遠くまで飛ばされちまったようだな」
また、ハザマは呟いた。
気温と海水温が高いことで、凍死する危険はまぬがれているわけだが、だからといって現在のハザマが生命の危機から遠ざけられているわけではない。
早いところどこかの人里か、それが駄目でもどこかの陸地にたどり着かないと、いずれは餓死か脱水症状で死ぬ。
海のど真ん中で渇き死ぬっても、洒落にならんな。
とか、ハザマは思った。
とはいえ。
「なんの目的もなく、当てずっぽうに泳いでも無駄に体力を消耗するだけだしな」
ハザマは、また呟いた。
周囲に誰もいない状況だと、思考を整理するのについつい言葉を口に出してしまう。
現在のハザマは、儀礼用のマントを肩から外してそれに空気を含ませ、浮き袋として使っていた。
そのマントは繊維の目が詰まった布地で作られていたので、濡らすとほとんど空気を通さなくなる。
その中に空気を入れ、抱きつくようにして持っている状態であった。
別にハザマ自身が浮き袋を必要としていたからこうしているわけではなく、大きな布地であるマントを一番邪魔にならない方法で持ち続けるのは、いろいろ試してみた結果、こうするのが一番よさそうだったから、こうしているのに過ぎない。
過去のサバイバル経験のおかげで、ハザマは単純な布地が極限状態においてどれほど使い勝手がいい道具になるのか、いやというほど思い知らされている。
よほどのことがなければそのマントも捨てるつもりはなく、かといって身につけたままでは泳ぐのに邪魔になりすぎるため、こうして浮き袋として使っているわけだ。
さて、どうするか。
ハザマは考える。
いつまでもこうしてぷかぷかと浮かんでいても進展がないから、はやり陸地を目指したいところなのだが、その陸地がどの方向にあるものか、まるで見当がつかない。
そんなことを考えつつ、これで何度目になるのか、ハザマはぐるりと全周を見渡してみる。
なにかしら、これから進むべき方向を決するための手がかりが見えればいいのだが。
「お?」
苦労して首をめぐらし、背後方向に目線をむけようとしたとき、目の隅に異変を感知した。
「あれは、煙か?」
かなり遠く、ほとんど水平線と見分けがつかないが、確かに海面上から満点の星空にむけて、細長い線上の物が立ち昇っている。
あれが煙だとすれば、人がいるか、それとも火山でもあるのか。
とにかく、あそこになにかがある可能性は高い。
それにどの道、他のどこかへいくあてもなく、このまま所在なげに浮いていても仕方がないのだ。
ハザマは急ごしらえの浮き袋を抱いたまま苦労して方向転換をし、そのか細い煙の方へと泳ぎだした。
「今日はまた、ずいぶんと盛りだくさんの一日であったようだね」
通常の政務を終え、夕食後に改めて詳細な報告を伝えられたあと、メレディラス国王はそういって自分の眉間を指先で軽く揉んだ。
「スデスラスでは主導権を握られっぱなしだったそうだし、まあそれは予想の範囲内であったからいいとしても、それに加えてハザマ男爵の消失事件。
さらにいえば、ニョルトト、ブラズニア両公爵家の王国からの脱退宣言、か」
たった一日でいろいろと起こりすぎだろ、と、メレディラス国王は思う。
どれかひとつだけをとってみても、この王国を揺るがすような大事件であるといえた。
「それで、卿はどう思う?」
メレディラス国王は、そばに控えていた国務総長ガイゼリウス卿に確認した。
「これらの事件は個別のものとみなしていいのか、それともひとつらなりのものとしてみた方がいいのか?」
「まず、スデスラスでの会議だけは、はっきりと別件であるかと存じます」
ガイゼリウス卿は重々しい口調で応じた。
「あとの三件については。
さて、繋がりがあるとみればいいのか、それとも、個別の事件であると見なせばよいものか。
正直に申しまして、小官には判断がつきかねます。
ニョルトト公爵家とブラズニア公爵家との間には、ある程度意思の疎通があったものとは思われますが。
それにしても王国からの脱退ともなればかなりの重要事。
軽く示し合わせただけのことで軽々しく決断できるものでもないでしょう。
おそらくは両公爵家内部において、以前から十分な準備を重ねた上で、実行に移すべき時期を見計らっていたと見るのが妥当かと思われます」
「ニョルトト公爵からは、もはや大国が有利になる時代でない、といった意味のことをいわれたそうだな」
メレディラス国王は軽い調子でそういい、頷いて見せた。
「一理ある。
所帯が大きくなるとなにかと物入りになるし、動きは鈍くなるしで……」
「陛下」
ガイゼリウス卿は軽く咳払いをする。
「今は、今後の対策について協議する方を優先させるべきなのでは?」
