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9話 わざと

数日後。


 エレノアは仕立て屋へ行った帰りだった。


 新しいドレスの採寸を終え、侍女と護衛を連れて通りを歩いていると、前方に見覚えのある姿が目に入った。


「……え?」


 エレノアは足を止めた。


 明るい茶色の髪。


 金色の瞳。


 見間違えるはずがない。


 ジュリアンだった。


 そして、その隣には――セリーナ。


 二人は並んで歩いていた。


 それだけなら、これまでにも何度も噂で聞いている。


 けれど。


「……」


 ジュリアンとセリーナは、腕を組んでいた。


 エレノアは動けなくなった。


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


(……どうして)


 分かっている。


 セリーナとの関係には事情がある。


 自分はそれを知っている。


 噂だって、もう気にしないと決めた。


 なのに。


 実際に二人が並んでいるところを見ると、そんなことは何の意味も持たなかった。


 セリーナが何かを言う。


 ジュリアンが笑う。


 その光景を見ているだけで、苦しくなる。


「……エレノア様?」


 侍女の声が聞こえた。


 けれど、エレノアは答えられなかった。


 そのとき、ジュリアンがふとこちらを向いた。


 視線が重なる。


 その瞬間、エレノアは踵を返した。


「エレノア様?」


「帰ります」


 それだけ言うと、エレノアは歩き出した。


 けれど、すぐに歩くことすらできなくなった。


 気づけば、走っていた。


 侍女が後ろから呼ぶが、それでも振り返らず、馬車まで走った。


「……」


 ジュリアンは、驚いていた。


 遠ざかっていくエレノアの背中を見つめる。


 想像していた反応とは、まるで違った。


 怒ると思っていた。


 せいぜい、不機嫌になるくらいだと思っていた。


 あんなふうに、傷ついた顔をして、逃げるように走り去るとは思っていなかった。


 今日、エレノアが仕立て屋へ行くことは、先週、本人の口から聞いていた。


 帰り道が、この通りだということも。


 セリーナとの約束は、もともと今日だった。


 その場所を、この通りに決めたのは自分だ。

 それを分かっていて、決めた。


「……殿下?」


 隣でセリーナが声をかける。


 ジュリアンはすぐに表情を戻した。


「何?」


「今の方……エレノア様では?」


「ああ。そうみたいだな」


 何でもないように答える。


「追わなくてよろしいの?」


「なんで?」


 ジュリアンは笑った。


「俺には君がいるのに?」


「……あらそう?」


 セリーナはそれ以上、何も言わなかった。


 ジュリアンもエレノアのことには触れない。


 任務中なのだ。


 それに、セリーナに自分がエレノアを気にしていることを悟られるわけにはいかなかった。


「それで、さっきの話だけど」


 何事もなかったように、ジュリアンは話を戻した。


「例の荷は、いつ動く?」


「明日の夜になる予定よ」


「そうか」


 その後も、ジュリアンは普段と変わらない態度で話を続けた。


 けれど、頭の片隅からエレノアの顔が離れなかった。


 あんな顔をするとは思わなかった。


 あれは――。


(……嫉妬、なのか?)


