ニブロムの空
洞窟衆の連中が「ハンググライダー」と呼ぶのは、要するに、三角形をした大きな凧だった。
木材の枠組みに布を張っただけの代物であり、飛龍を見慣れているニブロムの目からすると、いかにも頼りなく見える。
大気を受け止めるだけの、十分な翼面積さえあれば、これでも十分に滑空が可能であると、ニブロムは説明された。
実際、ニブロムがその研修の場に呼び出された時点で、このグライダーは試作され量産され、普通に人を空高く飛ばせている。
実験段階を越えて実用段階に移行してから、ニブロムが呼ばれたわけだった。
「離陸時には、風を操る魔法を使用しています」
そのグライダーを設計した技師の一人が、ニブロムにそう説明した。
「一度空にあがってからならともかく、凧が離陸をするのは難しいですからね」
そうだろうな。
と、ニブロムもその言葉に内心で頷いた。
飛龍も、羽ばたく力はほとんどない動物であったので、離陸する時は大抵、高い場所から飛び降りて滑空するのだ。
山地ではそうした離陸に適した地形は珍しくないのだが、高低差がない平地ではやはり魔法使いの力を借りてようやく離陸をする。
この凧、グライダーとやらも自力で羽ばたかない以上、そうして世話を焼かないと満足に飛ぶことも出来ないのだろう。
山地では精霊使いも珍しくはなかったのだが、こちらでは別の系統の魔法使いもいて、共同して離陸作業を担当しているらしい。
というより、そうした作業が可能な風使いを大勢、どうにかして調達しているらしかった。
部族連合でも、一カ所に十名以上の風使いが集まるような機会はほとんどなかったはずだが、ここには軽く見積もっても二十名をくだらない風使いがいて、交替しながら次々と凧を空高くにあげている。
「よくこれだけの人数の風使いを集めましたね」
ニブロムが、半ば呆れたような口調でいった。
「集めた、というより、急遽育てたんです」
ニブロムの案内役をしている技師が、そういう。
「最終的には、千機以上の凧を同時に稼働させる予定になっていますから、凧の量産と並行して離陸要員も改めて育成していたわけでして」
たかだか偵察部隊を作るためだけに、そこまでやるのか。
ニブロムは、内心でかなり呆れていた。
いや、やるのだろうな。
洞窟衆の連中ならば。
その直後に、一人でそんな風に納得をする。
洞窟衆という連中は、なにかにつけて大仰なことをするような印象がある。
しかしそれは、なにごとにつけて計画的に思考して、その計画通りに実行しているという証拠でもある。
今回の場合も、一見して大袈裟なようだったが、今回偵察の対象となる土地の広さを考えると、それくらいの準備は必要になるのだろう。
計画的であるのと同時に、洞窟衆は必要な投資は惜しまない性質も持っている。
その洞窟衆が必要だと判断をし、その上でそれだけの数量を準備した、ということなのだ。
ニブロムはこれまで療養生活を送り、若干世事に疎くなっていたわけだが、ここへ来て今現在、洞窟衆が手がけている事業の大きさを実感して、内心で一人慄然としている。
偵察部隊だけでも、これだけの編成を用意する必要がある事業なのか。
その森東地域対策というのは、場合によっては国境紛争に匹敵する規模の戦役にも発展しかねないのではないか。
いや。
そしてすぐに、ニブロムは思い直す。
洞窟衆とて、泥沼にはまり込むことは望んでいまい。
そこまで酷い有様にならないように、必要な情報を収集するために、これだけ周到な偵察部隊が必要なのだろう。
いずれにせよ、これだけ大規模な「空飛ぶ偵察部隊」を実戦の場で運用する前例は、大陸広しといえどもまだないはずだった。
これだけでも空前絶後といっていい事例なのだが、洞窟衆は他の事業と同じく、ごく淡々とした態度で必要な準備を整えているだけ、のように見える。
少なくとも、この場に居合わせた試験部隊の人間に、過剰に気負っているような様子は見受けられなかった。
「なにか意見や気づいたことなどはありませんか?」
案内役の技師が、ニブロムにそう訊ねる。
「特になにも」
ニブロムはそういい、その後、
「強いていえば、わたしも早くあの凧を使って飛んでみたいですね」
と、そうつけ加えた。
「すぐに準備しましょう」
案内役の技師は、こともなげにそういってみせる。
「すぐに?」
ニブロムは、思わず訊き返していた。
「そんなにすぐに準備出来るようなものなのですか?」
「準備といっても、手が空いている者に声をかけるだけですから」
案内役の技師は、そういった。
「乗り手の数が揃っていないので、凧が余っているくらいですし」
どうやらここでは、ニブロムが考えているよりもずっと、空を飛ぶという行為が日常的な営為になっているらしかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
