15話 もう少しだけ
卒業の日が近づくにつれて。
ジュリアンは、これまで以上にセリーナとの接触を増やしていた。
敵組織の内部へ入り込むためだ。
表向きは、相変わらずセリーナに惹かれているように振る舞う。
二人で酒を飲み、街を歩き、人目につかない場所で会う。
セリーナは、ジュリアンが自分に夢中になっていると思っていた。
そして。
ジュリアンが自分のもとへ落ちてくるまで、あと少しだとも。
「ねえ、ジュリアン」
「ん?」
「あなたは、自分の金色の瞳をどう思っているの?」
ある夜。
セリーナは、ジュリアンの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「どうって?」
「綺麗だと思わない?」
「まあ……珍しいとは思うけど」
「珍しいなんてものじゃないわ」
セリーナは、ジュリアンの金色の瞳を見つめた。
「王家にしか現れない瞳でしょう?」
「ああ」
「なのに、あなたはずっと『半分』だと言われてきた」
「……」
ジュリアンの表情が、ほんの少しだけ固まる。
セリーナは、それを見逃さなかった。
「平民の母親から生まれたから」
「昔の話だよ」
「でも、事実でしょう?」
「……まあね」
「可哀想」
セリーナは優しく笑った。
「あなたは何も悪くないのに」
ジュリアンは黙っていた。
「あなたの母親が平民だったからって、あなたの価値が半分になるわけじゃないでしょう?」
「……」
「むしろ、あなたこそ本当の王族なのかもしれないわ」
「どういう意味?」
「あなたの瞳を見れば分かるもの」
セリーナの指が、ジュリアンの頬へ伸びる。
「現国王も金眼でしょう?」
「ああ」
「そして、あなたも」
「……」
「他の王族には現れていない」
セリーナは微笑んだ。
「それなのに、あなたは王位継承から外された」
「俺自身が望んでないからだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
ジュリアンは笑った。
「王位なんて面倒なもの、欲しくない」
「でも、周囲はそう思っていないでしょうね」
「まあ、勝手なことを言う奴はいるけど」
「王太子殿下より、あなたの方が王にふさわしい、と?」
「……そんな話まで知ってるのか」
「少しだけね」
セリーナは楽しそうに笑った。
「だから、私たちはあなたを必要としているの」
「俺を?」
「ええ」
「何に?」
「象徴よ」
「……象徴?」
「王家に認められなかった王族」
セリーナは静かに言った。
「平民の血を引いているからと、半分だと言われた王弟」
「……」
「それでも王家特有の金眼を持つ、本物の王族」
ジュリアンは黙ってセリーナを見つめた。
なるほど。
敵組織は、自分を利用するつもりなのだ。
ただの王弟としてではない。
王家への不満を持つ者たちをまとめるための、象徴として。
「俺は何をすればいい?」
ジュリアンが尋ねる。
「まだ全部を話すことはできないわ」
「信用してくれないの?」
「逆よ」
セリーナは、ジュリアンの腕に手を絡めた。
「あなたには、もっと大きな役割をお願いしたいの」
「へえ」
「近いうちに、あなたが必要になる」
「じゃあ、それが終わったら――」
ジュリアンは、セリーナを見て笑った。
「君を俺にくれる?」
セリーナは一瞬だけ目を細め、それから艶やかに笑った。
「ええ。約束したでしょう?」
「それは楽しみだな」
「もう少しだけ我慢してね」
「ああ」
ジュリアンは嬉しそうに答えた。
もちろん、その言葉にセリーナが込めている意味と、ジュリアンが考えていることは違う。
けれど。
それを互いに確かめる必要はなかった。
セリーナは、ジュリアンが自分に夢中になっていると思っている。
ジュリアンは、そのまま思わせておけばいい。
◇ ◇ ◇
数日後。
王宮の一室で、ジュリアンは騎士団の人間と向かい合っていた。
「敵組織は、かなり大きな計画を立てている」
ジュリアンは机の上に資料を広げた。
「中央神殿の礼拝の日を狙っている」
「中央神殿を?」
「ああ」
ジュリアンは地図を指差した。
「大勢の人間が集まる日に神殿を襲撃する。混乱を起こして、王家と神殿が民衆を守れなかったという状況を作るつもりだ」
「それだけが目的ではないんですね」
「そうだ」
ジュリアンは、一枚の紙を取り出した。
「俺を使う」
「殿下を?」
「ああ」
自分の金色の瞳を指差す。
「敵は、俺を『王家に認められなかった王族』として、民衆の前に立たせるつもりらしい」
「……王家への反発を煽るためですか」
「おそらくな」
ジュリアンは苦笑した。
「金眼を持つ俺が奴らの側に立てば、それだけで意味があると思ってる」
「つまり、殿下を敵側の象徴にする」
「そういうことだ」
