外野の論評
メラモリを発ったスデスラス王国軍は街道などを使用せず、まっすぐに野営地にむけて荒野を突っ切るようにして移動している……と、いうことらしかった。
「メラモリからも、物見の兵を出しているそうで」
オイア・ザマンダ伯爵は、小デリガリ子爵夫妻にそう説明してくれる。
オイア・ザマンダ伯爵はもともと城内で事務仕事に携わっていた文官の出であり、現在野営地に居るザマンダ伯爵からみると娘婿にあたる。
このザマンダ伯爵がその地位を継いでからそろそろ十五年くらいになるのだが、その間一貫しておおむね公正な治世を行っていたので、領民から不満が出ることはなかった。
ザマンダ伯爵領の領都はジスカルといい、人口八万ほどと小振りながらも南北の交通路が交わり、ガンガジル王国の中ではかなり賑わっている場所のひとつである。
小デリガリ子爵率いる避難民の一行はようやく昨日、そのジスカルに到着し、長旅の疲れを癒している。
避難民たちはこれから、そのまま子爵とともにデリガリ子爵領にむかう者、それ以外に、別に心当たりがあるものはここで別れて別行動に移る者などに別れていくわけであるが、オイア・ザマンダ伯爵は小デリガリ子爵と古くからの故知でもあり、国内の領主の中では有数の「領民に優しい領主」とされている。
避難民たちの窮状を知らされるとすぐに食料や馬車の手配などをしてくれたし、これからも続く旅はここでぐっと楽になるはずだった。
分担して細々とした手配をしたあと、ザマンダ伯爵夫妻と小デリガリ子爵夫妻がようやくゆっくりと歓談する機会に恵まれたのは、ようやくこの晩になってからのことだった。
「それで、おぬしのところはどうするつもりか?」
小デリガリ子爵は、単刀直入にザマンダ伯爵に訊ねた。
「北部に着くのか、それとも南部か」
ガンガジル王国からの分離、独立を指向する側に着くのか、それとも、従来のように王家の配下に着くことをよしとするのか。
このジスカルは、地理的にはその北部と南部の境界線に近い場所に存在していた。
「それなんですがね」
ザマンダ伯爵は柔和な笑みを浮かべて、答える。
「もうしばらく、様子見を決め込もうかと思います」
「ふん。
おぬしらしいな」
小デリガリ子爵は頷く。
「だがまあ、それもいいだろう」
「誰もがあなたのように速断をできるわけではありませんよ」
小デリガリ子爵婦人は伴侶に対して諫めるような口振りをした。
「ましてや、多くの領民の今後までを考えるますと」
「なにぶん、先代様からお預かりしている領地ですからね」
ザマンダ伯爵はいった。
「奇麗な形で次代に引き継ぎができないことになりますと、先代様に顔向けができません」
「その次代を担う者は、今いくつであったかな?」
「今年でようやく十三になります」
この問いには、ザマンダ伯爵夫人が応じた。
「まだまだ子どもでして」
「そうか。
もう十三になるのか」
小デリガリ子爵は顔を綻ばせた。
「では、可愛い盛りであろう」
「それはもう」
ザマンダ伯爵は即答した。
「目に入れても痛くないとはあの子のことでして。
で、あるからこそ、なおさら軽率な判断は慎もうかと思います」
このジスカルが北部と南部の境界線上に存在するということは、いいかえれば、今後、南北の対立が激しくなったとき、どちらの陣営に与したとしても、容赦なく前線基地として機能せざるを得ない、ということでもある。
ザマンダ伯爵の立場にしてみれば、仮にガンガジル王国が分裂が避けられないこととしても、できるだけ穏便な形に落ち着いて欲しいところだった。
「では、もうしばらくは決断するつもりはないのか?」
「ええ」
ザマンダ伯爵はかぶりを振った。
「どっちつかずですぐに旗色を鮮明にしない方が、なにかと情勢も読みやすいので」
現在のジスカルの立ち位置だと、なにもいわずとも、王都からも北部からも情報が流入してくる。
これはこれで、重宝する立ち位置でもあるのだった。
「今後は、いろいろと難しいことになるな」
子デリガリ子爵は、そうしたザマンダ伯爵の態度を否定も肯定もしなかった。
「今までは、われら領主は王家の顔色さえうかがっていればそれでよかった。
これからは、それぞれ独自に頭を使って生き延びるための術を模索しなければならない」
「それはいいとして……」
ザマンダ伯爵は話題をかえた。
「……スデスラス王国の大軍は、勝てますかね?」
「連邦とやらにか?」
子デリガリ子爵は、わずかに顔をしかめる。
「数の上でいえば、まず負けることはないのだろうが……」
「と、いいますと……やはり必勝とわけでもない、と?」
「いくさに、絶対はない」
子デリガリ子爵はきっぱりといった。
「それに、兵数で圧倒しているスデスラス王国の側にも、それなりに不安材料はある」
「輸送隊が分断されることを恐れて、物資はすべて兵に持たせているそうですね」
「そう。
付与魔法を使用して兵を強化しているそうだが、それにだって限界はある」
子デリガリ子爵は大きく頷いた。
「スデスラス王国軍は、持久戦となったらたちまち弱体化するであろう」
「連邦とやらは、あの大軍に抗することができますか?」
「勝利することはできないまでも、熾烈な抵抗はするのではないかな?
