公爵たちの思惑
「ほう。
わが領地が王国から脱退する、ですか」
マヌダルク・ニョルトト姫が洞窟衆の者たちと語り合っているそのとき、ブラズニア公爵もまた王都からの通信を受けていた。
「初耳ではありますが、いわれてみればあの愚息ならば実にしでかしそうなことではありますな。
いえいえ。
確かに愚息への家督相続の件についてはそちらに上申させていただいたところで止まっていますが、領地経営に関する一切からはすでに身を引いている身でして。
なぜかといえば、この春先に愚息とある賭けをしましてね。
不甲斐のないことに、わたしはその賭けに見事に敗れたのですよ」
ブラズニア公爵とその息子にあたるアズラウスト公子がおこなった賭けの仔細は、以下の通りになる。
のちに総括して「スデスラス騒乱」と呼称されることになるスデスラス問題は、この時点でまるで解決の糸口が見えない状態にあり、そこにケイシスタル・ワデルスラス姫が解放軍という、いろいろな意味で前代未聞の兵を挙げたばかりの時期にあった。
そうした状況を受け、ブラズニア公爵の親子間でそのスデスラス問題が話題になったおり、
「スデスラスの状態は、これからどの程度の期間で鎮静すると思うのか」
という点が争点となる。
ブラズニア公爵は、
「これだけ多くの国の利害関係が錯綜した状態では、すぐに解決することはなかろう」
との根拠から、
「完全に解決をするまでは、まず数年はかかろうな」
との見解を示した。
ちなみにこの見方は、当時の知識人ならばほぼ同じ意見を述べたであろう、というほどの、常識的な回答であった。
これに対してアズラウスト公子は、
「しかし、洞窟衆が本格的に力を入れて来ていますからね」
との根拠を提示し、
「長引いても一年。
ことによると半年もかからずにスデスラスを平定してしまうかもしれません」
と自分の見解を述べた。
「半年もかからないと!」
このアズラウスト公子の見解を聞くと、ブラズニア公爵は破顔した。
「いくらお前があの洞窟衆とやらに肩入れをしているにしても、それはないだろう!」
スデスラス王国は、メレディラス王国に勝るとも劣らないほどの広大な国土を持つ。
それだけの大国が、それほど短期間のうちに平定できるものとは、到底思えない。
それが、ブラズニア公爵が持つ常識であった。
「いいましたね」
それを聞いたアズラウスト公子は、不敵な笑みを浮かべた。
「そこまでご自身の見解に自信を持たれていらっしゃるのでしたら、この件でなにか賭けますか?」
「賭けか?」
ブラズニア公爵は一瞬怪訝に思う。
一部貴族の間でそうした賭事を興じる風潮はあるものの、アズラウスト公子もブラズニア公爵も、普段はそうしたことに興じる趣味は持たない。
このときのアズラウスト公子の発言は、ブラズニア公爵にはひどく唐突に聞こえた。
「いったい、なにを駆けようというのかね?」
「わが家の領地の経営権を」
アズラウスト公子は短く答えた。
「爵位は特に欲しいとも思いませんが、父上にはそろそろ好きな庭いじりにもで精を出していただきたく思います」
「領地の経営権だと?」
ブラズニア公爵はさらに訝しむ。
「今まではどちらかというと、お前はそういう雑事から逃れようとしていたのではないのか?」
「風向きといいましょうか、状況が以前よりはだいぶ変わりました」
アズラウスト公子は、そう答える。
「今この時期であれば、むしろこの領地を自由に差配できる裁量が欲しいと思います」
「ふむ。
まあ、そういうことならば」
ブラズニア公爵はそういって深く頷く。
「かねてより考えていた公爵号相続の件について、王都にお伺いを立てて早めるように運動しておこう」
それまでのアズラウスト公子は、魔法研究などの道楽にばかりうつつを抜かし、領地経営にはあまり興味を示さなかった不肖の息子、という印象が強かった。
そのアズラウスト公子が、理由は定かではないにしても、公爵としての仕事に興味を示したのは、いい傾向でもある。
その熱が冷めないうちに、さっさと公爵位を譲って後戻りができない状況にまで追い込んでしまおうと、そのときのブラズニア公爵は考えたのだった。
「その結果は、すでにご承知の通りです」
ブラズニア公爵は、通信先の相手にむかって説明を続ける。
「ケイシスタル姫の軍隊は、わずか三ヶ月ほどのごく短期間のうちにスデスラス王国を解放してしまいました。
今ではこのわたしよりも、不肖のせがれの方が時流を見定める目を持っているということになりますな。
その事実を素直に受け入れ、つい先日から領主としての実務はすべて愚息に任せているわけです。
その愚息が、そうですか。
公爵領の王国からの脱退を宣言しましたか」
ブラズニア公爵にしても初耳であり、そして自分自身ではできないような発想であり、決断でもあった。
確かに時流は、目に見えて加速しているらしい。
