領内行政の実際
領内の問題に領外の問題、領主として解決しなければならない問題は尽きない。
「こちらが例の最低賃金法、ならびに長時間労働制限法の草案になります」
直属班のある者がハザマの前に数枚の紙片を示す。
「目を通しておいてください。
これで問題がないようでしたら、写しを王都に送って認可を受けます」
領主であるハザマもハザマ領内でのみ通用する法を制定する権限は持っているわけだが、慣例としては一応王都に裁定を仰いでその法を発布していいものかどうか確認することになっていた。
一般的な社会通念から著しく逸脱する法、ならびに王国内周辺諸国の他の諸公領の実状と乖離する法であった場合、王都はその法案の発布を差し止める権利を持っている。
とはいえ、諸公の自治権を尊重するのが建前になっているので、実際にはよほどの悪法でもない限りは王都の物言いがつくことはない。
それでもあくまで慣例、手続きの一環としてであっても王都の裁定を仰がなければ、ハザマ領だけの独断で法を発布することは許されていないのだった。
「こちらが法以外の、現実的な流民の受け入れ体制強化策になります」
その者は、また別の草案をハザマに提示する。
「……地所をみっつも使うのか」
ハザマはいった。
森林を可能な限り保全する方針を貫いているハザマ領にとって、土地は重要な資源なのである。
にもかかわらず、その草案によると商用地区からほど近い地所をみっつも流民の一時受け入れ先として使用することになっている。
ハザマ領に流れ込んできた流民たちをそうした地所に誘導し、その上で保険制度その他のハザマ領で働く際に必要なこまごまとした説明を行ってから、できるだけ本人の希望に沿った職場を斡旋する、という案がそこには書かれている。
「いずれ、それでも足りなくなるでしょう」
草案を提示してきた者はいった。
「なにしろ、流民の数が多すぎます」
「それだけの人数を、ハザマ領だけで養いきれるのか?」
ハザマは疑問を口にした。
「潜在的な雇用件数という意味では、まだしばらくは飽和することはないでしょう」
その者は、やけに自信ありげなものいいをする。
「ハザマ領内で行っている各種産業もまだまだ人手を欲しておりますし、それ以外に広大な山地に伸びる輸送路において、搬送要員はいくらいても余るということはありません」
雇用される側が仕事の種類や条件などについてえり好みをしなければ、斡旋先に困ることはないと保証してくれた。
「……なら、いいか」
少し考えたあと、ハザマはその草案に承認印を捺す。
そうした労働の現場をいちいちハザマが自身の目で確認したわけではないのだが、ここは部下であるハザマ領の官吏たちを信頼すべき場面だろう。
「場所はともかく、流民たちを世話するための人員は確保できているのか?」
「今の時点では、まだ十分な数を揃えられておりません。
ですが、育成体制を強化していますので、順次受け入れ枠を拡大してどうにか対応していく予定です」
「まあ、その辺はいつもの通りか」
ハザマは呟く。
不意に発生した仕事に対して、つけ焼き刃的に対応するための人員を急ぎ育成してそれに当たらせるのは、洞窟衆ではよくあることでもある。
「そうした受け入れ体制の強化と平行して、悪質な中間搾取業者の取り締まり強化も予定しております」
その直属班の者は続けた。
「これは、先に説明した法案が正式に発布したあとのことになりますが。
発布の前に、いくらかの猶予期間を設けた上で関係各所に法案の内容を通達し、正式発布以降、この内容に違える者が居れば即座に捕縛し、相応の罰則を課します」
「罰金刑と、それに領内からの追放刑か」
悪徳業者への罰則としては、それで十分なのだろう。
領外での行動については、そもそもハザマ領の官吏には取り締まるための権限もない。
「案としては妥当だが、現実に実行可能か?
