悪意のない変化
こうしたビステとヴァンクレスの諍いは公衆の面前、それも森東地域要人たちの目前で行われた。
その場に居合わせた現地住人たちは、この洞窟衆に属する者同士が意見割れ越した場をどう解釈したのかというと、これはよくわからない。
観客が存在することを前提とした小芝居とみなした者も居たし、洞窟衆という集団も決して一枚岩ではないと素直に解釈した者も居た。
この出来事に対する解釈や印象は様々だったが、
「洞窟衆と名乗る連中も、どうやら生身の人が構成する集団であるらしい」
という見解は共通して持ったようだ。
森東地域の人間にそう思わせるほどに、洞窟衆という連中の所業は人間離れしていた。
この、
「人間離れしていた」
という洞窟衆に対する所感については、若干の説明を補足しておく必要があるだろう。
森東地域の人間、ことに今回洞窟衆が事実上傘下に治めた五つの港町周辺部の者たちは、その大半が洞窟衆という呼称すら知らなかった。
港町にはそれなりに遠くの地域の情報を得る伝手を持っている者も居たのだが、人数からいえばそうした事情通はごく少数でしかなく、大半の一般市民は実際に洞窟衆からの干渉が開始され、この現地で活動を開始してからその存在を認識した、ということになる。
彼ら、最近になってようやく洞窟衆の存在を知った大半の人々にとって、洞窟衆とは、
「なにかというと賃金を派手に振る舞い、人を集め、精力的に各種の事業を展開する、よく理解出来ない存在」
だった。
この最後の、
「よく理解出来ない存在」
という部分についてさらに説明をすると、彼ら森東地域の住人たちにとって、洞窟衆の活動は様々な面において想像を絶する存在だったことを強調しておきたい。
わかりやすい実例を挙げると、五つの港町を占有した翌日、あるいは港によっては当日から、おびただしい船舶がその港に立ち寄るようになった。
一日当たりに荷揚げをする物量が数倍から場合によっては十倍以上に増えた勘定になり、しかもその初日だけではなく、翌日以降も同等かそれ以上の船が着いては荷を降ろして去って行く。
港町の人々は、自分たちが住む町に、それほどの物資を捌く能力があるとも、まったく思っていなかった。
しかし洞窟衆の連中は、住人たちが戸惑う暇も与えず、テキパキと人を集めて配置し、動かしてその膨大な荷物を滞ることなく処理していく。
船着場の周辺には奇妙な腕がついた起重機が林立し、以前なら半日とか一日をかけた荷下ろしの作業時間を驚異的なまでに短縮した。
港に降ろされた荷物は、どこからか集められてきた人足たちが人海戦術で郊外の仮置き場まで運んでいく。
無論、馬車なども利用されたが、こうした大量の物量を捌ききれるほどの馬車をすぐに都合が出来るはずもなく、当面は人力に頼る他にない。
港町の郊外部、多くの場合は、なんらかの理由でそれまで利用されてこなかったような荒れ地を洞窟衆は安く借り受け、迅速に整地し、そうした大量の荷物の仮置き場として使用していた。
その仮置き場は、最初のうちこそ地面の上に物資を仮積みするだけだったのに、日を追うごとに天幕や仮設小屋を経て、ついにはあっというまにそれなりに立派な倉庫を設えてしまう。
そしてその大量の物資は、少しもその仮置き場に留まることなくすぐに搬出されて、さらに奥地の内陸部へと運ばれて行く。
ひとことでいえば、洞窟衆が本格的に活動を開始しただけで、その港町を通過する荷の量が恒常的、爆発的に増えた形になる。
既存の、つまり、元からその港町を利用していた商人なり運搬業者なりの活動が妨害をされたわけではないのだが、そこまで扱う荷物の量に格差がつくと、どうにも出来ない格差が自然と出来てしまう。
今や、それらの港町の主役は新参者の洞窟衆であり、経済にせよ他のなににせよ、その洞窟衆の都合を中心に回るようになるのは、ごく自然な成り行きといえた。
活動内容のスケールが、格段に違いすぎるのである。
そうした大量の物資を運ぶためにやって来た大量の人足連中は、これまた景気よくそれらの港町に金を落としていった。
洞窟衆から支払われた賃金の大半が地元に落とされた形であり、これだけでも、これら港町はかなり潤う。
というか、端的にいってしまえば、空前の好景気になった。
そうした直接的な影響の他に、洞窟衆が販売する様々な、先進的な物品の数々も、これら港町を中心にして流通するようになり、地味に住人たちの生活に影響を与え、変化をもたらしていく。