 そう考えたところで、ジュリアンはその考えを一度頭から追い出した。


 まだ、分からない。


 任務に集中しなければならない。


 やがて、必要な話を終える。


「今日はここまでにしよう」


「もうよろしいの?」


「ああ。残念だが予定がある」


 ジュリアンは笑った。


「また連絡する」


「ふふ、待ってるわ」


 セリーナと別れたあと、ジュリアンは急いで歩き出し、馬車に乗った。


 エレノアの傷ついた顔が浮かんだ。


 そして、逃げるように走り去った背中。


 今までなら。エレノアはこんな反応はしなかった。


 なのでジュリアンも、噂を聞いて怒っているエレノアを、面白がってからかっていただけだった。


 けれど、今日のあの顔は――。


 ジュリアンは小さく息を吐いた。


 そして、そのまま、エレノアに会いに侯爵家へ向かった。


「殿下?」


 使用人が驚いた顔をする。


「エレノアはいる?」


「はい。お部屋にいらっしゃいますが……」


「通してもらえる?」


「かしこまりました」


 しばらくして、エレノアの部屋の扉が叩かれた。


「どうぞ」


 扉が開く。


「やあ」


「……ジュリアン?」


 エレノアは驚いた。


「どうして……」


「ちょっと話したくて」


「……何を?」


 ジュリアンは部屋へ入り、エレノアの向かいに座った。


 ジュリアンはいつものように笑ってはおらず、真剣だった。


「今日のこと」


「……」


 エレノアの表情が強張る。


「見たんだろ?」


「……何のことでしょう」


「セリーナと一緒にいたところ」


「……」


「誤魔化さなくていいよ」


 ジュリアンは苦笑した。


「俺も、隠すつもりで来たわけじゃないから」


 エレノアは黙ったまま俯いた。


 ジュリアンは少し迷ったあと、口を開いた。


「……悪かった」


「え?」


「今日のこと」


「……」


「実は、わざとだった」


 エレノアが顔を上げる。


「……わざと?」


「ああ」


 ジュリアンは少し困ったように笑った。


「最近、お前、セリーナとの噂を聞いても何も言わなくなっただろ?」


「……」


「娼館だって、行ってもいいみたいに言うし……」


 エレノアは黙っている。


「だから……実際に俺とセリーナが一緒にいるところを見たら、どういう反応をするのかなって思って」


「……」


 エレノアは信じられないという顔でジュリアンを見る。


「……今日、あの通りにいたのも?」


「ああ」


 ジュリアンは目を伏せた。


「今日、仕立て屋に行くって、先週お前が言ってただろ。帰りに、あの通りを使うことも知ってた」


「……」


「セリーナと会う予定は、もともとあった。でも、場所と時間をお前の帰り道に合わせたのは、俺だ」


「……私に、見せるために」


「そう。お前に見せるために」


 ジュリアンは苦笑した。


「最低だと思う。でも、どうしても気になったんだ。お前が、本当に何も感じなくなったのかどうか」


「……」


「それが分からないまま、セリーナと一緒にいるのが、落ち着かなくて」


 エレノアは信じられないという顔でジュリアンを見る。


「……サイテー」


「うん」


 ジュリアンは素直に頷いた。


「本当に悪かった」


「……」


「まさか、おまえがこんなに傷つくと思ってなかった」


 その言葉に、エレノアは視線を逸らした。


「……私だって、こんなつもりでは」


「うん」


「……」


「だから、謝りたかった」


 ジュリアンは少し黙ってから、エレノアを見る。


「それと……」


「はい」


「知りたかったんだ」


「何を?」


「お前が、俺のことをどう思ってるのか」


「……」


 エレノアの心臓が大きく跳ねた。


「最近のお前、俺に妙に優しいし」


「……」


「仕事のことも聞いてくるし」


「……」


「俺が見たいって言った髪飾りまでつけてくれた」


「それは……」


「なのに、噂には何も反応しなくなった」


 ジュリアンは苦笑した。


「だから、分からなくなった」


「……何がです?」


「お前が、俺のことをどう思ってるのか」


 エレノアは答えられなかった。


 ジュリアンも、すぐには続きを口にしなかった。


 ただ、少しだけ困ったように笑う。


「……俺だって、気になるんだよ」


「……」


「お前が俺のこと、どう思ってるのか」


 エレノアは俯いた。


 そんなこと、答えられるはずがない。


 自分でも、まだはっきりと言葉にできていない。


「……婚約者でしょう?」


 ようやく出てきた言葉は、それだけだった。


「うん」


 ジュリアンは頷いた。


「でも、それだけなのか?」


「……」


 エレノアは顔を上げられなかった。


「最近のお前を見てたら、そう思う」


「……どうして」


「どうしてって?」


「どうして、そんなことを聞くんですか」


 ジュリアンは少し黙った。


 そして、困ったように笑った。


「……知りたいから」


「何を?」


「お前が俺を嫌いじゃなくなったのか」


「……」


「それとも――」


 ジュリアンが言葉を止める。


 エレノアは恐る恐る顔を上げた。


「俺のこと、好きになったのかなって」


「……!」


 胸が大きく鳴った。


 エレノアは慌てて視線を逸らす。


「そんなこと……」


「ない?」


「……」


 ジュリアンはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「そっか」


 それ以上は追及しなかった。


 けれど、その声には少しだけ残念そうな響きがあった。


 エレノアはそれが気になって、そっと彼を見る。


「……ジュリアン」


「ん?」


「今日みたいに、試すようなことは……もうしないでください」


「ああ」


 今度は迷いなく頷いた。


「約束する」


「……なら、いいです」


「許してくれる?」


「……考えときます」


「まだなの?」


「当然でしょう?」


「そりゃそうか」


 ジュリアンが苦笑する。


 その顔を見て、エレノアもほんの少しだけ笑った。

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