浴室での応答
「そんで、お前らは今、どこに居るん?」
バジルニアの領主官邸内にある浴場、その浴室の中で気持ちよく全身を伸ばしながら、ハザマは訊ねた。
『ここ二、三日はヘムレニー教団の寺院にお世話になっている』
通信越しに応じたのは、トエスであった。
『こっち、結構見るものが多いので』
このトエスとアレルとエレルの双子、それに水妖使いの三人組は数日前に商用地区を発ち、バジルニアを目指していた。
緊急性がない移動であったから、当然徒歩での移動になる。
やつらの足であれば、その気になればもっと急ぐこともできるはずなので、実際には領内を物見遊山がてら、ゆっくりと散策をしながら移動しているんだろうな、と、ハザマは想像していた。
肝心なのは、双子とか水妖使いとかの監督が必要な者たちがトエスと同行しているという事実であり、その現在地に関してはぶっちゃけどこに居ようともあまり大差はない。
そのため、ハザマもこれまで特に干渉をすることもなく、したいようにさせているわけであった。
双子とか水妖使いとかは、なにかあったときのために、平常時はハザマの手元に置いていた方がいいという結論になったため、まとめてトエスが引率してきているわけである。
「あそこは今、天文台を作っているんだったか」
『それだけではなく、製紙とか印刷の工房がいくつも立ちあがっていて、各地からいっぱい人が集まって、そうした技を学んでいるみたい』
トエスはいった。
『寺院というよりは、ちょいとした街になっている感じだね。
人の出入りも激しいし、かなり賑やかなことになっている』
そりゃ、広範囲に信者が散らばっているような大規模な宗教団体であれば、印刷技術の恩恵は大きいだろうなあ。
と、ハザマは思う。
教義の伝達はもちろんのこと、そうした宗教団体は医療や薬学、それに哲学や理数系の知識なども蓄えて後世に伝える役割なども相応に担っているはずなのである。
少なくとも、ハザマの世界での宗教団体は、中世から近世までにかけて、そうした知識の殿堂としての機能を有していた。
だから、ヘムレニー教団が製紙や印刷技術に飛びついたことは、ハザマは別段不思議にも思わなかった。
どの道、紙や印刷やらの需要はまだまだあるはずなので、洞窟衆の他にヘムレニー教団が組織的に広めてくれるのであれば、それはそれで助かるとさえ思っている。
基本方針として、ハザマは知識や技術を独占することではなく、その逆に不特定多数の者たちに教授し、広めていくことこそを目指していた。
そうした伝達の役割を洞窟衆だけが担わなければならない、などとも思ってはいなかった。
むしろ競合者が複数居た方が、長い目でみれば得をする局面が多いだろうな、とさえ思っている。
この世界において印刷業界が飽和状態になるまでにはまだまだ長い時間が必要となるはずであったが、競争相手が居た方が、肝心の中身、
「なにを印刷し、広めるべきか?」
という一点についても、それだけ真剣に考えはじめるだろう。
製紙とか印刷とかの技術は所詮技術に過ぎず、もっと重要なのは、そうした技術を使用してなにを伝えるのか、その中身の方だ。
というのが、ハザマの考え方であった。
その点、それなりに歴史と伝統があるヘムレニー教団ならば、そうした「一般大衆に伝えたい内容」はかなり大量に抱えているはずであり、さらにいえば、効率よく伝達をするノウハウもそれなりに蓄積しているはずでもある。
ヘムレニー教団がそちらの方面で本気を出してくれるのであれば、この世界、少なくともヘムレニー教団の活動範囲内での知的水準は、長い目でみれば徐々に底あ
げをされていくはずであった。
「まあ、急ぐし必要もないし、ゆっくりと来いや」
ハザマはトエスにそう告げた。
実際問題として、双子だと水妖使いだのがバジルニアに常駐するようになれば、ただそれだけで「賑やか」を通り越して「騒々しい」ことになりそうな気もする。
その日が先延ばしになるのであれば、それはそれで結構なことでもあった。
トエスとの通信を終えると、今度は王都に在住しているハヌンから、通信が入った。
「そっちで、なんか変化があったか?」
ハザマは、そう応じる。
『あるといえばあるけど、いつもの延長上でもあるわね』
ハヌンはいった。
『宮廷の内部では、解放軍の動きを歓迎する者たちと、反発する者たちに別れている。
解放軍の動きに反発をする者たちっていうのは、要するにスデスラスでの状況にも王国こそが決定権を持って進めるべきであったと考える人たち。
いい方を変えれば、王国の権利拡張論を信奉しているわけ。
こうした人たちがワデルスラス公爵軍の動きを影に日向に支援してきたわけだけど、最近、肝心の公爵軍が押され気味なんで、かなり旗色が悪くなっている』
「ま、予想通り、ではあるよな」
ハザマはいった。
「で、その、王国の拡張論者たちってのが、おれたちのことを嫌っている連中なわけだ」
『嫌っているというのも間違いではないけど、それよりももっと切実なんじゃないかな?
