ある種の齟齬
その前後、トエス率いる犬頭人たちの一団は一度北上して山地に帰っていた。
森東地域での人的な基盤が整いつつあったこともあり、今だに偏見の目に晒されることが多い犬頭人たちをこれ以上、見よがしに引き連れて歩くことを避けたのと、それに、山地で効率的に動ける人員が足りなくなってきたからだ。
冒険者ギルドに登録している森歩きたちもそれなりに稼働していたのだが、森の中での移動効率という点では犬頭人たちと比較にすらならない。
機動力、すなわち、柔軟に運用可能という点において、犬頭人たちは人間などよりも数段勝っていた。
適所適材、というわけであり、今後の展望を考慮すると、森東地域に接する山地を押さえておく必要があるのは、トエスにしても理解できる。
「にしても、忙しないとは思うけどね」
トエスは、そう独語した。
山地方面の部族民たちには、外交ルートでもこれ以上に森東地域への干渉を行わないようにと、圧力をかけてはいる。
だが、山地の部族というのはとにかく数が多く、そのすべてに洞窟衆側の意思を伝えてまっとうさせることは、事実上不可能だった。
なにより、洞窟衆なりハザマ領なりは、そうした部族民たちにすれば単なる取引相手に過ぎず、普段から交渉がある部族はこちらの主張に対してもそれなりに耳を傾けてくれるが、関係の薄い部族からすれば、こちらのいうことを聞かねばならない理由がない。
強制力、という点においてはかなり怪しく、そうした外交工作だけをして結果のみを期待する、というのは現実的な思考とはいえない。
結局、確実を期するとすれば、実力行使でこちらの意向を徹底させる必要が出て来る。
そのための実戦部隊として、トエス率いる犬頭人たちに白羽の矢が当たったわけだった。
トエスと犬頭人たちだけではなく、水妖使いの三人組とアレルとエレルの双子も同行していた。
水妖使いたちは港町にでも駐留させておけばそれなりに有効に活用可能な人材でもあったのだが、判断能力という点でいささか不安があり、結局トエスといっしょに山地に帰らせている。
水妖使いについては、お目付役を配しておかないとなにか心配、という点では、双子たちと大差ない扱いになっていて、いつの間にかそのお目付役がトエスに固定している、という事情もあった。
それはともかく、犬頭人たちも森東地域に置いておくよりは山地の森の中で運用する方がなにかと便利であったし、なにより、ハザマ領と近い場所の方が気軽に連絡や相談がしやすく、なにかと融通も利く。
この異動に関して、トエスもそれなりに納得はしている。
それに、移動距離が長いとはいえ、水路なども活用していたから実際には時間も手間はさほどかかっていない。
さらにいえば、犬頭人たちに指示を出す仕事も、アレルとエレルの二人がかなり使えるようになって来ているので、トエス自身の負担はかなり少なかった。
この犬頭人とエルフのハーフになる二人がいうことを、犬頭人たちは不思議と従順に聞く。
以前からそうした傾向はあったのだが、双子たちも今では成長して体が大きくなって、今では犬頭人と遜色のない体力と移動速度を獲得している。
そのおかげで、実質的には犬頭人たちの統率者が三人に増えているような状況であり、トエスと双子が通信で連絡を取り合えばかなり柔軟な運用が可能となっていた。
森の中に居る限り、犬頭人たちも自分で消費する程度の食料は近場から自力で調達してくる。
そうした理由により、森の中の犬頭人たちはなにかと強く、人間の軍隊よりも優位にあると、トエスは判断している。
よほどのことがない限り、負けることはないだろう、と。
今、トエスが心配しているのはそうした実戦力の問題ではなく。
「あのう」
トエスは、山地に戻ってから合流してきた人たちに確認した。
「わたしら、これからどうすればいいんすか?」
「もう少しお待ちください」
バジルニアから派遣されてきた者は、トエスに対して、穏やかな微笑みを浮かべて応じた。
「今、各方面に確認を取って、今後の方針を定めておりますので」
あ、こりゃ駄目かな。
と、トエスは思う。
わざわざバジルニアから派遣されて来た、ということは、この人たちも決して無能ではないのだろう。
ただし彼らが秀でているのは、書類を前にした時に発揮される類いの才覚だ。
「方針はもう決まっているはずですが」
トエスはいった。
「森方面から森東地域へと南下する勢力を出さないように監視する。
もしそんな勢力を見つけたら阻止、それが無理でもその行動を阻害をする。
そのために、わたしらはこちらに呼び戻されたはずです」
「ですから」
トエスの相手をしていた青年は、相変わらず穏やかな笑みを崩さずにそう受ける。
「その遮断工作をするために効率的な地点を割り出している最中なのです。
それと、外交関係の工作もいまだ不十分であり……」
「では!」
トエスは語気を強めた。
「その結論が出るのはいつですか?
