7話 色々と事情があるのでしょう
翌週の週末。
いつものように、ジュリアンが侯爵家へやって来た。
「やあ、エレノア」
「こんにちは、ジュリアン」
エレノアはいつもより少しだけ笑って迎えた。
その瞬間、ジュリアンの視線がエレノアの髪へ向く。
「あ」
「……何です?」
「髪飾り」
エレノアは髪に触れた。
先週、ジュリアンに言われた髪飾り。
「……はい」
「似合ってる」
「……ありがとうございます」
ジュリアンは嬉しそうに笑った。
「ちゃんとつけてくれたんだな」
「あなたが見たいと言ったので」
「うん」
ジュリアンは満足そうに頷く。
「言ってみるもんだな」
「……そんなに嬉しいんですか?」
「そりゃ嬉しいだろ」
「髪飾りをつけただけですよ?」
「俺が見たいって言ったのを覚えててくれたんだから」
「……」
エレノアは少しだけ頬を赤くした。
ジュリアンはそんな彼女を眺めていたが、ふと眉を上げる。
「でもさ」
「何です?」
「最近、お前ちょっと素直じゃない?」
「……そうでしょうか?」
「うん」
ジュリアンは指を折るように数え始めた。
「街に行こうって言い出したのもお前だったし」
「……」
「先週は騎士団の仕事まで聞いてきたし」
「それは……」
「今日だって、俺が見たいって言った髪飾りをつけてくれた」
「……」
「前のお前なら、絶対『自分で勝手に見ればいいでしょう』とか言ってたよな」
「言いません」
「言ってた」
「言ってません」
「まあ、どっちでもいいけど」
ジュリアンは笑った。
「なんか最近、お前おかしいよな?」
エレノアは瞬きをした。
「……おかしい?」
「うん」
ジュリアンが少し身を乗り出す。
「何か企んでる?」
「……!」
けれど、エレノアはすぐに平静を取り戻した。
「何も企んでいません」
「ほんと?」
「本当です」
「じゃあ、どうしたんだよ」
「……」
エレノアは少し考えてから、答えた。
「私達、もうそろそろ結婚するのでしょう?」
「……うん」
「だったら、いつまでもあなたに冷たくしているのも、どうかと思っただけです」
「……」
「少しくらい歩み寄ろうとしているんです」
ジュリアンは黙ってエレノアを見つめた。
「……それだけ?」
「それだけです」
「ふーん……」
ジュリアンは、なぜか少し残念そうな顔をした。
「何です?」
「いや」
ジュリアンは笑った。
「なんでもない」
そう言いながらも、どこか納得していないようだった。
「なら、いいでしょう」
「まあな」
エレノアは紅茶に手を伸ばした。
ジュリアンはまだ、こちらを見ている。
「……」
「何です?」
「いや、別に」
そう言って、ジュリアンはいつものように笑った。
エレノアも笑い返す。
――今は、これでいい。
そう思いながら。
◇ ◇ ◇
数日後。
昼休み、エレノアはいつものようにクラリスと昼食を取っていた。
「そういえば、また噂になっているわよ」
「何が?」
「ジュリアン殿下とセリーナ嬢」
「ああ……」
エレノアは少し考えてから、淡々と答えた。
「色々と事情があるみたい」
「……え?」
クラリスが目を瞬く。
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
「前はあんなに嫌がっていたじゃない」
「そうでしたか?」
「そうよ」
クラリスは不思議そうにエレノアを見る。
「『またですか』って、いつも怒っていたでしょう?」
「……まあ」
「なのに、ずいぶんあっさりしてるわね」
エレノアは紅茶に口をつけた。
「もう、気にしても仕方がないと思っただけです」
「ふーん……」
クラリスは納得したような、していないような顔をする。
「それに、娼館に出入りしているっていう噂もあるでしょう?」
「ええ」
「そっちは?」
「それも……色々と事情がおありなのでしょう」
「……」
クラリスがじっとエレノアを見る。
「本当にどうしたの?」
「何が?」
「なんだか、最近のエレノア、ジュリアン殿下に対する態度が変わった気がするわ」
「……そうかしら」
「ええ」
エレノアは少しだけ笑った。
「もうすぐ結婚するのだから。いつまでも喧嘩ばかりしているのも、どうかと思っただけよ」
「それならいいけど……」
クラリスはまだ少し不思議そうだった。
エレノアはそれ以上何も言わなかった。
ジュリアンが何をしているのか。
なぜセリーナと一緒にいるのか。
少なくとも、クラリスは知らないようだった。
父は知っているようだったが、王太子殿下や王は知っているのだろうか?
