現地での評価
洞窟衆が進出した地域では、住民たちの意識が静かに変容しているところだった。
氏族など、既存の勢力の単位でも今後どのような指針で動くべきなのか、かなり深く検討を重ねるようになっている。
洞窟衆は頼りになる取引相手であったが、だからといって一切合切を洞窟衆の判断に委ねようとするほど単純な者はほとんどいなかった。
一族郎党の将来がかかっているのだから慎重になるのは当然であり、様々な可能性を検討した上で今後の方針を決めようとする。
当然、これまで視野に入れていなかった分野や地域のことまで詳細に調べはじめる者が続出することになる。
他者の失敗は、その轍を踏まないようにするための大きな指針となるからだ。
洞窟衆が一般に公開している新聞や書籍なども精査し、その上でその場に居合わせた者を捜し出し、洞窟衆が提供している情報がどこまで正確なのか検証をする勢力がほとんどだった。
結果として、洞窟衆が正式に公開している情報は、ほとんどが正確かつかなり公正な視点で描かれたものであることが周知の事実として広く認知されはじめた。
ハザマにいわせれば、こうした状況も、
「情報というものの重要性に気づきはじめた」
と捉え、いい傾向だと評価したはずだ。
そうした動きの中で、最近の変化がどのようにして引き起こされたのか、森東地域の諸勢力はかなり詳細に知ることになる。
震源地は、どう考えても、ハザマという一個人になるのだった。
王国と部族連合との長く続いた抗争に終止符を打ったのは、ハザマがそれまで長く山地に君臨していたルシアナという偉大な存在を討ち果たしたからで。
そうしてルシアナという要を失った部族連合は統制が取れなくなり、結果、勢力争いにより弾き飛ばされた一部の部族が森東地域にまで進出してくることになる。
それまで、小競り合いはあるものの比較的小康状態を保っていた森東地域が、そうして山地から部族民が流入して来たことにより、大きな政治的混乱が起こった。
現状、森東地域の住人にとって重要なポイントは、その三点くらいになる。
ハザマを首領とする洞窟衆という集団は、その他にも大小様々な変化を起こし、影響を与え続けているわけだが、そのすべてを網羅的に把握し、理解することは不可能といえた。
ハザマという奇妙な男がこの大地に姿を現してから、まだ二年も経っていなかった。
にもかかわらず、今ではそのハザマは、周辺諸国の中で一番大きな影響力を持つ人物になっている。
不自然というか非常識というか、なにかと信じられないことが多かったが、事実としてはどうもそういうことらしい。
ハザマという男は、どうも肩書きとか身分とかにはあまり拘泥しない性格であるらしいのだが、これまでの事跡を辿ってみると、それも当然のように思えてきた。
このハザマという男は、今では、そこいらの凡庸な王侯貴族などが束になっても適わないほどの権力を持っているのだ。
そんな存在が、今さら誰かに自分の身分を保証して貰うことに、執心するべき理由がない。
称号や肩書きなどを伴わなくても、誰にも否定できないほどの業績をあげているからだ。
ただ、このハザマという男は、結果として外部の勢力に働きかけることは多かったが、自発的に、という例はほとんどなく、どちらかというと洞窟衆なりハザマ領なり、内部向けの改革に力を入れる傾向があるようだった。
今回の森東地域への干渉にしても、迅速に動くべきところは動いていたが、全般としてみるとあまりに熱心には見えない。
いや、現実に、進出してきた地域にやって来た物資や人員の数を見れば、洞窟衆が本気で森東地域に干渉をしようとしている事実は疑いようがないのだが、少なくとも性急に成果を求めるつもりはないらしい。
森に接した一帯を南北に進出して以降、洞窟衆側はその内部での足場固めに専念し、それより東への進出を急いでいる様子はなかった。
それよりは、物資や情報収集など、事前の準備を周到にして、今後、どのように状況が変化しても対応可能な状態を作ろうとしているように見える。
さらにいえば、それだけの準備を、占領や支配という手段は最低限に留め、既存の勢力と交渉し了解を取った上で自由に動ける形にしている。
例外として、五つの港町だけは武力により制圧されていたが、その後は、その港町の自治をかなり認め、実際の干渉は最低限に留めていた。
