会戦の直前
クリフは毎朝きっかり五十回、剣の素振りをする。
ハザマ領にいたときからの日課だった。
クリフの剣術は、一応はファンタル仕込みである。
ただし、個人的に教授されたわけではなく、他の志願者たちと一緒くたに教練が行われたときに、クリフが自分の意志でこっそりとその群れの中に紛れ込んだ結果だった。
「武術や剣術など、実際に役に立つことはほとんどない」
そのとき、その場にいた全員に対してファンタルが行った訓辞をクリフは今でも明瞭におぼえている。
「たとえば実際の戦場でも、剣術の名人が詰まらない流れ矢を受けて命を落としたりする。
戦場で誰が生き残るのかを決定づける一番の要因は、武術の腕でも膂力でも度胸でもなく、結局のところ運の良さだ。
戦場ではなく平時ならば、なおさら武術などなんの役にも立たない。
もっとも確実な護身術は、自分の腕を磨くことよりも、極力、自分の身を危ない事物から遠ざけようとする心がけることの方が確実だ。
いわば、その手の技量などは決定的に無用の長物なけだが、それをおして腕を磨きたいと心得る者だけが残って鍛錬を受けていけ」
当然、クリフは自分の意志でその場に居残ったわけだが、それでもまた別の集団に振り分けられた。
「若年ゆえに体ができておらず、本格的な修練を受けるには値しない者」の組に、である。
「体が育ちきる前に激しい運動をさせると、かえって体に悪い」
若年組にむかって、ファンタルはそのように説明をした。
「本来ならば、基本的な体力をつけるところから開始するのが合理的な道筋というものなのだが、お前たちにはそれをさせるのは不適切ということだ。
だから、体に負担をかけないという前提で行える修練を教えておく」
その場でファンタルがクリフら若年組に教えたのは、剣の素振りの型数種類だけだった。
まずファンタルが全員の目の前で実演して見せ、そのあとに古びた剣を若年組に配って全員に真似をさせる。
国境紛争のときに使用されてまだ鋳つぶされていない、鉄屑同然の価値しかないなまくらの剣がまだ残っていた時期だった。
その後、ファンタルが一人一人の型を検分し、必要があれば体の動きを直していった。
全員の型を見直してとりあえず納得のいったらしいファンタルは、全員にこう述べた。
「今教えた型を、毎日きっかり五十回づつ繰り返すように。
それを何年か続ける根性があれば、剣術の基本はおのずとお前らの体に染み込んでいるはずだ。
何年か経ってまた機会があれば、次の段階の修練を教えてやる」
クリフがファンタルから手ほどきされたことは、これがすべてであった。
その日以来、クリフは愚直に毎日五十回、ファンタルに教えられた型を反復して行っていた。
最初のうち、大きすぎ、ずしりと重みを感じた大人用の剣も今ではずっと手に馴染んだものとなっている。
最初に教えられた動きをできるだけ再現するように心がけながら、より素早く、鋭く、数えながら素振りを行う。
この型の反復練習は他に用件がなければ、毎朝、まだ起きている者が少ないような早朝に、それもなるべく人目がない場所に移動して行うことにしていた。
なんとなく他人の目があるところで行うのは、気恥ずかしい気がしたからである。
より素早く。鋭く。
同じ動作を何度も繰り返すうちに、次第に意識が明瞭になっていく気がする。
その明瞭になった意識の中に、なにか引っかかるものがあった。
型の反復を止めて、クリフはそちらの方に視線をむける。
「ああ、悪い」
頭を掻きながら、テンロ教徒のメイムがこちらに近寄ってきた。
「邪魔をするつもりもなかったんだが、気を散らせてしまったか。
なかなか興味深い動きだと思ったんで、つい目をむけてしまった」
このメイムという少女は、クリフとだいたい同じ年頃だろうか。
少しばかりの年長のニライア・ガンガジル姫と同じく、クリフの中では「客人の中で手が掛かる方」として分類されている。
ようやくここ数日は落ち着いてきたのだが、この野営地に着いたときは、目にする者すべてが珍しいらしく、野営地内を案内中に何度も質問を繰り返されて予想外に時間を取られたものだった。
その見学が一通り終わると、なにを考えたのか今度は、
「できるだけ沢山のお金を稼ぎたい」
といいだした。
「働いていただくのは当然のこととして」
クリフは即答する。
「メイムさんは、具体的になにができますか?」
捕虜であるニライア姫とは違い、このメイムはどちらかというと招かれざる客の方であり、当然のことながらその飲食などに掛かる費用を洞窟衆が持つべき義理もないのであった。
「体力にだけは自信がある!」
メイムは薄い胸を張ってそう主張した。
「……では、紹介状を用意しておきますので、荷捌き所にでも行ってください」
しばらく何処かと通信で連絡をしたあと、クリフはそう結論した。
この野営地においては早朝から深夜にまで、なにかしらの荷物の積み卸し作業をやっている。
大の男でもすぐに弱音を吐くような、ほとんど休憩も取れないようなきつい肉体労働であったが、本人が「キツくても実入りがよい仕事」を欲しているのだから、こちらが遠慮すべき理由もない。
クリフはメイムがすぐにその仕事を投げ出すものと予想していたのだが、予想外に続いており、それどころか職場での評判も上々のようで、日雇い仕事としては高額な賃金を毎日持ち帰ってきている。
一見して細く、華奢な体つきをしている割には、どうやらこのメイムの身体は頑強にできているようだった。
「誰に教わったんだ、その剣術」
「ファンタルさんですよ」
「ファンタル?