連中にしてみれば』
ハヌンはいった。
『解放軍が動きはじめるまでは、スデスラスでの利権もそれなりに切り取ることに成功しかけていたわけだし。
連中にしてみれば、あとから来た洞窟衆が、そうした利権を横からかっさらっていったという風に感じているはず。
さらにいえば、王国中央部が示した指針を無視して勝手に動き、その結果おいしいところを丸ごと横取りしているように見えるから、なおさら反発が強くなる』
「スデスラスの件では、こっちはおいしい思いなんて全然してないし」
ハザマは軽く顔をしかめてそういった。
「むしろ、こちらの持ち出しが多くてタマルの機嫌が悪くなる一方だ。
戦争なんてものは、規模が大きくなればなるほど金がかかるんだ」
『そういいながらも、現に洞窟衆はスデスラスから手を引いていないわけだから』
ハヌンはすぐに反論した。
『内情を知らない者からすれば、それだけ力を入れているのだから、それだけ多くの利益も見込んでいるのだろう、と勘ぐるってわけ』
「スデスラスの件がある程度の決着をみて、その後、スデスラスの復興が無事に進んだあとでなら、それなりの見返りもあると思うけど」
ハザマは相変わらず渋面を作ったままで、そう応じる。
「そこまで持っていくまでに、果たして何年かかることやら。
利権とやらがあるにしても、かなり気の長いことだよな」
そもそも、スデスラスへの介入は、成功するのか失敗するのかさえ、ろくに見通せない、それだけにリスクが大きい事業でもあった。
そんな、発生するのかどうかも今の時点ではわからない、あやふやな利権について嫉妬や反発をされてもな。
というわけで、ハザマとしては、
「かなり理不尽な対応をされている」
という思いが強い。
『やつらだって理性的な判断だけで反発をしているわけではないと思う』
ハヌンはいった。
『国境線戦をかなり有利な条件で集結させ、さてこれからは王国勢が幅を利かせる時代だ!
とか思っていたところに、この有様でしょ。
奴らにしてみれば、周辺諸国の中で本来王国が担うはずであった役割を、洞窟衆がかっさらっているようにも感じているわけ。
それに、領地に張り巡らせるのに莫大な費用がかかる通信関連の事業も、洞窟衆が反感を買う原因となっている。
あれを導入しないことには、時代の流れから取り残される。
本格的に導入するためには、洞窟衆に大枚を払わないといけない。
そうした変化を受け入れるしかない側からみれば、どうしたって反発や反感が先に来るって』
「おれたちに金を払うのが癪なら、自前であつらえればいい」
ハザマはいった。
「通信網に必要な術式というのは、別に秘密にされているわけでもなんでもないんだろう?」
『基本的な術式は広く知られているものだけど』
ハヌンはいった。
『通信内容の暗号化とかの周辺諸国の術式も含めて、実用的なレベルで中継タグを量産するとなると、普通にやったんではかなり大変。
実際、王国内でもいくつかの貴族がその手の術式を試作したそうだけど、結局、自前で作るよりは洞窟衆から必要なタグをまとめて買う方がよっぽど安あがりに済むって結果になったそう』
「なら、なおさら、おれたちが恨まれるのは筋違いだろ」
ハザマはいった。
「こっちは、本来ならば高額にしかならない商品を安定して安く供給していることになるわけでさ」
『だから、理屈ではないんですよ』
ハヌンはいった。
『変化に対応できなていない連中が僻んでいるだけ。
確かに、その通り。
しかし、その連中にしてみれば、それこそ死活問題です。
それまでの統治に必要とされなかった経費が一挙に膨らみ、しかも、税収の方はそれほど増えているわけでもない。
なにかと物入りになるわりには、王国貴族の威光や影響力は徐々に目減りしていっている。
たとえば、解放軍や冒険者ギルドという存在は、それまで貴族や傭兵団のみの専有物であった軍事方面において、その他の平民たちが有意な介入をすることできるという前例を作ってしまった。
そうなれば、貴族の存在価値はそれだけ目減りするわけだし、今後の治世においてもこれまで以上に細心の注意を払わなければならなくなる。
連中の立場にしてみれば、どうあっても洞窟衆の存在は目障りでしかない。
今の時点ではまだ王国貴族の間だけで済んでいるけど、こうした反発や反感も、いずれは他国の貴族たちにも波及していくことになると思う』
「機転が効かない貧乏人の僻み、と切り捨てるわけにはいかないわけか」
『切り捨てるのは勝手だけど、無視をし過ぎてもかえって足元を掬われることになるんじゃない?』
ハヌンはいった。
『なんといっても相手は貴族様なんだし、徒党を組んでむかってきたら、それなりに面倒なことになると思うけど』
「あなどると火傷をするぞ、ってわけね」
ハザマは呟いた。
「まあ、どこかで利益が出ているってことは、それまでその利益を得ていた者の実入りがそれだけ減っているってことだからな。
そうした反発が起こることは、どうしたって避けられないだろう。
その対策については、こちらでも研究させておく。
お前たち王都組は、今まで通り、宮廷周辺の情報収集に力を入れておいてくれ」




