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2話 夜会の令嬢

 ジュリアンは、エレノアの向かいに座った。


 エレノアは眉を寄せた。


 やはり、いつもと変わらない。


 軽口を叩いて、こちらをからかって。


 こちらが怒ると、楽しそうに笑う。


 あの夜、セリーナの前で見せていた男とは、とても同一人物には思えない。


 けれど。


(……本当に、演技だったのかしら)


 あれほど自然だった。


 セリーナに触れる手も、声も、表情も。


 女遊びの噂が絶えないのも、これまでなら当然だと思っていた。


 けれど、あの夜を見てしまった今は、逆に分からなくなった。


 ジュリアンは、本当に女性が好きなのだろうか。


 それとも――。


「……エレノア?」


「え?」


「ぼんやりしてるけど」


「少し考え事をしていただけです」


「珍しいな」


「何がです?」


「お前が俺の前でぼんやりしてるの」


「……あなたのせいではありません」


「俺のせいなの?」


「そういう意味ではありません」


「じゃあ、どういう意味?」


「もう、うるさいです」


「はいはい」


 ジュリアンは笑った。


 その横顔を、エレノアはちらりと見る。


 明るい茶色の髪。


 少し長めのふわりとした髪が、窓から入る風に揺れている。


 そして、柔らかな目元に金色の瞳。


 ――王族にしか現れないと言われる瞳。


 そういえば。


 エレノアはふと気づいた。


 ジュリアンのことを、自分はどれくらい知っているのだろう。


 婚約者なのだから、幼い頃から知っている。


 けれど、知っているつもりになっていただけではないだろうか。


「……ジュリアン」


「ん?」


「あなたは……」


 何をしているの?


 そう聞きかけて、エレノアは口を閉じた。


「あなたは?」


「……いえ」


「何だよ。気になるじゃないか」


「何でもありません」


「気になるなあ」


「忘れてください」


「無理」


 ジュリアンが笑う。


 エレノアはため息をついた。


 やっぱり聞けない。


 今聞けば、きっと不自然だ。


 そもそも、自分があの夜のことを見ていたと知られるのも困る。


 だから、今はまだ。


 もう少しだけ、様子を見ることにした。


「そうだ。今度街に行かない?」


 ジュリアンが尋ねる。


「嫌です」


「早いな」


「あなたと街を歩いたら、女性に声をかけられるでしょう」


「嫉妬?」


「違います!」


「だよね」


ジュリアンは笑った。


 エレノアは呆れたように彼を見る。


「本当に自分のことが好きですよね」


「そうかな?」


「そうですよ」


「でも、お前には嫌われてる」


「……」


 思いがけない言葉だった。


 ジュリアンは冗談めかして言ったように見えた。


 けれど、その声はほんの少しだけ静かだった。


「まあ、しょうがないけどさ」


「……」


「お前が俺を嫌いなのは、今に始まったことじゃないし」


「私は……」


 違う。


 そう言いかけて、エレノアは言葉を止めた。


 何が違うというのだろう。


 自分だって、これまでジュリアンに散々嫌味を言ってきた。


 女遊びをしていると聞けば腹を立て。


 婚約者を放っておいて遊んでいると文句を言い。


 顔を合わせれば、素直ではない言葉ばかりぶつけてきた。


 ジュリアンがそう思っていても、おかしくない。


「……別に、嫌いとは思っていません」


 ようやく出てきたのは、それだけだった。


 ジュリアンが目を瞬く。


「そうなの?」


「……はい」


「ふうん」


 ジュリアンは少しだけ笑った。


「じゃあ、今度街に行こうか」


「……どうしてそうなるんです?」


「嫌いじゃないなら、付き合ってくれてもいいだろ?」


「理屈がおかしいです」


「そう?」


「そうです」


 また、いつもの言い合いになる。


 けれどエレノアは、さっきのジュリアンの言葉だけが、妙に胸に残っていた。


 ――お前が俺を嫌いなのは、今に始まったことじゃない。


(……そんなふうに思っていたの?)


 知らなかった。


 ずっと一緒にいたのに。


 そんなことさえ、知らなかった。


◇ ◇ ◇


その週末から、エレノアは少しずつジュリアンのことを調べ始めた。


 まず気になったのは、あの夜の女――セリーナだった。


 とはいえ、エレノア自身も彼女のことをまったく知らないわけではない。


 セリーナは最近爵位を得た新興貴族の令嬢で、社交界ではそれなりに名の知られた存在だ。


 ただ、エレノアが知っているのはその程度だった。


 だから、昼休みに友人のクラリスとお茶をしているとき、何気なく尋ねてみることにした。


「ねえ、クラリス」


「なに?」


 向かいに座るクラリスが、紅茶のカップを置く。


「セリーナという方について、何か知っている?」


「セリーナ?」


 クラリスは少し考えてから、ああ、と頷いた。


「ジュリアン殿下と噂になっている方でしょう?」


「……ええ」


「最近よく聞くわよ。二人が親しくしているって」


 やはり、クラリスも知っている。


 エレノアは平静を装って紅茶に口をつけた。


「セリーナ嬢は、新興貴族のご令嬢だったわよね?」


「そうね」


「ご実家についてはどうなのかしら?」


「私も詳しいわけではないけれど」


 クラリスは少し考えるように視線を上げた。


「もともとはヴァレンティ商会っていう結構大きい商会をやっていたはずよ。そこで財を築いて、最近爵位を得たの」


「そうなのね」


「だから、古くからの貴族の中には、あまりよく思っていない人もいるみたい」


「……なるほど」


 エレノアは頷いた。


 新興貴族。


 それだけなら、別に珍しい話でもない。


「でも、セリーナ嬢って社交界では結構有名よね。男性との距離が近い方だって」


「ええ。そうみたいね」


 クラリスは苦笑した。


「もっとも、あの方はああいう雰囲気だから。男性から声をかけられることも多いでしょうし」


「……そうね」


 エレノアの脳裏に、あの夜の光景が蘇る。


 セリーナがジュリアンの胸元に触れていた。


 あまりにも自然に距離を詰めて。


 そしてジュリアンも、それを拒まなかった。


「それで……ジュリアン殿下とは、いつ頃から親しいのかしら?」


「さあ。そこまでは分からないわ」


「そう……」


 クラリスは不思議そうにエレノアを見る。


「どうしたの? 急にセリーナ嬢のことなんて」


「……少し気になっただけよ」


「ふーん」


 クラリスが意味あり気に笑った。


「何よ」


「別に?」


「……」


「まあ、エレノアが気になるなら、少しくらい調べてみてもいいんじゃない?最近爵位を得た家なら、昔からの貴族とは少し違う繋がりがあるかもしれないでしょうし」


「……そうね。教えてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 エレノアは考え込んだ。


 セリーナ。


 新興貴族の令嬢。


 そして、ジュリアン。


 あの夜、二人が密会していたこと。


 ――その直後に、ジュリアンが言った。


『なかなか、尻尾を出さないな』


 エレノアはカップを置いた。


(……やっぱり、何かある)


 ただの女遊びなら、あんな顔をする必要はない。


 もちろん、まだ何も分からない。


 セリーナの家に何かあるとも限らない。


(少し調べてみよう)


 エレノアはそう決めた。

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