ああ、はぐれエルフのことか」
メイムはそういって大きく頷いた。
「道理で。
無駄がなく、理に適っている動きだ」
「そうなんですか?」
かえって、クリフの方が首を捻ってしまった。
「そうさ」
メイムは説明する。
「はぐれエルフといえば、流血沙汰を求めて何十年も戦場ばかりを渡り歩いている化け物だ。
他のことならともかく、戦い方については誰よりも詳しいはずだ」
クリフは軽い目眩をおぼえた。
このメイムが抱いているイメージとクリフが見知っているファンタルとの間には、どうにも埋まらない溝のような物がある気がする。
「メイムさんは、剣術の心得があるんですか?」
話題を逸らしたくて、クリフはそんな風に水をむけた。
「剣術も多少かじってはいるが、わたしの場合、もっとも得意とするのはこれだな」
そういって、メイムは自分の左のてのひらに右の拳を打ち合わせる。
「素手による白兵は、テンロ教徒がもっとも好むところだ。
というより、一人前のテンロ教徒なら、武器となる物がろくにない場所で先陣を切って民衆を蜂起させるすべを一通り嗜んでいる」
嫌な宗理だなあ、と、クリフは思った。
「ガダナクル連邦」という名称が決まったとはいっても、その内情はかなり不安定なものだった。
なにしろ、つい先日まで敵味方に別れていがみ合っていた連中か必要に迫られて寄り集まった集団である。
不和の種には事欠かない。
たとえば部族民同士であっても、食料買い入れの優先権を巡って摩擦を起こしているような有様なのだ。
対スデスラス王国戦において、そのガダナクル連邦の指揮を任されたファンタルがまず最初に手を着けたのは、有り余る志願者の中から使えそうな者とそうでないものを選別する作業だった。
「敵は何十万といえるんだぞ?
ろくに鍛える暇もないというに今さら兵数だけを水増ししたとしても、かえって足手まといになるだけだ」
ということで、腕力や体力、武術の腕の良し悪しは度外視して、ただひたすら、
「問題行動を起こさない」こと。
ならびに、
「命令に従う気がある」こと。
この二点のみを選考の基準とした。
そもそも今回は、正面からスデスラス王国軍とやり合うつもりはない。
そんなことをしたら、兵力において圧倒的な不利にあるこちらが負けるのは火を見るよりも明らかなのである。
今回、必要となるのは、あくまで「戦士として優秀な人材」ではなく、「協調性があり、作戦行動をまっとうできる人材」なのであった。
そうして選別した「使える人材」すべてに、ファンタルは弓やクロスボウを持たせた。
ここに野営地を置いて以来、矢と合わせて継続的に増産させていたので、こちらはすでにかなりの数量、生産させていた。
「基本的な方針は、敵の射程外から打撃を与え続けるということになる。
そのための準備は、今の段階でもかなり整っている」
ファンタルはガダナクル連邦のお偉方を前にして、そう説明した。
「たとえば、この投石機だが」
ファンタルが合図をすると、ムヒライヒ・アルマヌニア公子が投石機を操作した。
巨大な腕木が轟音をたてて跳ねあがり、弾頭を空高く弾き飛ばす。
通常の投石機とは異なり、その弾頭は空高く飛んで乾いた音を立てて四散した。
何事か、と連邦のお偉方が騒がしくなる。
「あれは、空中であのように弾けるように作った弾頭です」
ムヒライヒ公子はその場に居る者たちにむかって静かな声で説明をした。
「中心に少量の火薬を詰め、その周囲に小さな球状の鉛を固めてあります。
空中でその火薬が破裂し、広範囲に鉛の塊を散開させながら落下していきます。
今回の敵のように、密集して進軍して来る軍隊ならば、効率的に兵数を減らすことが可能です」