◇ ◇ ◇
その週末。
いつものようにジュリアンが侯爵家を訪れた。
「やあ、エレノア」
「こんにちは」
エレノアはいつも通り、ジュリアンを迎えた。
以前なら、彼の顔を見るだけで少し身構えていたかもしれない。
けれど今は、もう以前ほど緊張しない。
「そういえばさ」
ジュリアンがソファに腰を下ろしながら、何気なく口を開いた。
「また俺の変な噂が出てるらしいな」
エレノアは少し考えた。
「そうですか」
「……」
ジュリアンが黙った。
「何です?」
「いや」
「?」
「前なら、もうちょっと何か言わなかった?」
「そうでしたか?」
「そうだよ」
ジュリアンはじっとエレノアを見る。
「『またですか』とか、『本当に懲りない方ですね』とか」
「……言っていました?」
「言ってた」
「そうでしたか」
「それだけ?」
「はい」
エレノアは紅茶を一口飲んだ。
「もう、気にしても仕方がないでしょう」
「ふーん……」
ジュリアンは納得していないようだった。
「じゃあ、俺娼館行ってもいいの?」
「それは……行ってほしくはありませんが、どうせ行くなと言っても行くのでしょう?」
「……ふーん」
「何です?」
「いや」
ジュリアンは面白くなさそうに頬杖をついた。
「お前、ほんとにどうした?」
「何がです?」
「なんか最近、妙に物分かりがよくない?」
「失礼ですね」
「だってそうだろ」
ジュリアンは笑った。
「前はあんなに俺の女関係の噂を嫌がってたのに」
「……」
エレノアは少しだけ視線を落とした。
「色々と事情がおありなのでしょう」
「……え?」
ジュリアンの笑顔が止まった。
「何だって?」
「ですから」
エレノアは顔を上げる。
「色々と事情がおありなのだと思っています」
「……」
ジュリアンはしばらく何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと目を細める。
「お前、何か知ってる?」
「いいえ」
エレノアは即答した。
「それより、知ってる?って聞くってことは、何かあるのですか?」
ジュリアンはエレノアの顔をじっと見つめていた。
けれど、エレノアは表情を変えなかった。
「……いや、なんでもない」
しばらくして、ジュリアンは目を逸らした。
「……」
その顔を見ながら、エレノアは胸の奥で小さく息を吐いた。
危なかった。
けれど、ジュリアンはそれ以上追及してこなかった。
その日は、それで終わった。
◇ ◇ ◇
数日後。
王都の端にある小さな神殿で、事件が起きた。
幸い、大きな被害は出なかったものの、神殿の一部が破壊され、数人の負傷者が出たという。
学園でも、その話はすぐに広まった。
「物騒ね……」
クラリスが呟く。
「ええ」
エレノアも頷いた。
小さな神殿。
王都の端。
被害は限定的。
けれど、エレノアの胸には嫌な予感があった。
あの日、ジュリアンが話していた武器。
ヴァレンティ商会。
そして、神殿。
まさか、これはジュリアンが追っている事件と関係があるのではないか。
エレノアはこの事件が気になって仕方がなかった。
「エレノア?」
「……何でもないわ」
そう答えたものの、早くジュリアンに聞きたくなった。
これは偶然なのだろうか。
それとも――。