その、戦力的な意味で」
「ファンタルさんの弟子や孫弟子から訓練を受けた者がハザマ領内にどれほど居るのかご存じないのですか?」
ハザマが問うと、その者は目を丸くした。
「現在、直接兵役に就いていなくとも、有事の際には専用の通信タグを通じてかなりの人数を動員することが可能です。
戦力に困ることはまずありません」
そうした、普段は別の仕事に従事している予備兵力はハザマ領内には常識外に多かった。
直接的な連絡がない場合でも、明らかに違法行為をしている現場に遭遇したら各自の判断で仲間を集め、取り押さえる。
商用地区など人の数が多い場所ほどそうした予備兵力に相当する者の比重も多くなる理屈で、そのことが急成長中のハザマ領内の治安維持にかなり貢献していた。
なにしろ余所者ばかりが絶えず流入してくる土地柄であるから、些細な衝突や犯罪件数は決して少なくはないのだが、そうしたトラブルが発生してもすぐに近場に居る何人かが駆けつけて取り押さえ、大事に至る前に原因を処理する。
そうした空気が、すでに領内に根づきはじめていた。
そうした正式に訓練を受け経験のある者は日常的にトンファーを携帯しているか、それとも特徴のある腕章を身につけているので誰の目にも身分は明らかにしており、多少なりともハザマ領内の事情に明るい者はその人数の多さに気づいて、あるいは呆れて、悪事を働くこと自体を断念する。
そのような構造が、ハザマが知らないうちに構築されているということだった。
「まあ、国境紛争が存在したせいで成立したような土地柄だしな」
そうした説明を受けたあと、ハザマはそんな感想を漏らす。
予備兵力を含めた戦闘要員の多さ自体は、ハザマは別に不思議には思わない。
元々、ファンタルの名望も手伝って武勇によって名をあげようとする者が多く集まっていたことも知っていたし、そうした者たちを順次際限なく受け入れていたことも知っている。
そうして集まった者たちが、実際に一通りの訓練を受けた後にどのような身の振り方をしたのかまでは、ここで説明を聞くまでは知らなかったが。
ハザマ領内の兵士として、あるいは洞窟衆で抱える私兵として選抜されるのは志望者の中でも優秀な、ごく一部の者たちだけであり、それ以外の大多数の者たちは現在、普段は別の仕事に就いている、というわけだった。
それはそれでいいのだが。
「そういうやつら、よくこちらのいうことを聞いてくれるよな」
ハザマは、ふと浮かんだ疑問を呟いてみた。
「忠誠心のことですか?」
呆れたような口調で、直属班の者が説明してくれる。
「なんだかんだいって、領内の雇用条件は他の地域よりも格段にいいですからね。
報酬だけではなく、環境的にも。
これほど清潔で過ごしやすい場所も、近隣の諸国にはまずないでしょう」
余所の土地を知っていれば知っているほど、このハザマ領からは離れたがらないはずだと、その者は保証してくれる。
忠誠心、といういい方をすると身構えてしまうが、自分が属する良好な環境を可能な限り保全しようとする気持ちならば、ハザマにもよく理解できた。
だとすれば、ハザマが領主としてやるべきことは、その心地よい環境をできるだけ保ち、なおかついい点をさらに延ばしていくように務めることだろうな、と、内心でそうも思う。
「外交ならびに諜報要員を育成する件についてですが」
その者がさがり、今度は別の者が別種の案件について相談にきた。
「ルアさんとも相談した結果、外交に関しては、養成するまでもなく、それなりの適性を持つ方が居ることが判明しました」
「誰だ? それは?」
ハザマは首をひねる。
本気で、心当たりがなかった。
「居るじゃないですか、本物の王女様が」
「……アポリッテア・スデスラス姫か?」
ハザマはげんなりした表情でいう。
「あの人は、駄目だぞ。
ここまで来たいきさつがいきさつだし、素直にこちらの味方になってくれるとも思えん。
いや、それ以前に、今はヘムレニー教団で保護されて静かな暮らしをしているわけだから、そのままそっとしておいてやれ」
「いえ、別人です」
その者は、呆れた口調で応じる。
「男爵様も、何度も対面している方のはずですが」
「王女、王女。
おれが何度も会っている、王女様ね」
