ハザマの思惑
森東地域の地元住人がなにを思い、どう受け止めようが、そんなことにはまったく関わりなく、洞窟衆という巨大な組織は動き続ける。
聞いたこともないような空前の大人数が動員されて道や設備が整えられ、そうして新たに設えられたものを介してこれまた空前ともいえる大量の物資が内陸部へと運ばれて販売、消費されていく。
それは決して一過性の変化などではなく、一度そうなってしまえば決して従来の状態に復帰することがない、恒常的な変化だった。
現状、急速に金回りがよくなったことを歓迎する人間が大半であったが、この変化の意味を冷静に判断するためには相応の時間が必要であり、こうした洞窟衆がもたらした変化に対する正当な評価が定まるのは、かなり先のことになるだろう。
現在はそうした冷静な判断力を発揮出来る者はほとんど存在せず、ほとんどの人間は、こうした急速な変化に戸惑いつつ、なんとか乗り遅れないように対応しようとするのがせいぜいだった。
洞窟衆は港や船着場などの設備を整えて作業効率を格段にあげ、多くの街道を同時に整備して徐々に陸路の輸送効率もあげようとしていた。
後者に関していえば施工期間がそれなりに必要になるので、すぐに目に見えるほどの変化があるわけではない。
しかし、その途中で膨大な人間に仕事を与え、賃金を放出したので工事の成果以外での影響が大きかった。
数万、あるいは数十万という人間がそれまで僻地同然でなにもなかった土地に居住して、そうした工事に携わるようになるのは、実際にはかなり大きな変化といえる。
それだけ大勢の人間が消費する物資を恒常的に運ばねばならないし、また、それらの飲食以外の消費財も大量に必要となってくる。
そうした人材を集めて工面するのは、洞窟衆の中でも冒険者ギルドの役割だったが、こちらの方も絶えず増大する需要に応じるため、その機能をフル回転させていた。
もちろん、周辺地域でも人材の募集をかけていたわけだが、工事の規模が大きく、また、同時に多数の場所でそうした人員が必要とされていたわけで、当然、地元勢だけでは人数が間に合わなくなる。
結果としてハザマ領から山地を経由した経路で、あるいは、海路を経由して大勢の、数万とか数十万とかの人数が送られてそのまま森東地域の各地に散っていった。
そうした冒険者ギルドが集めた人間たちの出身地や出自は多様であり、さらに正直にいえば頭数を揃えるのを優先していて、どんな経歴の持ち主かまで冒険者ギルドの方では逐一チェックしているような余裕もなかった。
これだけ大勢の人間が一気に押しかけたら、文化的な影響や変化も当然出てくるはずであったが、当面、冒険者ギルドはそうした長期的な影響があることを予想しながらも、あえて無視している。
それよりも、出来るだけ短期間のうちに森東地域全域で、洞窟衆の流儀が通用するような環境を整えることを優先した形である。
実は、洞窟衆内部においても、こうした姿勢に対する意見は賛否両論であり一定していなかった。
ただ、
「迷ったときは、より実用的な側面を重視する」
という気風が、洞窟衆内部には以前から漠然と存在していたので、反対の声があったとしてもそこまで大きく取り沙汰されることもなかった。
極端なことをいえば、港なり街道なりは一度整備してしまえば、なんらかの状況の変化があった洞窟衆が森東地域から撤退を余儀なくされたとしても、しばらく、そうした設備なり施設なりが決定的に破損するまでは誰もが使える資産としてその場に残される。
洞窟衆の進出により、森東地域に不可逆の変化が起こりつつある、というのは、これはもう今さら悔いても回避しようがないことでもあり、それを理由にすでに着手したことを取りやめるよりは、その変化を丸ごと肯定した上で最後まで遂行する方が、まだしもマシだろう。
簡単にいえば、そうした現状を、つまりは洞窟衆のやり方をそのまま首肯するような発想だった。
こうした事業と平行して、洞窟衆はその他に、傘下に収めた五つの港町と周辺地域において、別の変化を起こそうとしている。
この港町にはすでに大勢の人間が居住しており、そのかなりの部分が職人であった。
こうした人材を遊ばせておくのも勿体ないので、洞窟衆は各港町の職能ギルドに呼びかけて、五つの港町合同で、この近辺に大きな生産基地を作らないかと呼びかけて準備を進めている。