「ああ、そうだったな」
メレディラス国王は居ずまいを正した。
「ハザマ男爵の件に関しては、やつの身内に任せておけばよかろう。
われらが下手に手を出すと、かえって邪魔になりかねん。
それに以外の両公爵家の脱退問題に関しては、うん。
かなり、悩ましいところだな。
放置しておくわけにはいかないのはもちろんだが、だからといってこの両家をまともに罰することができる戦力は、今のわが国にあるとは思えない。
あるとすれば、あの洞窟衆くらいなものだ」
メレディラス国王は、自嘲混じりにそう断じる。
メレディラス国王は、自身で自由に使える兵士をさほど多く養っているわけではない。
有事の際には、公爵家を筆頭とする王国貴族に命じて兵を出させるため、国王が直々に子飼いにしておく兵士はあまり必要でないのだった。
そしてその王国貴族たちは、相手がニョルトト、ブラズニアの両公爵家ともなると、まず確実に二の足を踏む。
貴族同士には相応につき合いというものがあり、仲間意識が強いということもあった。
が、それ以外にアズラウスト公子率いるブラズニア公爵家の魔法兵はかなりの精強な集団であるとの認識が、日に日に強くなってる昨今である。
さらにいえば、この両家の背後には、あの洞窟衆が控えていた。
物資や兵員の補充も、かなり容易なはずであった。
心情的にかなり遣りにくい上、勝てる見込みがかなり薄い相手にむかっていくさを仕掛けたがる者は、それこそ探すのが難しいことだろう。
「かといって、このまま放置するのも弊害があまりにも多く」
ガイゼリウス卿は、そう続ける。
「この両公爵家が正式に王国から脱退いたしますと、国家の歳入が年間で今の二割から三割ほど削減される計算になります。
それだけではなく……」
「まだあるのか?」
「お忘れですか、閣下。
毎日のように王都に到着する、部族連合の賠償金。
あれらはすべて、ハザマ領とブラズニア公爵領を経由してやって来ます。
そのブラズニア公爵領が他国ということになりますと、当然のことながらその中を通過するたびに関税をかけられます」
「そちらでも、歳入が大きく目減りしていくというのか!」
メレディラス国王は顔をしかめた。
「それは痛いな。
今や、あの部族連合からの賠償金抜きに、わが王国の運営は立ちゆかなくなっておる。
それでは、ブラズニア公爵領を通過せずに、大きく迂回して運ばせるというのはどうか?」
「東へいけば山地と続いたアルマヌニア公爵領の原生林、西へいけば山地を経由してやはり他国へ出ます。
アルマヌニア公爵領の原生林の中には、道らしい道は存在しません。
その中を、重たい金貨や銀貨を持たせて継続的に運ばせるのは、現実的な案ではありませぬ。
これから原生林を伐り開き、道を通すにしても、いずれ相応の費用と時間が必要となります」
「それでは、方策がないではないか」
メレディラス国王は、げんなりとした表情でそういった。
「やつら、そこまで読んだ上で脱退を宣言したのか?」
「おそらくは」
ガイゼリウス卿は、大きく頷く。
「その程度のことは、すでに考慮済みでありましょう。
幸いなことに、この両家に同調しそうなハザマ男爵は不在であるゆえ、ハザマ領からはまだ同様の脱退宣言は届いていませんが」
「今の時点でハザマ領からそんな便りが届くとすれば、それはあの洞窟衆の者たちがハザマ男爵の権限を侵して暴走したことになるからな」
メレディラス国王はそういった。
「あちらはあちらで、それこそそれどころではないだろうよ」
「なにしろ、ハザマ男爵の行方が知れない状態でありますからな」
ガイゼリウス卿は、また頷く。
「居たら居たで、居ないなら居ないでなにかと懸念となる人物ではありますな。
当人に邪気がなさそうなのが、まだしもの救いになりましょうか」
「あの男がその気になって王国に害意を持てば、それこそ半年もかからずに王国は瓦解しておるだろうよ」
メレディラス国王は複雑な表情でそういった。
「なにしろ、国などというものは維持するのは一苦労だが、壊すのはしごく簡単であるからな」
「どうか口をお慎みになるよう、お願い申しあげます」
表情も変えずに、ガイゼリウス卿は国王に懇願する。
「口に出したことはいずれ実現するとの口伝もありますゆえ」
「今さら縁起を担いだところでなんとなる」
メレディラス国王はそう受けた。
「では、現実的な対処法についてだ。
ニョルトト、ブラズニア両公爵家については、まずは今以上に対話と交渉を試みよ。
もしもなんらかの譲歩をおこなうことによって王国からの脱退をまぬがれるようであったのならば、こちらの威厳が損なわれすぎない程度に譲歩をしてやる。
そのような方針で、再度交渉をおこなうがいい」