そんなあやふやな形であっても、それなりにうまく、つまりは、洞窟衆や地元の既存勢力、それに、洞窟衆の誘導によって新たにこの土地に流入して来た者たちなど、ほとんどの関係者が大きな不満を持つことがない状況を作り、維持している。
破格の財力と人員動員力を持つ洞窟衆だからこそ可能となる芸当で、他の侵略者には到底出来る真似ではない。
前例がない、というか、どうしてこんなことが可能であったのか、この現状を目の前にしてもに誰もがにわかにはその原因を理解できない。
そんな、状況だった。
どうしてそんなことをするのか、理解が出来ない。
しかし、やつら洞窟衆が打つ手はいちいち的確で、実際に効果もある。
一貫して、なにを考えているのか予想がつかず、つかみ所がなかったが、洞窟衆の施策には大きな失敗がなかった。
洞窟衆が来る以前と以後を比較すると、明らかに豊かになっているのは、誰の目から見ても否定することが出来なかった。
それも物質的、経済的な豊かさだけに留まらず、知識や情報などに関していえば、以前とは比較にならないほど正確なものが、大量に出回るようになっている。
個々人で程度の差こそあったが、なんらかの形で洞窟衆に接した者は、以前に比べると多くの事物について詳しくなり、つまりは賢くなっていた。
洞窟衆の進出した地域の者は、それ以前と比較すると、事実上、知的なレベルが底あげされていた、といってもいい。
そして、そうした変化は、これまで、どんな権力者や支配者も、実行出来なかったことでもあった。
「やつらは実によくやっている。
それを否定しようとは思わない。
だが、諸君」
バイラド・ゴロジオ王はそういって、杯を高々と掲げた。
「それだけ大きな力を持つ連中が、どうしてここに来て手を出しかねているのか?
これは少し、奇妙なことだとはいえないか!
連中は、肝心のジナニア族問題には手を出していないではないか!」
ジナニア族は、山地から進出して来た連中の中で最大勢力と目されていた。
その他に大小、様々な勢力が森東地域に降りて来て勝手なことをしており、脅威という点ではどの部族も遜色なく、侮ることは出来ない。
しかし、このジナニア族は場当たり的な行動を取りがちな他の山地民と比較するとよく組織化されている上、どうやら計画的に、効率よく占領地を占有しており、それだけに現地の人間の間で取り沙汰される機会も多かった。
この時点で、ジナニア族の一派は、森東地域の住人から山地から侵略した勢力の代名詞として扱われている。
「そういわれてもなあ」
しかし、そうしたバイラド・ゴロジオへの反応は鈍かった。
「ジナニアとかいう連中が居座っているのは、ここからかなり遠いし。
今すぐにそこに兵隊を連れていけってのも、そりゃ無理だろう」
そのジナニア族が占拠する土地は、この洞窟衆が進出を果たした地域からはかなり遠い。
それこそ、徒歩で移動したら数ヶ月単位の時間を要するような距離がある。
それだけ遠い場所の脅威に対して、地元の人間はさほど逼迫した危機感をおぼえてはいなかった。
どこか遠くでそんな連中が暴れている、そうだ。
その程度の認識でしかなく、いわゆる「他人事」の範疇でしかない。
ジナニア族の問題など、ほとんど関心が持たれていない。
と、いい換えてもいい。
さらにいえば、洞窟衆側が多くの物資をこの周辺にまで運び、街道を整備している。
これら、過剰にも見える事業はすべて今後の軍事活動を想定したものなのではないか。
そうでも考えなければ、過剰なほどの食糧を各地に分散して蓄えてつつある現状を説明出来ない。
洞窟衆の行動が遅い、というよりは、着々と次に打つ手のための地盤を固めている。
今は、たまたまそんな時期に相当するだけではないのか。
ろくな準備もしないうちに、成果を求めて猪突猛進するよりは、よっぽど慎重で堅実なやり方に思える。
素人目から見てそう思えるのだから、バイラド・ゴロジオの扇動に乗る者はほとんどいなかった。
第一、こうした酒場にたむろしている連中のほとんどは、その洞窟衆や冒険者ギルドで仕事にありついている者でもある。
今、待遇面などに満足できている仕事を放り出して、自分から危ない場所に赴こうとする者は、ほとんど皆無であるといってもいい。