しかも、ブラズニア公爵には想像もつかないような方向に進んでいるようだ。
「そのようなわけでして、政務に関わることはこのわたしに訊かれても、満足に答えることができません。
直接、うちの不肖の息子を問いただし、その真意を確かめた方がよろしいかと思われます」
そう伝えながら、ブラズニア公爵は頭の中ですでに別のことを考えている。
アズラウスト公子には「庭いじり」などと揶揄されているのだが、ブラズニア公爵は以前から各種作物の品種改良に力を入れていた。
主食であり主力商品でもある穀物に加え、缶詰製造が本格化してきた最近では、それまで換金することに適していなかった作物までもが輸出できる可能性が出てきている。
加工の容易さまで視野にいれてこうした換金するのに適した作物の品種改良や栽培法を模索するためには膨大な費用と時間を必要とし、事実上、上級貴族にしか不可能な事業といえた。
そして、何年先になるのかはわからないが、なにがしかの成果を出すことができれば、確実に領民や領地に富を与えることになる。
これから、先の見通しが効きにくく、変化の早い流れに対応することは若い者に任せ、じっくりと腰を据えて取り掛かるべき事業に余生をあてるのも、また一興ではないか、と、ブラズニア公爵は思うのだった。
「真意ともうされても、ねえ」
王都にむけ、王国からの脱退を一方的に通達したいまひとつの公爵家、ニョルトト公爵のところにも、ほぼ同時期に王都からの通信が入っている。
「一言でいってしまえば、いくつかの貴族を傘下に収めて威勢を誇るという、従来の王国のやり方が急速に時代遅れなものになりかけているから、ということになりましょうか。
とにかくわがニョルトト公爵家としては、これ以上、王国の傘下に加わり続けることに益を見出せなくなったわけです」
通信網の発展は、発信地である洞窟衆が考えている以上に大きな動揺を社会に与えていた。
少なくともニョルトト公爵は、そう考えている。
なぜならば、各地の領主に独自の権限と軍事力を与え、それを糾合して大きな国家を形成する。
そういう王国のあり方自体が、情報の伝達に相応の時間がかかり、大規模な中央集権国家を形成することができないという前提の上に成立しているからだ。
例えば以前のスデスラス王国などは、契約魔法で国家に紐をつけた人員を多数抱えることで、かなり広大な領土に関わらず強引に中央集権国家を成立させていたわけだが、あれはあれでかなり強引な手段であり、問題点も多い。
さらにいえば、新生したスデスラス王国のアポリッテア姫などは、解放軍という既存の軍事組織を複数の国家で共有して、国家と軍事力との関係を分断した上で、周辺諸国の安全保障をより強固なものにしようと提案している。
アポリッテア姫がどこまで自覚しているのかは定かではないが、これは、従来の国家や統治の方法論を大きく変容させてしまいかねない、大きな変化にもなりかねないことであった。
この時点では、それが成功するのかどうか、いや、それ以前に、各国の代表者たちがその案をよしとするのかどうかさえ定かではなかったが。
もしもアポリッテア姫の案がそのまま採用されれば、領民と国家の関係、特に領民たちの帰属意識は、大きく変容してしまうことだろう。
ニョルトト公爵は、そのように読んでいる。
様々な領民が、根無し草の流民ではなく、相応の教養や職能を持った領民たちが、国境を超えて気軽に居場所を変えるような社会が、いずれは出現してもおかしくはなかった。
そうなったとき、領地の大きさや軍事力の強大さを誇ったとしても、そのことにいったいどれほどの意味があるのか。
これからは、それまでほとんど注目を浴びてこなかった矮小な国が優良な産業を起こして大いに栄え、その逆に、ついこの間までの大国が他国に遅れて二流三流の国家に落ちぶれていく、などということも平気で起こり得るような、そんな世の中になっていくはずであった。
領主同士が同盟を結べばただそれだけで安心できるような、そんな素朴な時代はすでに過去のものになっているのだが、そのことに気づいている者は、実はまだあまり多くない。
「毎年王都に収める上納金。
それに匹敵するほどの見返りを、今後は望めなくなる。
そのように判断したからです」
ニョルトト公爵は、辛抱強く通信相手に説明をする。
「逆に、これ以降、わが領地が王国に属することで、どのような利益が望めるものか。
その点について、説明していただきたいですね。
あら、今度は脅しですか。
どうぞ、ご自由に。
もっとも、度重なるいくさによって疲弊している今の王国に、公爵領ふたつを相手にして殴りあう余裕があればのことになりますが。
一応、万が一のことも考えて、こちらも冒険者ギルドに連絡しておくことに致しますわね。
スデスラス方面では戦力がかなり余っているそうですから、なにか事が起きれば数日もかけずに駆けつけて来るはずですし」