凧を操縦するための竿を両手で握りしめながら、ニブロムは答えた。
「すぐにでも打ちあげてくれ」
ニブロムが背負った、三角形の大きな凧。
その端を、脚立に乗った人間が手で持って支えている。
このところ、ニブロムは杖をつきながら歩行が出来るくらいまでには回復している。
ただ立っているだけならば、杖なしでも十分に出来た。
この凧の操縦竿を握って立っているくらいなら、造作もなく可能だ。
「それでは、行きます」
合図をすると、周辺の風使いたちが術式を完成させた。
途端に、ニブロムが背負っていた凧が、ちょうど帆が風をはらむような具合に張って、次の瞬間には地面が遠くなっている。
拍子抜けするほど、簡単だった。
凧はそのまま滑空し、墜落する様子はない。
一度空高く浮きあがった凧は、高度を保っている。
しっかりと、布が大気を受け止めている感触があった。
ひさしぶりだな、この感触は。
と、ニブロムは思う。
少し、そうして滑空をした後、改めて自分が空を飛んでいるという実感が沸いてきた。
そうか。
ニブロムは、一人で納得をする。
こんなに、簡単なことだったんだ。
無論、洞窟衆の組織力があってこそ、だとは理解していたが。
空が、青い。
風が、冷たい。
なにも遮るものなく、地平線が見える。
視覚と触覚、その他、風を切る音などの聴覚も含めた五感で、ニブロムは自分が空中にあることを体感した。
この感覚だ。
ニブロムは、そう実感する。
飛龍を使わずとも、空は飛べる。
いや、洞窟衆が、そういう風に変えてしまったのだ。
自分の都合のために、自然の摂理に対して、強引に手を加えて。
なんと傍若無人な連中であろうか。
「どうでしたか、ひさしぶりの空は?」
しばらくして、ニブロムが凧を降ろして着地をすると、駆け寄ってきた者の一人がそう声をかけてくる。
「空を飛ぶ感覚を、ようやく思い出したよ」
ニブロムは、そう答えた。
「それでおれは、ここでなにを教えればいいんだ?」
「注意事項全般」
返答は、端的だった。
「ここには経験者がいませんから、なにに注意をするべきなのかがわかりません。
これから失敗を重ねて学習するよりは、経験者から教えて貰って備える方が合理的でしょう」
「それなら」
少し考えてから、ニブロムは返答する。
「注意を向けるべきなのは、離陸と着陸の時だな。
事故のほとんどは、こうした時に起こる」
「術者任せの離陸時はともかく、着陸時は凧乗り任せです。
具体的にどのようなところに注意をするべきなのか、教えてください」
「いいだろう」
背負っていた凧を渡し、代わりに杖を受け取りながら、ニブロムはいった。
「いろいろあって、一度に教えきることは出来ないが、これからじっくりと時間をかけて説明する。
それと、凧乗りの服装は、もう少し考えた方がいい。
風を通さず、防寒性能を重視したものを用意してくれ。
上に行くほど寒くなり、体にあたる風は確実に体温を奪う」
偵察が目的なら、かなり長時間に渡って飛行することも想定するべきであり、そのための服装などから整備していく必要があった。
試験段階だけあって、これからやるべきことは山積みかな、と、ニブロムは思う。
凧による偵察部隊が着々と準備を進めていたその頃、ブビビラ村近郊の森に姿を現した一隊があった。
「ふう」
そのうちの一人が、誰にともなく呟く。
「ようやく、森を抜けたか」
彼らは、アルマヌニア公爵領の工事現場からまっすぐにこのブビビラ村の近くまで、森を横断してきたのである。
まっすぐに、というのは比喩ではなく、文字通り、綱をピンと張りながら、可能な限り一直線にこの長い距離を移動して来たのだった。
少数の人間と大勢の犬頭人の混成部隊。
そのうちの人間は、森歩きとしての技能を買われたアジャス率いるガグラダ族の面々だった。
「この近くに、洞窟衆の連中が来ているはずなんだが」
そんなことをいいつつ、周囲を見渡すアジャスに向かって、同行者の一人が遠目に見える一角を指さしながら、声をかけた。
「あそこじゃないっすかね?
トカゲの紋章の旗、掲げてますが」
「天幕、か」
目を細めてそちらの方を確認してから、アジャスがいう。
「確かにあそこまで行けば、誰かしら事情がわかるやつがいるだろう。
誰かひとっ走り、あそこまで行っておれたちの到着を伝えてきてくれ」
「犬頭人の方が足が速いけど、人間の方がいいっすよね?」
「当たり前だろう」
アジャスは即答した。
「ここまで来て急いでなんになるってんだ。
それよりもさっさと、こっちの連中に、ここからでも街道整備を進められるようになったって、そう伝えてこい」




