8話 何か気になることでも?
その週末。
ジュリアンが侯爵家を訪れると、エレノアはいつも通り彼を迎えた。
「こんにちは、ジュリアン」
「やあ」
いつものように挨拶を交わし、二人で向かい合って座る。
しばらく他愛のない話をしていたが、エレノアはなかなか本題を切り出せずにいた。
けれど、やがて意を決したように口を開く。
「そういえば……」
「ん?」
「この前、王都の端の神殿で事件があったでしょう?」
「ああ」
ジュリアンの表情がわずかに変わった。
「それがどうかした?」
「怪我人が出たと聞きました」
「何人かね。幸い、命に別状はないそうだ」
「そう……」
エレノアは少し考える。
「犯人は、まだ捕まっていないのですか?」
「まだだな」
「そうですか……」
エレノアは少し考えた。
「被害に遭ったのは、王都の端にある小さな神殿ですよね?」
「そうだけど」
「なぜ、あの神殿だったのでしょう?」
「さあ。そこまでは分からないな」
「武器が使われたのですよね?」
「……」
ジュリアンの表情が、わずかに変わった。
「なんで武器のことを知ってる?」
「新聞に書いてありました」
「そうだったか?」
「……違いました?」
「いや」
ジュリアンは笑った。
「俺がちゃんと読んでないだけかもな」
「そうですか。ジュリアンは、この事件のことを調べているのですか?」
「まあ、騎士団としてな」
「何か分かったことは?」
「エレノア」
「はい?」
「ずいぶんこの事件のことが、気になるんだな」
ジュリアンが少し笑った。
「……気になりますよ。神殿で事件が起きたのですから」
「そう?」
「ええ」
エレノアは頷いた。
「どのくらい前から計画されていたのかとか、犯人は何を狙っていたのかとか……」
「……」
ジュリアンの笑みが、わずかに薄くなる。
「どうしてそこまで気になるの?」
「どうしてって……」
エレノアは一瞬だけ言葉に詰まった。
「怖いじゃないですか。王都でそんな事件が起きたら」
「まあ、それはそうだな」
「それに……」
「それに?」
「何でもありません」
エレノアは紅茶に口をつけた。
ジュリアンは何も言わず、そんな彼女を見ている。
「……」
やがて、ジュリアンは小さく息を吐いた。
「まだ、俺たちにも分からないことが多いんだ」
「そうですか」
「けど犯人は必ず捕まえるから、あまり心配しなくていいよ」
「……はい」
エレノアは素直に頷いた。
ジュリアンは笑った。
けれど――。
その目は笑っていなかった。
(やっぱり、おかしい)
ここ最近のエレノアは明らかに変だ。
噂にも腹を立てなくなった。
自分の仕事を気にするようになった。
そして今度は、神殿の事件まで妙に気にしている。
偶然だろうか。
それとも。
ジュリアンは、目の前の婚約者をじっと見つめた。
(……エレノア、お前、一体何を知ってる?)
その後は、事件とは関係のない話をして過ごした。
「来週仕立て屋に行くんです」
「そうなんだ」
だがジュリアンは、
エレノアが紅茶を飲む。
窓の外を見る。
何かを話す。
その一つ一つを、いつもよりよく見ている気がする。
「……何です?」
エレノアが尋ねると、ジュリアンは瞬きをした。
「ん?」
「さっきから、私のことを見ていませんか?」
「そう?」
「ええ」
「いつも見てるよ?」
「……そうですか」
エレノアは苦笑した。
ジュリアンは笑って、紅茶に手を伸ばす。
「よく見てるって言えば」
「はい」
「最近、お前、俺のことよく見てるよね」
「……」
エレノアの手が止まった。
「そうでしょうか?」
「うん」
「気のせいです」
「またそれ?」
ジュリアンが笑う。
「まあ、いいけど」
「何がです?」
「いや」
ジュリアンは頬杖をついて、エレノアを見る。
「俺のこと、そんなに気になるのかなって」
「……婚約者ですから」
「それだけ?」
「それ以外に何があるんです?」
「さあ?」
ジュリアンは楽しそうに笑った。
エレノアは少しだけ眉を寄せる。
「変なことを言わないでください」
「ごめん、ごめん」
そう言いながらも、ジュリアンは笑っている。
けれど、その目には先ほどまでとは違うものがあった。
――探るような視線。
エレノアはそれに気づかないふりをして、紅茶を口に運んだ。
ジュリアンはただ、静かにエレノアを見つめている。
そして、その日の帰り際。
「じゃあ、また来週」
「はい」
ジュリアンはいつものように笑って帰っていった。
けれど、屋敷を出た途端、その表情から笑みが消えた。
(……やっぱり、おかしい)
ここ最近のエレノアは、明らかに変わった。
最初は、結婚を前に少し態度が変わっただけだと思っていた。
けれど、それだけでは説明がつかない。
街へ行こうと言い出したのもエレノアだった。
騎士団の仕事について聞いてきたのも。
自分がどんな場所へ行くのか、妙に気にするようになったのも。
そして、今日。
王都の端の神殿で起きた事件について、あれほど詳しく聞いてきた。
しかも――。
(武器のことまで知っていた)
新聞に書いてあった。
エレノアはそう言った。
けれど、本当にそうだっただろうか。
ジュリアンは足を止めた。
(……いや)
新聞に出ていたとしても、おかしくはない。
だから、それだけなら問題ではない。
問題なのは、その前からだ。
あれほど自分の女関係の噂を嫌がっていたエレノアが、突然何も言わなくなった。
セリーナとの噂も。
娼館通いの噂も。
以前なら、聞けば露骨に機嫌を悪くしていた。
それが今では、
『色々と事情がおありなのでしょう』
まるで――。
何かを知っている人間のような言い方だった。
(何を知ってる?)
ジュリアンは眉を寄せた。
誰かから聞いたのか。
それとも、自分で何かを調べたのか。
もし後者なら、なぜ今になって?
そして、何を知ろうとしている?
街へ行ったときもそうだった。
あの日、エレノアと別れたあと、自分は一人で動いた。
あのときから、エレノアの態度はさらに変わったような気がする。
(……まさか)
一つの考えが浮かぶ。
けれど、すぐに打ち消した。
(いや。考えすぎだ)
エレノアが、自分の仕事に関わることを知るはずがない。
知る必要もない。
少なくとも、今のところは。
それでも、ジュリアンの中には、はっきりとした疑念が残った。
エレノアは、何かを知っている。
ただ、それが何なのかは分からない。
(……まさか、俺のことを調べてる?)
そう思ったところで、ジュリアンは苦笑した。
(いや。考えすぎか)
けれど、その疑念は消えなかった。