ハザマは、今までの記憶を思い返してそれらしき人物を捜し出そうと試みる。
「流石に王女様とはそんなに何人も知り合ってはいないはずだからな。
名前がすぐに出てきそうなもんだが」
「本当に、思い当たりませんか?」
その者が、さらに呆れた声で確認してくる。
「ニライア・ガンガジル王女。
いまだ捕虜のまま、ガンガジル王国からの返還要求もなく、身柄の置き所が宙に浮いたままになっているお方です。
われわれが利用しても、どこからも文句は来ないでしょう」
「あっ!」
ハザマは、小さく叫んだ。
「いわれてはじめて気づいたが……そういえば、あいつも立派な王女様だったなあ」
あいつの場合、他の属性の印象が強すぎて、身分とか出自の印象が薄いんだよなあ、と、ハザマは心中で誰にともなくいいわけじみたことを思う。
「そうすると、ガダナクル連邦からこちらに呼び戻す形になるわけか」
「それくらいの手間ならば、どうということもありません」
その者は、熱心な口調でかなり直接的なものいいをする。
「仮にも一国の王女として教育を受けた身です。
すぐに社交界に出しても、それなりの受け答えはできるでしょう。
なにより、わたしたちには他にすぐに使える手駒を持っていません」
「……いや、まあ。
その理屈は、わからないでもないんだがな」
その担当者とはうらはらに、ハザマの方はその人選にあまり賛同できなかった。
「でも、すぐ使えるやつが他にいないというのも、もっともだし……。
ま、まずはガダナクル連邦にニライア姫の身柄を移送していいものかどうかを打診してみて、そのあとニライア姫本人に、洞窟衆のためにこういう仕事をする気があるのかを確認してみてくれ。
その両方の条件をクリアできた場合にのみ、その件を実行に移すように」
あくまで条件面のみを見るのならば、確かに反対すべき理由もない、妥当な人選なのである。
ハザマ個人の印象論で強固に反対すべき場面でもなかった。
「では、その件に関してはそのように処理をさせていただきます」
担当者はハザマの言葉に頷く。
「つぎに、もう一方の諜報要員の育成に関してですが、こちらについてはいまだに見通しがついておりません」
「まあ、当然だろうな」
ハザマはあっさりと頷く。
優秀なスパイの作り方など、ノウハウ本がそこいらで市販されているとも思えない。
「そちらに関しては、将来的な課題として気長に……」
「ですが」
ハザマの言葉を途中で遮るように、その担当者は語気を強める。
「まるきっり手掛かりがないわけでもありません」
「どういうことだ?」
ハザマは首をひねった。
「詳しく説明してくれ」
「先日、ガンガジル動乱の際にハザマ領から出した人たちの一部が、王家直属の影組の方との婚約関係を成立させております」
「……いわれてみれば、そういうこともあったな」
ハザマは、呟いた。
ハザマの中ではあまり重要な案件でもなかったし、それに、他家に嫁いでいく者に対してなにかしら期待することもなかったので、これまで念頭から消えていたのだ。
「その婚約者たちに、人材育成の指南役をお願いしてみるっていうのか?」
そう口にしながらも、ハザマ自身は、
「それは無理筋だろう」
と思いこんでいる。
その手の技術というのは、だいたいにおいて門外不出、部外者には漏らされることがないと相場が決まっているのだ。
「すでにお願いしてみたのですが、すっぱり断られました」
「努力と行動力は認める」
ハザマはそう評価した。
結果は案の定であったが。
「やはり、部外者には教えられない秘伝の部分が多いということでして」
「だろうな」
ハザマは頷いた。
役割を考えれば、無理もないことなのだ。
「ですが、例外としてくれるよう、大本の頭領に頼んでみるといってくださいました」
「おい!」
ハザマは叫んだ。
「そんな大胆なことをして、粛正されないか! そいつ!」
「お願いするだけでしたら、大丈夫だそうです」
「そうなのか」
一応、ハザマは安心してみせる。
ハザマ領の都合で部下の婚約者が上司に暗殺される状況というのは、どう考えても寝覚めが悪い。
「それで早速、その頭領の方からの書状をお預かりしているのですが」
「おい!」
ハザマはまた大きな声を出す。
「行動が早すぎるよお前!」