騎士はしばらく黙っていた。
「では、事件当日、殿下は……」
「敵の指示通りに動く」
「え?」
ジュリアンは笑った。
「動くふりをする」
「……なるほど」
「奴らは、俺が最後まで自分たちの側にいると思っている。その方が都合がいい」
そして。
ジュリアンは別の資料を取り出した。
「それと、こっちからも情報を流している」
「敵に?」
「ああ」
「偽情報ですか」
「もちろん」
ジュリアンは淡々と説明する。
「王宮の兵がどこから来るのか。神殿のどこが手薄なのか。事件が起きたあと、王宮がどう動くのか」
「それを敵に?」
「奴らが欲しがる情報を、少しずつ渡している」
ジュリアンは笑った。
「ただし、ほとんど嘘だ」
敵に渡した情報をもとに、敵は配置を決める。
だからこそ。
こちらは、敵がどこに人員を置くのかを予測できる。
「奴らは俺を利用しているつもりだ」
ジュリアンは資料を指で叩いた。
「でも、実際には俺も奴らを利用している」
「……かなり深く潜り込めているんですね」
「ああ」
その分、危険も大きい。
もし正体が露見すれば。
ジュリアンは敵のど真ん中にいる。
けれど、ここまで来た以上、もう後には引けない。
「問題は、事件当日に俺へ何をさせるつもりなのかだ」
◇ ◇ ◇
それから数日後。
再びセリーナと会った。
「ジュリアン」
「ん?」
「あなたにお願いしたいことがあるの」
「何?」
セリーナは少し声を落とした。
「当日、私たちと一緒に中央神殿へ来てほしい」
「中央神殿?」
「ええ」
「何をするんだ?」
「それは、当日になれば分かるわ」
セリーナは、ジュリアンの金色の瞳を見つめた。
「あなたには、特別な役目があるもの」
「俺に?」
「ええ」
セリーナは微笑んだ。
「礼拝が始まったら、神殿の前に立っていてほしいの」
「……それだけ?」
「それだけでいいわ」
「俺がそこに立つだけで?」
「あなたが、王家の金眼を持つ王弟が、私たちの側に立つ」
セリーナは、ゆっくりと言った。
「それを人々に見せるの」
ジュリアンは黙っていた。
「きっと、みんな思うでしょうね」
セリーナの声が楽しそうに弾む。
「王家の中にも、私たちを選ぶ者がいるんだって」
「……なるほど」
「あなたは何も話さなくていい」
「分かった」
ジュリアンは笑った。
「当日は、君の言う通りにするよ」
「ありがとう」
セリーナは嬉しそうに笑う。
「これが終われば――」
そして、意味ありげにジュリアンを見る。
「約束、忘れてないわよね?」
「もちろん」
ジュリアンも笑った。
「これが終わったら、君をもらう」
「ええ」
セリーナは満足そうに微笑んだ。
「楽しみにしていて」
「ああ。楽しみにしてる」
ジュリアンは、嬉しそうに答えた。
その言葉に、嘘はなかった。
少なくとも、セリーナにそう思わせることを楽しんでいるという意味では。
ここまで来れば、もう少しだ。
彼女は完全に、自分を信用している。
だからこそ、ここで余計なことはしない。
焦らない。
最後まで、セリーナが信じる「女に夢中になった王弟」を演じる。
事件が終わる、その瞬間まで。
◇ ◇ ◇
その夜。
ジュリアンは王宮へ戻ると、国王の執務室へ向かった。
「兄上」
部屋の隅には、宰相――エレノアの父の姿もあった。
「話は聞いている」
国王は、机の上の資料に目を落としたまま言った。
「中央神殿で、お前を象徴として使うつもりだそうだな」
「はい」
「危険なことに変わりはない」
「だからこそ、使えます」
ジュリアンは静かに答えた。
「敵が俺を信用している間に、こちらは包囲を終わらせます」
国王は、しばらく黙っていた。
「……お前が敵に利用されているように見せて、実際はこちらが利用しているわけか」
「そういうことです」
ジュリアンは笑った。
そして。
ふと、エレノアの顔が浮かんだ。
卒業。
結婚。
もう、そう遠くない。
「……これで終わらせます」
「ジュリアン」
「はい」
「無茶はするな」
「分かっています」
ジュリアンは少しだけ笑い、宰相の方を向いて言った。
「ちゃんと帰って、エレノアと結婚しないといけないので」
部屋の隅で、宰相が小さく相好を崩したのが見えた。
国王は呆れたように息を吐いた。
「……それは本人に言ってやれ」
「それは、まだ無理ですね」
ジュリアンは苦笑した。
まだ、エレノアには何も話せない。
だからこそ。
全部終わったら。
何も隠さずに、彼女の前に立つ。
それまで――。
「もう少しだけです」
ジュリアンは資料をまとめた。
敵には、自分が利用されていると思わせる。
セリーナには、自分が彼女に夢中だと思わせる。
そして。
事件当日。
敵が自分に与えた役目を、最後の瞬間に裏切る。
それが、ジュリアンの最後の仕事だった。