やつらにしてみれば、まさしく国の存続を賭けた一戦だ。
それそこ、死にもの狂いで抵抗はするだろう。
それに……」
「それに?」
「混合軍の背後には、あのメレディラス王国が在る。
あそこの王家は、ときとして奇策を用いるからなあ。
正面のいくさで勝てないと思えば、必ずや、なにかしらの対策を講じてくるだろうよ。
それも、とびきり悪辣なやつをだ」
「それで……」
そのとき、アレウス・デリガリは祖父であるデリガリ子爵と対局していた。
「お爺さまは、今後どうなさるおつもりですか?」
「どうするもなにも。
ほれ、王手だ」
「あっ!」
「おぬし、弱いのう」
デリガリ子爵はそういって顔を綻ばせた。
「いっこうに上達する様子がない。
決定的に筋が悪い」
「そんなに追い打ちをかけなくてもいいじゃありませんか!」
涙目になりながら、アレウスが応じた。
「将棋はあまり得意とはしませんが、チェスでならばもう少し粘れます!」
将棋もチェスも、アレウスはこの野営地に着いてからおぼえている。
つまり、そうした遊戯を知ってから、まだまだ日が浅かった。
「では、次はチェスでいくか」
デリガリ子爵はいそいそと将棋の盤を片づけはじめる。
「それで、なんのはなしであったかな?」
「今後どうなさるおつもりか、そして、今後どうするべきかということです!」
アレウスは声を大きくする。
「この微妙な情勢下において……」
「領地のことは、おぬしら若い者が好きに判断するがいい。
わしは、とうの昔に隠居した身であるからな。
今さら、口を出すつもりはないわ」
「平時でならばそれでいいでしょうが、こういう微妙な時期になら、少しくらいはお知恵を貸していただいても……」
「くどいぞ」
デリガリ子爵はきっぱりとした口調で告げる。
「おぬしもここ数日、この野営地のあちこちを嗅ぎ回っていたようではないか。
その目で見てきた事物を元にして存分に考え、今後の身の振り方を決めるがよい」
「ああ、もう!」
アレウスは発作的な動作で自分の頭をかきむしる。
「父上といい、なんだって肝心なところでこうも放任主義なんですかねえ!」
「それで、この野営地周辺は、おぬしの目からするとどう映った?」
ここで、デリガリ子爵は口調を変えた。
「どう映った……といいますと」
アレウスが、思案顔になる。
「そうですね。
いささか乱雑で無秩序な気はしますが、活気はあるかと思います」
「そうであろう」
デリガリ子爵は頷く。
「明日にでもスデスラス王国の大軍が襲いかかろうというこの時期に、ここの者たちがどうして活気づいているのか、分かるか?」
「彼らが逃げないのは、もう逃げ場がないと分かっているからではないですか?」
アレウスは、怪訝な顔つきになった。
「ここを抜かれたら、周辺地域はスデスラス王国の手中に収まってしまうから。
そうなってしまえば、どこに逃げてもあまりかわりありません」
「ただ戦乱を恐れるだけならば、国外に脱出する手もあろう。
なぜ、そうしないでこの場に留まる者が多いのか?」
「ええと、それは……」
アレウスは、ますます考え込む顔つきになった。
「……ここに居れば、その、稼げるからではないですかね。
仕事には事欠かないわけですし。
ええと……それに、そう。
ここには、手に職をつける機会であふれているわけですし……」
「それでは、ガンガジル王国並びにガルメラ王国、そうだな。
それに、アジエスやブリュムルを含めてもよい。
それらの諸国をひっくるめて、今のこの地よりも賑わいを見せている場所が他にあると思うか?」
「いいえ」
アレウスはあっさりと首を振った。
「たとえ王都のメラモリであっても、この野営地と比べると随分と見劣りするはずです」
