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10話 花束

それから数日。


 エレノアは、以前より少しだけジュリアンを意識するようになっていた。


 もちろん、本人の前ではそんな素振りは見せない。


 週末になれば、いつものようにジュリアンが侯爵家を訪れる。


「やあ、エレノア」


「こんにちは、ジュリアン」


 いつもと変わらない挨拶。


 いつもと変わらない距離。


 けれど――。


「……何です?」


 エレノアが尋ねる。


「何が?」


「また私のこと見ていますよね?」


「そう?」


「ええ」


 ジュリアンは楽しそうに笑った。


「いつものことでしょ?」


「……」


 エレノアは少しだけ眉を寄せる。


 以前なら、ここで言い返していただろう。


 けれど今は、何となく分かってしまう。


 ジュリアンは、以前より自分をよく見ている。


 そして、それを隠そうとしているわけでもない。


「この前のこと、まだ怒ってる?」


「……少し」


「そっか」


「当然でしょう?」


「うん。悪かった」


 ジュリアンは素直に謝った。


 あまりにもあっさりしているので、エレノアの方が戸惑ってしまう。


「……もういいです」


「許してくれる?」


「まだ考え中です」


「厳しいなあ」


「自業自得です」


「それはそうだね」


 ジュリアンが笑う。


 その笑顔を見ていると、エレノアも少しだけ頬が緩んだ。


「……何?」


「何でもありません」


「今、笑っただろ」


「笑ってません」


「いや、笑った」


「気のせいです」


「またそれ?」


 ジュリアンが楽しそうに笑う。


 以前なら、このやり取りだけで腹が立っていた。


 けれど今は――。


 悪くないと思ってしまう。


 それが少しだけ悔しかった。


 ◇ ◇ ◇


 その日、ジュリアンが帰ったあと。


 エレノアは自室で一人、窓の外を眺めていた。


 この前のことを思い出す。


 セリーナと腕を組んで歩いていたジュリアン。


 あの光景を見た瞬間、胸が締めつけられた。


 あれほど嫌だったのは、なぜだったのだろう。


 理由は分かっている。


 ……分かっているけれど。


 エレノアは小さく息を吐いた。


 ジュリアンが、自分のことを好きになったのかと聞いた。


 あのときは答えられなかった。


 今だって、答えられる気はしない。


 けど、その答えからは、まだ目を逸らしていたかった。


 ◇ ◇ ◇


 そして、数週間が過ぎた。


 ジュリアンはどんどん忙しくなっていった。


 以前より侯爵家を訪れる回数が減ったわけではない。


 ただ、突然予定が変わったり、滞在時間が短くなった。


「今日は?」


 エレノアが尋ねる。


「1時間くらいしかいられない」


「そうですか」


「残念?」


「別に」


「即答だね」


「……」


 ジュリアンは笑う。


 エレノアは紅茶を飲みながら、少しだけ視線を逸らした。


 そんなやり取りを繰り返すうちに、エレノアは気づき始めていた。


 自分は、ジュリアンが来るのを楽しみにしている。


 彼と話すことが、以前ほど嫌ではない。


 むしろ――。


 会えないと、少し寂しい。


 けれど、その気持ちを認めるのは、まだ怖かった。


 そんなある日の週末。


「エレノア様」


 侍女が部屋へ入ってきた。


「ジュリアン殿下から、お届け物です」


「……ジュリアンから?」


「はい」


 差し出された花束をエレノアは受け取る。


「今日は来る予定では?」


「そのはずだったのですが……」


 侍女が申し訳なさそうに続けた。


「急なお仕事が入ったそうです」


「そう……」


 エレノアは花束を見つめた。


(……どうして、こんなに気になるのかしら)


 今までなら、来られないと聞いても何とも思わなかった。


 むしろ、顔を合わせずに済んで楽だとさえ思っていたくらいだ。


 なのに。


 考えかけて、エレノアは小さく首を振った。


(別に、深い意味はないわ)


 今日は来るはずの日だったから。


 だから、少し調子が狂っただけ。


 そう自分に言い聞かせて、花から視線を外す。


 けれど、しばらくすると、また目がそちらへ向いていた。


 気づけば、頬が緩んでいる。


 エレノアは慌てて、口元を引き結んだ。


 ◇ ◇ ◇


 一週間後。


 ようやくジュリアンが侯爵家を訪れた。


「やあ」


「……こんにちは」


 エレノアは少しだけ緊張した。


 ジュリアンの視線が、花瓶へ向かった。


「あ」


「……何です?」


「飾ってくれてるんだ」


「……いただいたものですから。だいぶ枯れて小さくなりましたが」


「ふーん」


 ジュリアンは嬉しそうに笑った。


 萎れかけた花を、それでもまだ捨てずにいる。


 そのことが、ジュリアンには無性に嬉しかった。


 エレノアは少しだけ顔を逸らした。


 ジュリアンはそんな彼女を見て、ふと思う。


 やっぱり最近のエレノアは、以前とは違う。


 そして――。


 自分もまた、以前とは違う。


 この前、セリーナといるところを見せたとき。


 傷ついた顔で走り去ったエレノアを見た瞬間から。


 ずっと、あの顔が頭から離れない。


 自分が傷つけた。


 それが、思った以上に気になっている。


 いや、それだけではない。


 あのとき、確かに嬉しいと思ってしまった。


 エレノアが自分を見て、あんな顔をしたことが。


 自分のことを、それほど大切に思ってくれているのかもしれないと。


 ジュリアンは小さく息を吐いた。


(……俺、こいつのこと、本当に好きなんだな)


 今までだって、特別だった。


 けれど、最近はそれを誤魔化せなくなってきている。


 そして何より――。


 エレノアも、自分のことを好きなのではないか。


 そう思ってしまう。


「……どうしました?」


「いや」


 ジュリアンは笑った。


「何でもない」


 まだ、聞くつもりはなかった。


 今度は、試すようなことはしたくない。


 いつかエレノア自身が、自分の気持ちを言ってくれるまで。


 その日を、少しだけ期待して待っていた。

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