結論が出るまでの間、犬頭人たちはどこに待機させておけばいいのですか?」
「ですから、その結論が出るまで、もう少しお待ちください」
いよいよ本格的に駄目だなあ。
と、トエスはげんなりする。
少なくとも、今回ここに派遣された人間は、危機感が足りない平和ボケした連中ばかりのようだった。
「それではとりあえず、犬頭人たちはこのあたりに、適当に分散して配置しておきますね」
頭の中で大きく深呼吸して気分を落ち着かせてから、トエスはようやくその言葉を絞り出す。
「犬頭人たちが自分の餌を調達するためには、ある程度散らばっていた方が都合がいいので。
なに、必要になった時はすぐに呼び戻せますから」
「そうですね」
トエスの相手をしていた青年は、うんうんと何度も大きく頷く。
「そうしていただくのが、よろしいかと」
「では、そのように」
トエスはそういってすぐに踵を返し、軽く手を振ってその天幕を後にする。
『アレル、エレル』
そのまま通信で、双子に呼びかけた。
『森の中、森東地域に接する地帯に、出来るだけ細長ーく犬頭人たちを配置しておいて』
双子たちからそれぞれに了解する旨、通信が返ってくる。
多分そうなる、と、ここまで帰る途中で説明していた通りのことをさせるだけだったから、その指示を実行に移すにしても大きな混乱は起きない。
東西に細長く延びて配置され、これだけでも事実上、山地から森東地域へと移動する連中を監視することが可能だった。
おそらく、その範囲は天幕に居た連中が想像していたよりもずっと遠くにまで届いているはずだったが、犬頭人たちを分散して配置する、という許可はさっき得たばかりだから、これも問題はない。
直上の連中が頼りにならないのなら、ある程度こちらで臨機応変に動かないとどうにもなんないよな。
と、トエスは思う。
洞窟衆も最近は人員を育成しては現場に放り出しているわけで、その分、現場を知らないというか危機感がないというか、とにかく頭でっかちで行動が遅い人間も増えてきている気がする。
机上の空論を弄ぶタイプが増えてきた、ということもあるのだろうが、それ以上に、仕事の場で決断をして、後で責任を取らされることを恐れている人間が増えているのではないか。
ついこの間まで、やると決めたことは迅速に実行出来ていたのにな。
とも、トエスは思った。
組織が肥大化し、人が増えた分、そうした体質を受け継ぐことも段々と難しくなるのかも知れない。
後は。
トエスは、リンザに通信を入れて、今回の独断専行について説明しておいた。
中間に居る連中を通り越してバジルニア首脳部に属するリンザに事後承諾を得るという行為も、トエスとしてはあまり気持ちがよくない。
しかし、天幕の連中のいう通りにして時間を無駄にするよりは、遙かにマシなのだ。
『それは、仕方がないね』
トエスの説明を一通り聞いた後、リンザはいった。
『今回はそれでいいと思う。
後、危機感とか動きが鈍いとかの問題も、こちらで対策を考えておく』
『頼むよ』
トエスはいった。
『こういうのは、上からビシッといい続けないとなかなか改善されないから』
『そうだね』
リンザはいった。
『わたしたちは少し、急いで大きくなりすぎたんだと思う。
新しく来た人たちが、なかなかわたしたちの速度に追いつかない』
『そういうのは、座学では教えられないんだからさ』
トエスはいった。
『見込みのある人はどんどん現場に放り込んで、そこで揉んで貰うしかないよ』
『どっちにせよ、すぐに古参組と同じくらい速やかに動ける、という風にはならないと思うけどね』
リンザはいった。
『わたしたちは、なんというか、かなり特殊みたいだから』
『それはわかっているんだけどさあ』
トエスはいった。
『その特殊な方に育って貰わないと、新しい人たちもこれからやっていけないよ?
現実問題として』