エルフ紙のような小さなものからドワーフの手による高度な金属加工技術が使用された逸品、風車や水車などの大きな機構まで。
そのどれかひとつを取ってしても、従来の生活を一変させ得る可能性を秘めた代物といえたが、それが一気に、大量に流入して来たのだ。
さらに、洞窟衆はそうした、形のあるものだけではなく、形のない知識まで公然と売買をはじめていた。
これは別にそうした港町だけに限定されたことではなく、洞窟衆が進出した地域ではだいたい等しく行われていることなのだが、読み書きや計算などの初歩的な授業を有償で、とはいっても、実際に支払う金額からいえば、普通の相場よりもかなり格安で教えはじめている。
これまでにも再三説明して来たように、これは洞窟衆の側が、ある程度知的な労働を出来る人間を揃えないと今後の事業を発展させることに支障を来すためにやっていることで、決して森東地域住民の啓蒙を目的としたものではない。
しかし、他の動きと併せて考えると、こうした施策もなんらかの裏が存在するのではないかという、勘ぐりの根拠になってしまうのだった。
あれやこれやの動きを総合的に考えてみると、はじめてこうした洞窟衆の動きに接する人々にとって、洞窟衆というのが全体的になにを目指しているのかよくわからない、しかし、とんでもなく精力的に動く集団である、としか見なすことが出来なかった。
一応、洞窟衆側も自分たちの当面の目的について、
「森東地域全般を政治的に安定させること」
と広報してはいた。
しかし、この目的もかなり漠然としていて、港町のみならず当の森東地域の住人全般にとっては、まったく理解が出来ないものだった。
そもそも、
「森東地域」
という呼称自体が、洞窟衆が勝手に、便宜的なつけた呼称でしかない。
地元民には馴染みが薄い概念だった。
「森の東?
なんだ、それ」
というのが、その呼称にはじめて触れる地元住民の感慨である。
えらく漠然としているし、それに、範囲が広い。
広すぎる。
その範囲内でも、海に面した地域と山沿いの地域とでは、住民の気性や文化、ものの考え方、気候その他の自然条件がまったく異なる。
それら、広大な範囲を一括にして語るのは、いくらなんでも大雑把過ぎた。
その森東地域とやらに、いったいどれくらいの有力者、自分の領地を持っている者が居ることか。
おそらく、数百はくだらないはずだ。
そうした複雑な背景を持つ広大な地域を同一視して扱おうとするのは、かなり無理に思える。
しかし。
これまで、洞窟衆の動きを間近に見た地元民たちは、
「こいつらなら、本当にやり遂げちまうかも知れんな」
とも、考えるのだった。
それほど、洞窟衆の動きは活発で精力的であり、影響が大きかった。
洞窟衆の連中が、本当のところなにを考えてこれほどの資金と労力をつぎ込んでいるのか、本当に理解をしている森東地域の住民は、この時点でほとんど存在していなかった。
ただ、洞窟衆が強力な存在であり、結果として地元民たちの生活に影響を与えることはあっても、意図的に普段の営為を妨害したりすることはない。
その事実だけは、すぐに広い範囲に浸透していく。
洞窟衆が進出した地域へ与える影響は甚大だったが、それも悪意や害意があってのことではない。
そのような理解は、速やかに広がりつつあった。
ただ、洞窟衆内部の意向とは別に、洞窟衆がやって来たことによって生活や生計を立てる道が脅かされた人間も、それなりに存在してはいるのだが。
たとえば、農具や工具を作っていた鍛冶屋などは、ほとんど壊滅的な影響を受けた。
洞窟衆の販売網に、かなり高性能で、つまりそれだけ長く使える道具が出回るようになったため、仕事の受注が激減してしまったのだ。
こうした鍛冶屋は、従来であれば依頼を受けてからそうした道具を作るのが普通であったが、その依頼自体がぱたりと止んでしまった。
破損した道具の手直しなどを頼まれることはあったが、商売としてみると大打撃ということになる。
それ以外にも、洞窟衆が構築した流通網が機能しはじめるにつれて、それまで同様の運送業を営んでいた者たちは、仕事にあぶれることが多くなった。
洞窟衆の流通網に便乗させる形で荷を運んだ方が、そうした既存の業者よりもずっと安く、早く、確実に荷物を届けられることが次第に広まっていったからである。
結局、こうした運送業者は別の商売に鞍替えするか、それともそのまま冒険者ギルドに駆け込んで、洞窟衆の下請けとして働くことが多くなった。
収入的には安定するのかも知れないが、そうした待遇を快く思わない者もそれなりに存在したはずである。




