3話 気になる婚約者
それから数日、エレノアは暇を見つけてはセリーナのことを調べていた。
とはいっても、表立って調べるわけにはいかない。
セリーナは新興貴族とはいえ、社交界に顔を出している令嬢だ。少し調べれば、表向きのことはいくらでも分かる。
けれど、出てくるのは、クラリスから聞いた話ばかりだった。
それ以上のことは、何も。
特におかしなところはなかった。
(……普通の新興貴族ね)
少なくとも、表向きは。
エレノアは資料を閉じた。
けれど、どうしても気になる。
あの夜のジュリアンの顔。
セリーナが立ち去った瞬間に変わった、あの冷たい表情。
ただの女遊びなら、あんな顔をする必要があるだろうか。
(やっぱり、セリーナ嬢だけを調べても分からないわね)
そこで、エレノアは視点を変えることにした。
セリーナではなく、ジュリアンを調べる。
もちろん、婚約者なのだから、ジュリアンのことを調べること自体は不自然ではない。
けれど、改めて考えてみると、自分は彼のことをあまり知らない。
王とは親子ほど歳の離れた王弟であること。
母親の身分が低かったこと。
王位継承権を放棄するため、エレノアと婚約して婿養子になること。
騎士団に所属していること。
週末になると、我が家へやって来ること。
それくらいだ。
――いや、もう二つ。
女遊びが激しいこと。
そして。
ジュリアンが子供の頃、他の兄王子たちや、前王の側妃たちから、母親の身分を理由に厭味を言われていたという話。
それを、いつも今の国王がかばっていたのだと聞いたことがある。
エレノアは眉を寄せた。
(これも、あれも……人づてに聞いた話ばかりね)
そう考えると、本当に何も知らない。
◇ ◇ ◇
翌日。
エレノアは父の執務室を訪ねた。
父は宰相だ。色々と詳しいはず。
「お父様」
「どうした?」
机に向かっていた父が顔を上げる。
「少し聞きたいことがあるのですが」
「珍しいな。何だ?」
「ジュリアン殿下のことです」
父の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
エレノアはそれに気づかなかった。
「殿下がどうかしたのか?」
「いえ……騎士団で、どんな仕事をされているのかなと思いまして」
「普通の騎士としての仕事だろう」
「……本当に?」
父が僅かに目を細めた。
「どうしてそんなことを聞く?」
「……」
エレノアは答えに詰まった。
まさか、夜会でセリーナと一緒にいるところを見た、と言うわけにはいかない。
「最近、噂をよく聞くので」
「女遊びの話か?」
「……はい」
「噂など、気にする必要はない」
父の返事は思ったよりも早かった。
エレノアは顔を上げる。
「お父様は、殿下のことをよくご存じなのですか?」
「お前の婚約者なのだから、当然だろう」
「そうではなくて……」
エレノアは言葉を選んだ。
「ジュリアン殿下が、本当に噂されているような方なのかどうかです」
父はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「色々噂があるようだが、お前が心配するようなことはないよ」
「本当ですか?」
「……まあ、色々と事情があるんだ」
それだけだった。
エレノアは父の顔を見つめる。
何かを隠している。
そんな気がした。
「……分かりました」
これ以上聞いても、答えてはくれないだろう。
エレノアは立ち上がった。
「ありがとう、お父様」
「ああ」
執務室を出て、扉を閉める。
廊下を歩きながら、エレノアは考え込んだ。
(やっぱり……何かある)
父は、ジュリアンの何かを知っている。
それなのに、話そうとしなかった。
だったら、自分で調べるしかない。
エレノアは小さく息を吐いた。
(でも、どうやって?)
貴族令嬢の自分が、騎士団の機密を調べられるはずもない。
ならば、もっと身近なところから。
ジュリアンが普段どこへ行き、誰と会い、何をしているのか。
そこからなら、何か分かるかもしれない。
◇ ◇ ◇
その週末。
ジュリアンが来る前から、エレノアは今日聞こうと決めていたことがある。
――そういえば、前回、街へ行こうと言っていた。
あのときは断ってしまったけれど、今は違う。
ジュリアンのことを調べるなら、二人きりで街へ出るのは都合がいい。
普段、どこへ行くのか。
誰と話すのか。
どんな店を知っているのか。
屋敷の中にいるだけでは分からないことも、きっとある。
もちろん、そんなことをジュリアンに悟られるわけにはいかないが。
やがて、いつものようにジュリアンがやって来た。
「やあ、エレノア」
「こんにちは、ジュリアン」
「……今日は普通だな」
「何ですか、それ」
「いや。いつもなら、俺の顔を見るなり何か一言あるだろ」
「そんなことありません」
「珍しい」
ジュリアンが笑う。
エレノアはそれを気にせず、さっそく切り出した。
「そういえば」
「ん?」
「前回、街に行こうとおっしゃっていましたよね」
ジュリアンが止まった。
「いつにしますか?」
「……え?」
「街です」
「いや、それは分かるけど……」
ジュリアンは目を瞬いた。
「お前から聞くの?」
「私から聞いてはいけませんか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
ジュリアンは少し困ったように笑った。
「どうしたの?」
「何が?」
「なんか今日、妙に素直じゃない?」
「……」
エレノアは一瞬、言葉に詰まった。
けれど、すぐに平静を装う。
「私はいつも素直です」
「……」
今度はジュリアンが黙った。
「何です?」
「いや……お前、熱ある?」
ジュリアンはエレノアのおでこを触った。
「ありません!」
エレノアは真っ赤になって、手を振り払った。
「ははは、そのようだな」
「失礼ですよ!」
「ごめん、ごめん。前は嫌がってたのに、急にどうしたの?」
「気が変わっただけです!」
「わかった、わかった。で、いつ行く?」
「来週はいかがですか?」
「いいよ」
「では、来週に」
「分かった」
あっさり決まった。
エレノアは内心でほっとする。
(これでいい)
来週、街へ行く。
そこで少しでも、ジュリアンのことが分かればいい。
何をしているのか。
誰と会っているのか。
あの夜の冷たい顔が、いったい何を意味しているのか。
――それを確かめるために。
そう思っていた。
一方、ジュリアンはそんなエレノアを、どこか訝しげに見つめていた。