これから洞窟衆が森東地域全域に本格的に進出していくようになれば、どうしたって各種の消耗品が不足してくる。
そうした加工品を遠い場所から移送してくるよりは、より近い場所で生産する体制を作る方が、遙かに合理的だったからだ。
それに、現状だとこうした港町で荷を降ろした船舶はそのまま空荷で戻っているわけであり、これはこれで無駄が多い。
出来ればこの森東地域の側から、遠く離れた場所にまで輸出をしても採算が合うような、そんな物品を継続して生産できるような体制を整えれば、長期的には森東地域全体を潤す要因にもなり得る。
こうした港町に居住していた職人たちは、現状でも相応の技術力を持っているわけで、そうした職人たちに、冒険者ギルドが斡旋した人員にまとめて加工技術を叩き込み、各種加工品の大量生産可能な体制を作ってしまえば、これまた長期的に稼働可能な産業にもなり得るわけだった。
洞窟衆は目的もなく森東地域でインフラ整備のための投資を行っているわけではなく、その最終的な目標は、森東地域が経済的政治的に自立をし、山地や王国周辺の平地諸国と肩を並べられるほど勢力に成長させることになる。
そのための第一段階として、まずは森東地域の中で外貨を稼ぐことが出来る産業を育てよう。
そういう意図になる。
こうした種を蒔いてもそのまま洞窟衆が期待するような成長をするものかどうか、この時点ではなんともいえなかったが、これまたなにもやらないで居るよりはなにかしら手を打っておいた方がマシ、という判断になる。
これ以外にも、すでに交渉要員が接触している地域に関しては、農業生産率を高めるための指導を受けるように説得したり、場合によっては製紙、印刷、缶詰など、換金可能な製品を生産する体制を各地で立ちあげるように工作したりと、その手の働きかけは随所で行われていた。
政治的な混乱などは、森東地域に有力な、強い求心力を持つ人間が現れてくれないことにはどうにもならない。
そういう側面があるわけだが、そうした人間が出てくる下地として、ある程度経済的に豊かになり、最低限、餓死する人間が少なくなるような状況を整えてやる必要がある。
港町に隣接した、森東地域の中でも南にある地域は、まだ山地から影響をほとんど受けておらず、森東地域の中でも比較的豊かな状態を保っていたが、そうした余裕のある地域にもっと余裕を与え、近隣の地域や森東地域以外の状況に目を向け、対応しようとする視野を持った人材を作るためには、これくらいのことをしないとどうにもならないと、そう判断したのだった。
洞窟衆に所属する人間が、というよりも、その首領であるハザマ個人が、だったが。
「食うや食わずの人間に、大局のことを考えるような余裕があるわけねえわな」
というのが、ハザマの見解である。
「その余裕を作るためにも、まずは不特定多数の人間が、ものを考えられるようになる程度の豊かさを、森東地域に作っておかなければならない」
森東地域は広大であるため、一気にその全域を豊かにすることは、洞窟衆が駆使できる各種のリソースからいっても到底不可能だった。
だが、森東地域の中でもごく限られた地域に限定してまずは、そこそこ豊かな場所にし、そこを足がかりにして徐々にそうした豊かな地域を広げていけば、最終的には森東地域は他の地域からの干渉をはね除けられるだけの地力を獲得する。
一見して迂遠なようだったが、ハザマ自身としては、かなり正攻法に近い方法だと思っていた。
この地道な方法の難点はといえば。
「……想像していた以上に、うちの負担が大きかったことかな」
各種報告書などに目を通した上で、ハザマはそう結論するしかなかった。
こうした森東地域への干渉事業に、洞窟衆はかなり多額の、というか、前例がないほど巨額の資金を投じている。
洞窟衆内部からかき集めた自己資金だけでは到底足らず、外部から、自己資金分の数倍にもなる資金をかき集めて、どうにか運用しているような状況だった。
「どこかで一歩踏み間違えれば、ただそれだけでうちなんざ軽く吹っ飛ぶぞ」
誰にともなく、ハザマはそう呟く。
うんざりしたり、嫌気を感じているような口調ではなく、淡々とした、事実を事実として指摘しているような口調だった。
とはいえ、ハザマとしても、別に森東地域からの資金回収を急ごうとする意思は、まるで持っていなかったりするのだが。




