ハンググライダーの計画
無論、洞窟衆としても賃金という形で金銭をばら撒く一方ではなく、そうしてばら撒いた金額の何割かは製品、あるいはサービスの対価として回収している。
前述したように、今では洞窟衆以外の外部勢力からも資本を投入しているから、数字の上では、洞窟衆は投資した以上の金額を回収している形となり、形状的にこの状態を維持可能となっていた。
とはいえ、そうした外部から集めた資本もいずれは返却しなければならない借財なわけであり、森東地域が資本的に自立をし、こうした借財を自力で返せるようにするところまで持って行くのが、洞窟衆側の当面の目標、ということになる。
それと平行して、ハザマ領が本格的に独立するための準備なども行っているので、ハザマをはじめとするバジルニアに居る洞窟衆上層部は多忙を極めているわけだが。
領主官邸に勤めている人員は、形の上ではハザマ領の役人ということになるのだが、その役割や仕事は流動的で決まった形というものを持たないことが多かった。
新たに発生した問題に対して、臨機応変に試行錯誤を繰り返して一番妥当な処理方法を見つけ、適切な人員にそれを教えた上で引き渡す。
そうした仕事が大半であり、そしてハザマ領なり洞窟衆内部で発生する新手の仕事というのは、大方が一筋縄ではいかない処理であることが多かった。
そうした新手の仕事に関して適切な処理方法を見つけ、その後はその処理方法を専任で行い人員に教えて引き継ぎをするのが、領主官邸に勤める人員の仕事になっていた。
洞窟衆の仕事は多岐に渡るため、この手の新手の処理は常に発生するわけで、領収官邸勤めの人員も仕事に事欠くことはなく、それどころか慢性的に、必要に迫られて人数を増やしているのが現実である。
また、そうして処理方法が固定化された仕事に関しては、出来るだけバジルニア以外の土地に専用の施設を設けて、以後はそこで行うことが多かった。
ハザマ領の各所に分散するようにバジルニアの領主官邸では心がけているのが、ハザマ領内ではまとまった用地を確保出来る場所がほとんどなく、これも実際にはルシアニアになることが多い。
つまり、現状のバジルニアは行政機関そのもの、というより、政策や実務処理を試行錯誤し、研究するための機関としての側面が強く、そのバジルニアがいつまでも多忙なのは、結局はハザマが常に新しいことを試そうとしているからである、ともいえた。
森東地域関連の諸問題を除外したとしても、ハザマ領の統治形態はかなり異例であり、実験的な、いい換えれば不確定な要素がそれだけ多すぎたのだ。
ハザマ領ほどの領地でこれほど経済的な影響力を持っているのも、異例。
農地をほとんど持たない、つまり食糧の自給能力が乏しい国というのも、異例。
その癖、近隣のどんな国よりも大量の穀物を扱い、周辺諸国に大きな影響力を持ちつつあるのも、異例。
そうした影響力を背景にして、まだ完全に独立したわけではないというのに、森東地域へ独断で干渉を開始したことも、異例。
地理的に、圧倒的に不利な条件にも関わらず、帝国からの支援を受けているのも、異例。
この世界での、独立国のあり方として、ハザマ領は独立以前から異例づくしのスタートを切ろうとしている。
これで、なんの問題も起きないわけがない。
そうした、内外諸々の不安要素すべて順番に、決まり切った定型処理の形に落とし込んで解決を図ろうとしているのが、現在の領主官邸の姿だった。
そしてその中心には、常にハザマという個人が居るわけであり。
そのハザマが、この時期に暇を持て余しているわけがないのである。
その多忙なハザマが、あえて指示を出して準備を進めさせていた案件がいくつか存在する。
そのうちのひとつが、ハンググライダーの実用化とそれを利用した偵察部隊の創設、だった。
ニブロムという飛龍乗りが居る。
この男は、国境戦争の当時、重傷を負って洞窟衆の捕虜になった人物だった。
飛龍に乗ったまま墜落をしたので、即死していないのが不思議なくらいの重傷であり、これまでハザマ領の某所でひっそりと療養生活を送っていた。
森東地域への干渉が開始された時、ハザマは迅速な情報収集、それも広範な敵地域の情勢を効率的に収集する作業が必要になると予測し、このニブロムという飛龍乗りの存在を思い出した。
ハンググライダーをこの世界で実用化することについては、ハザマは特に不安を感じていなかった。
大気が存在する以上、その大気を利用するハンググライダーは、この世界でも十分に機能するはずなのである。
それよりも、そのハンググライダーを実地に活用する方法論を開発することの方が、難しくなる。
ハザマは、そう予測をし、慌ててこのニブロムの所在を確認して接触した。
