5話 尾行
「殿下を追います」
護衛が目を見開いた。
「エレノア様?」
「少し様子を見たいのです」
「ですが……」
「危険なことはしません。あなたも一緒でしょう?」
エレノアが振り返ると、護衛は困ったような顔をした。
「……殿下に知られたら、私が叱られます」
「そのときは私から説明します」
「そういう問題では……」
「お願い」
エレノアが真剣な顔で頼むと、護衛はとうとう諦めたように息を吐いた。
「……分かりました」
「ええ」
二人は少し距離を空けて、ジュリアンの後を追った。
週末の街は人が多い。
その人混みが、二人の姿を隠してくれた。
ジュリアンは、一度も振り返らなかった。
何かに気を取られているように、迷いのない足取りで進んでいく。
ヴァレンティ商会の建物には入らなかった。
そのまま裏手へ回り、いくつか角を曲がって、人通りのない細い路地へ入っていく。
商会からは、だいぶ離れていた。
エレノアと護衛は、路地の入口に積まれた木箱の陰に身を寄せた。
これ以上は近づけない。
ジュリアンまでは、十歩以上ある。
路地の奥で、先ほどの商人風の男が待っていた。
男は辺りを見回してから、声を落として、ジュリアンに何かを告げる。
ほとんど聞こえない。
それでも、いくつかの言葉だけが、切れ切れに耳へ届いた。
「……ヴァレンティ商会を経由して……武器が……」
エレノアは息を呑んだ。
「……セリーナは……」
「おそらく……荷の受け渡しに……立ち会っていた、と……」
武器。
セリーナ。
ジュリアンの横顔が、すっと変わった。
あの夜と同じだった。
金色の瞳から笑みが消え、冷たい光が宿る。
「……数は」
「かなりの量……行き先から……次は……中央神殿かと」
「日時は」
「まだ……ただ、遠くない時期かと」
そこまで聞いたところで、エレノアは息をするのも忘れていた。
これ以上、聞いてはいけない。
頭ではそう分かっている。
けれど、足が動かなかった。
目の前にいるジュリアンは、もう自分の知っている婚約者ではなかった。
しばらく呆然としていると、
「エレノア様」
背後から護衛が小声で呼びかけた。
「戻りましょう。ここに長くいるのは危険です」
エレノアはようやく我に返った。
「……分かったわ」
路地の奥には、もう二人の姿はなかった。
エレノアは、護衛に導かれるまま、その場を離れた。
屋敷へ戻る馬車の中でも、エレノアは一言も話さなかった。
護衛も何も聞かなかった。
やがて屋敷が見えてくる。
エレノアは馬車を降りる前に、護衛へ振り返った。
「……今日、見たり聞いたりしたことは」
「はい」
「誰にも話さないでください」
「かしこまりました」
それだけを確認すると、エレノアは屋敷の中へ入った。
自室に戻り、扉を閉める。
そして、ようやく大きく息を吐いた。
「……」
何から考えればいいのか分からない。
セリーナ。
ヴァレンティ商会。
武器。
中央神殿。
そして、それを追っているジュリアン。
(私は……とんでもないことを聞いてしまったのではないだろうか)
ただ、ジュリアンのことを少し知りたかっただけだった。
あの夜、セリーナと一緒にいた理由を知りたかった。
それなのに、知ってしまったのは、想像もしていなかったようなことだった。
エレノアはベッドの端に腰を下ろした。
今日まで自分は、ジュリアンのことを、軽薄で、女好きで、いつも人をからかって、こちらが怒るのを楽しんでいる。そんな人だと思っていた。
けれど――。
あの夜、セリーナが去った後に見せた冷たい顔。
今日、騎士の報告を聞いていたときの顔。
どちらも、同じだった。
あの表情を浮かべたジュリアンは、エレノアの知っている彼とはまるで違っていた。
そして、ふと思う。
もしかしたら。
自分がこれまで「ジュリアン」だと思っていた姿こそ、彼が意図して見せていたものなのではないだろうか。
そう考えた途端、これまで聞いてきた噂まで、別の意味を持っているように思えてくる。
エレノアは膝の上で、そっと手を握った。
(……ジュリアン)
知りたいと思った。
なのに今は――。
(私が知ってもよかったのだろうか?)
それでも。
今まで自分が知っていると思っていたジュリアンが、まったく別の顔を持っていたことだけは、もう疑いようがなかった。
◇ ◇ ◇
翌日。
王立学園の昼休み。
エレノアはいつものようにクラリスと昼食を取っていた。
けれど、今日はどうしても気持ちが落ち着かない。
昨日の光景が何度も頭の中に浮かんでくる。
ヴァレンティ商会。
武器。
中央神殿。
そして、あのときのジュリアンの顔。
「……エレノア?」
「え?」
顔を上げると、クラリスが心配そうにこちらを見ていた。
「どうしたの? なんだか元気がないわ」
「……そう?」
「ええ。さっきからほとんど食べていないもの」
言われて、エレノアは自分の皿を見る。
確かに、ほとんど手をつけていなかった。
「少し、考え事をしていただけよ」
「ジュリアン殿下のこと?」
「……」
心臓が跳ねた。
「どうしてそう思うの?」
「だって、昨日は街に行ったのでしょう?」
「ええ」
「何かあった?」
「……何も」
反射的に答えてから、エレノアは少し迷った。
クラリスは自分の友人だ。
だからこそ、話してしまいたい気持ちはある。
けれど――。
(クラリスは、どこまで知っているのかしら)
オスカーの婚約者であるクラリス。
王太子の婚約者なのだから、もしかしたら自分よりも王宮のことを知っているかもしれない。
ジュリアンの裏の仕事についても、知っている可能性はある。
でも知らないかもしれないので、余計なことを話してしまうわけにはいかない。
「……本当に?」
クラリスが首を傾げる。
「ええ」
「ならいいけど」
そう言いながらも、クラリスは納得していないようだった。
「でも、何か悩みがあるなら話してね?」
「……ありがとう」
エレノアは小さく笑った。
その言葉が、今はありがたかった。
けれど、まだクラリスには話せなかった。