「小さな金属片が、兵士の武装を貫くというのかね?」
お偉方の一人が、そんな質問をする。
「金属片は小さくても、重くて硬いものです」
ムヒライヒ公子はやはり静かな声で答えた。
「それに、上空から落下する勢いというものは、これで馬鹿になりません。
現在存在するどのような甲や甲冑であっても、やすやすと貫いてしまうはずです。
そうした攻撃を防御するほど頑丈な装甲を作るとするのならば、今度はそれを身につける人間の方が身動きできなる計算になります」
「それは、付与魔法を用いたとしてもかね?」
「付与魔法を用いて身体能力をあげてあっても、です。
そのような状態でも現実的に運用可能な重量はたかがしてております。
その程度の装甲では、上空から落下する鉛玉を弾くことは不可能です。
そら。
その証拠を、お見せしましょう」
ムヒライヒ公子が指さす先に、兜を抱えた騎兵が見えた。
すぐに間近に迫ったその騎兵は、うやうやしい動作で抱えてきた兜をムヒライヒ公子に差し出す。
「ごらんの通り、鉄兜がこの通りです」
ムヒライヒ公子はその兜を目前に掲げて、それが穴だらけであることを示した。
おお、と見学者の間からどよめきの声が漏れる。
ムヒライヒはその兜をおお偉方に手渡し、廻して見せるようにいった。
穴だらけになった兜を手にし、その穴に指を添えて確認しながら、ガダナクル連邦のお偉方は次第に柔らかく、満足げなものとなっていった。
「……ただし、この投石機は一度発射すると次の弾を装填し発射するまでに時間がかかり、あくまで援護射撃用途としての運用にしかむいていないのですが……」
ムヒライヒ公子が続けたそうした説明に耳を傾けているお偉方は、ほとんどいなかった。
ここ数日、ニライア・ガンガジル姫は、端をきつく縛った山羊の腸に自分の吐息を詰めるだけの簡単なお仕事に従事していた。
テンロ教徒のメイムとともに、クリフにむかって、
「金払いのいい仕事がしたい」
と希望を述べたところ、紹介されたのがこの仕事である。
「なるべく毒性の強い気体を、この腸の中に詰めてください」
と、クリフは説明した。
「姫様の加護であれば可能なはずです。
毒性が強ければ強いほどいいし、量も多ければ多いほどいいそうです」
「可能か不可能かといったら、もちろん可能ですけど」
ニライア姫はそういって首を捻った。
「毒の息なんて、そんなもの、なんに使うんですか?」
当然の疑問であった。
「愚問ですね」
あっさりとクリフは答える。
「この状況が、わかっていないのですか?
もちろん、いくさに使うんですよ」
確かに、毒の息など、人を殺す以外に使いようがないわけだが……。
「それは、聞かずとも予想がつきます」
ニライア姫は不機嫌そうにそういって頬を膨らませる。
「わからないのは、もっと具体的な使い方、誰がどうやってこの腸を敵の近くにまで持って行って、破裂させるのかということです。
近くに居る人はすべて、敵味方の区別なく猛毒に晒されるわけですよ?」
「残念ながら、そこまで詳しいことは聞いておりません」
クリフはいった。
「ただ、うちの上の人たちは、そうした悪辣な思いつきに関してはたいそう長けていらっしゃるので、なにかしらうまい手段があるのだと思われます。
ついでにいっておくと、これを使うのはガンガジル王国軍ではなく、スデスラス王国軍に対してだそうです」
「いえ別に、ガンガジル王国相手に使って貰ってもいっこうに構わないなのですがね」
その加護の禍々しさゆえ、物心ついてからこのかた「限りになく保護に近い蟄居」という扱いで過ごしてきたニライア姫は、愛国心とか祖国愛といった心象がははなはだ希薄であった。
「そのかわり、お金はちゃんと弾んでくださいよ」