表面的な賑やかさ、ということだけではなく、食料や工業製品などの取引も、この地ではかなり活発なのであった。
驚くほど大量の商品が、右から左へと持ち主を変えて運ばれていく。
アレウスはその全貌まで把握しているわけではなかったが、そのアレウスが知る範囲内だけでも莫大な取引高が発生している。
この野営地は、今では周辺地域における重要な商業拠点になっている、といっても過言ではなかった。
「そのような賑わいをみせるこの場所が、むざむざとスデスラス王国に蹂躙されることをよしとする者は、どれほど居ると思うか?」
「それは……」
アレウスはしばらく言葉に窮した。
「もはや、スデスラス王国に抗する者がガダナクル連邦だけには留まらないということでございますか?」
「影に日向に、スデスラス王国に抗する者が増えていくであろうな」
デリガリ子爵はいった。
「スデスラス王国にしてみれば、可能な限り短い時間でこの地を制圧したいところであろうが、連邦側は死にもの狂いで抵抗するし、今ではそれを支援する者も多い。
スデスラスは、決して楽には勝てないであろう。
それに、な」
「なんでございましょうか?」
「仮に、この野営地が制圧されたとしても、混合軍がこの地にもたらしたものは多い。
仮に軍事的にこの周辺国を併呑したとしても、一度勢いづいた民がおとなしくスデスラス王国の風下に立てるかというと、これはかなりあやふやだ」
「民の勢い、ですか?」
「知識を増やし、技を学び、金銭のやり取りをする。
こうした動きが、総じて活発になってきている。
こうした風潮は、民を総括する立場の者が入れ替わっただけでは、にわかには下火にはならんぞ。
仮にスデスラス王国が近隣の土地を支配下に治めたとしても、より賢く活発になった領民を、果たしてうまく扱うことができるのか、どうか」
「それは……」
自分の祖父のいいように、アレウスは絶句した。
「……突き詰めて考えれば、スデスラス王国に限らず、領民が力を増すのに従って、領主の存在意義が否定されていくことになりませんか?」
「いきなり完全に否定されることはないであろうが、下の者が力をつければ、上の者の権威は相対的に減じていくことにはなろうな」
デリガリ子爵は、あっさりとそういって頷いた。
「今、ここで進行しつつあるのは、そういうことだとわしは感じている。
何世代か先には、領主なぞ必要としないとさえ考えるような領民も、かなり増えていることだろう」
アレウスは絶句したまま、祖父の言葉を頭の中で反芻してみた。
反論しようと懸命にその論旨の綻びを探ろうとしているのだが、なかなか成功しない。
「で、あればだ」
アレウスがしばらく黙り込んでしまったので、デリガリ子爵は言葉を継いだ。
「そのような状況が進行中であるのに、ガルメラだスデスラスだとガダナクルだと騒ぐのも、こういってはなんだが、わしにはあまり重要な問題ではないように思えるのだ。
誰が支配していようとも、これからはあまり関係がなくなってくるのではないのか?
おぬしは、印刷所はもう見学したか?
あそこのやり方に従えば、従来であれば一月以上かかって書き写していた内容を、半日もしないうちに何十、何百という数で複写できることなる。
事実、洞窟衆とやらが流通させた付与魔法の教本は、スデスラス王国軍に利しているではないか。
知識はもはや、金持ちや有閑階級だけの占有物ではなくなっていくだろう。
そのように際限なく力をつけていく領民を治める術を身につけている領主や貴族が、この地のどこに居ると思う?」
国同士の諍いに注視するのもいいが、今後の身の振り方を考えるのであれば、もっと大局を見るべきではないか、とデリガリ子爵は結んだ。