この時点でニブロムは、墜落時の傷はまだ完治してはいないものの、日常生活に支障がないくらいには回復していた。
具体的にいうと、激しい運動をすることは無理だったが、松葉杖をついて移動することくらいは可能になっていたのである。
まだ完治しきっていない骨折した部分以外はほぼ健康な状態といってもよく、ハザマがそのニブロムに接触して協力を要請すると、二つ返事で承諾する旨、返答して来た。
ニブロムにしても、長い療養期間に飽きていたのであった。
それに、国境紛争の時点とでは、自分を取り巻く状況がかなり変化している。
今さら、敵だ味方だと区分けをする意味もなかったし、それに、個人的にも、その凧を背負って空を飛ぶという部隊の構想に興味があった。
飛龍という、極めて扱い難い動物を使役することなく、人間の意思だけで空を飛ぶことは、ニブロムに限らず多くの飛龍乗りが夢想することでもあった。
そうした構想が、他ならぬニブロムが乗る飛龍を落としたハザマ男爵から発案され、実行に移されようとしていることを、皮肉には思ったが。
それに。
と、ニブロムは思う。
仮に自分が断ったとしても、この計画は別に支障なく進むのだろうな。
実際に空を飛んだ経験があるニブロムの助言があればそれなりに有用なはずであったが、仮にそれがなかったとしても、ただそれだけで諦めるような集団ではない。
洞窟衆とは、必要だと判断したことに関してはとことん成果を追求する集団であると、この頃のニブロムは確信していた。
療養生活を送る傍ら、ハザマ領の内部からこれまで情勢の変化を見届けてきた人間としての、素直な感想である。
この計画におけるニブロムの立場は、よくて助言者、といったところだろう。
多分、あのハザマ男爵のことだから、
「大きな凧を背負って人間を空高く飛ばす」
という部分までは、自力でもどうにか出来るあてがあるのに違いない。
そうでなければ、この複雑な時期に、このような計画をわざわざ進めるわけがないのだ。
また、飛龍乗りであったニブロムは、そうした形で人間が空を飛ぶことは、一般に思われているほど難しいことではないと、経験上知ってもいた。
その際に必要なのは、人間の重量を支えるきれるほどの翼面積を持つ物体と、それに、その物体を適切に操作できる構造、ということになる。
むしろ、これまで歴代の飛龍乗りが、生物である飛龍に頼ることなく、そうした人造物を代わりに使用することを考えつかなかった、あるいは実用化するところまでいかなかったことの方を、不思議にも思った。
多分。
と、ニブロムは想像をする。
これまで、歴代の飛龍乗りたちは、飛龍乗りである自分の姿に満足して、それ以上のことを想像しようとしなかったのだろうな。
必要とされる機能、働きを考えれば、別に飛龍を使役しなくとも、そのハザマ男爵が考える凧を使う部隊でも、十分に代わりが務まるのである。
さらにいえば、そうした凧を使用する方が、生物である飛龍を使役するよりは、遙かに取り回しがよく、臨機応変に運用が可能なはずだった。
必要になれば、同じような凧をいくつでも生産すればいいし、必要がなくなったらその場で廃棄も出来る。
飛龍のように、餌を必要とすることもなかった。
また、そうした凧は、遠くに運ぶ際にも、さして大きな荷物になるとも思えない。
今回は、森東地域での運用を考えているということで、山地ほど高低差があるわけではないそうした土地でなら、気流の方も比較的安定しているだろう。
墜落事故も、それだけ少なくなることが予想出来た。
こうして数え上げてみると、いいことずくめではないか。
と、ニブロムは皮肉に思う。
これが、合理化か。
合理化、という言葉は、ニブロムがハザマ領内に滞在するようになってから、聞き覚えるようになった単語だ。
合理化とか効率化という概念を、洞窟衆の人間はかなり重要視しているように、ニブロムには思えた。
そうしていかないと、仕事の量が増えすぎてなにもかもが回らなくなるので、選択の余地がなくそうした概念を口にし、日々実践をしている側面はあるのだろうが。
ともかくニブロムは、バジルニアから来た使者が打診をして来た時、その案件について、ほぼ二つ返事で快諾している。
その時点で、ハザマ男爵が発案したとかいう凧、ハンググライダーは一応、試験段階を経て、量産体制に入っていた。
最終的には、数百単位の凧を常時運用する予定であると、ニブロムは伝えられる。
その作戦の規模に、ニブロムは目眩がする錯覚をおぼえた。
数百人単位の人間が、普通に空を飛ぶ。
ニブロムにしてみると、
「なんだか自分たち飛龍乗りの特権が不意に奪われてしまった」
みたいな気持ちが、強くなる。
最早空を飛ぶことは、誰もが訓練次第で実現可能な、具体的な技術の一種でしかない。
そういう、わけだった。




