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14話 未来のために

それから、しばらくの間。


 ジュリアンは以前にも増して忙しくなった。


 侯爵家を訪れること自体はあった。


 けれど、以前のように長く滞在することは少ない。


「今日は少ししかいられない」


「そうですか」


「寂しい?」


「別に」


「即答だなあ」


「……」


 そんなやり取りをしながらも、エレノアは以前とは違っていた。


 ジュリアンが来る。


 それだけで、嬉しい。


 短い時間でも、顔を見ることができれば安心する。


 そして、帰ってしまうと少し寂しい。


 もう、自分の気持ちを誤魔化すことはできなかった。


 けれど――。


 本人に伝える勇気は、まだない。


 ジュリアンも、あの日から何かを問いかけてくることはなかった。


 あれほど気になっていたはずなのに。


 どうしてなのだろう。


 エレノアは時々、不思議に思った。


 以前なら、もっとからかってきたはずなのに。


「……ジュリアン」


「ん?」


「最近、私に何も聞かなくなりましたね」


「何を?」


「……いえ」


 ジュリアンは少しだけ笑った。


「聞かない方がいいかなって思って」


「どうして?」


「お前が自分で話したくなったときに聞けばいいかなって」


「……」


 エレノアは黙った。


 以前なら、そんなことを言われたら腹が立っていたかもしれない。


 けれど今は。


 少しだけ、嬉しかった。


 急かされないことが。


 待ってくれていることが。


「……ありがとうございます」


「何が?」


「何でもありません」


「またそれ?」


 ジュリアンが笑う。


 エレノアも、ほんの少しだけ笑った。


 そんな穏やかな時間が、少しずつ増えていった。


 けれど、その一方で。


 ジュリアンの任務は、確実に動いていた。


 敵組織の内部に入り込むため、ジュリアンはこれまで何度もセリーナと接触してきた。


 彼女との会話の中から、少しずつ情報を引き出す。


 誰が組織に関わっているのか。


 どの貴族が新たに接触してきたのか。


 どこから物資が運び込まれているのか。


 そして、次に何が起こるのか。


 聞き出した情報は、そのまま信じるわけにはいかない。


 セリーナが意図的に嘘を混ぜている可能性もある。


 だからジュリアンは、彼女から得た情報を騎士団が独自に掴んだ情報と照らし合わせていた。


 夜。


 王宮の一室で、ジュリアンは一人、机に向かっていた。


 机の上には、騎士団が集めた報告書と、自分がセリーナから聞き出した情報をまとめた記録が並んでいる。


「……ここも一致する」


 セリーナから聞いた話と、騎士団が別ルートで掴んだ情報。


 いくつもの点が、少しずつ重なっていく。


 新たに集まっている貴族。


 神殿周辺で確認された不審な動き。


 大量に運び込まれている物資。


 そして、武器の流れ。


 これまで断片的にしか見えていなかったものが、ようやく一つの線になり始めていた。


「……ようやく尻尾が見えてきたな」


 セリーナとの接触を続けてきたからこそ、ここまで辿り着けた。


 もし普通に外から捜査しているだけなら、これほど早く組織の内部まで情報を得ることはできなかっただろう。


 だからこそ、ジュリアン自身がこの役目を引き受けた。


 敵の懐に入り込み、信用される。


 セリーナには、自分が彼女に惹かれていると思わせる。


 彼女の警戒を解き、会話の中から必要な情報を拾う。


 そして、得た情報を騎士団へ持ち帰る。


 それが、ジュリアンの役目だった。


 危険な仕事だ。


 いつ正体が露見してもおかしくない。


 それでも、ここまで来た。


 もう少し。


 あと少しだ。


 そう思ったところで。


 ふと、エレノアの顔が浮かんだ。


 誕生日の日、会いに行けなかった。


 その翌週に見た、あの寂しそうな顔。


 そして、自分の首元に気づいたときの表情。


「……」


 ジュリアンは小さく息を吐いた。


 あれ以来、エレノアは何も言わない。


 自分を責めることもない。


 仕事のことを聞いてくることもない。


 ただ、以前より少しだけ素直になった。


 自分が来れば、嬉しそうにする。


 帰ろうとすれば、ほんの少し寂しそうな顔をする。


 それだけで十分だった。


 いや。


 十分だと思いたかった。


「……早く終わらせないとな」


 ジュリアンは資料へ視線を戻す。


 もう、エレノアに余計な心配をさせたくない。


 そして。


 今度こそ、何も隠さずに会いに行きたい。


 そう思いながら、ジュリアンは再び報告書をまとめた。


 ◇ ◇ ◇


 エレノアは友人のクラリスと中庭を歩いていた。


「そういえば、最近どうなの?」


「何が?」


「ジュリアン殿下」


「……」


 エレノアの足が、ほんの少し止まる。


「どうって……普通よ」


「ふうん?」


 クラリスが意味ありげに笑う。


「最近、殿下の話をするときの顔が、前と違う気がするけど」


「そんなことないわ」


「そう?」


「ええ」


 エレノアは即答した。


 けれど。


 その直後、首元のネックレスに無意識に触れてしまう。


 クラリスの視線がそこへ向いた。


「それ、綺麗ね」


「誕生日にもらったの」


「殿下から?」


「……うん」


 エレノアは少しだけ頬を緩めた。


 その表情を見て、クラリスが目を細める。


「なるほど」


「何よ」


「別に?」


 エレノアは少し困ったように笑った。


 けれど、その胸の奥には、以前にはなかった感情があった。


 ジュリアンに会いたい。


 もっと一緒にいたい。


 そして、いつか自分の気持ちを、ちゃんと伝えたい。


 まだ、その日は遠い。


 けれど、いつかきっと。


 そう思いながら、エレノアは水色の石をそっと指先で撫でた。


◇ ◇ ◇


それから、また少し時間が過ぎた。


 季節が変わり、卒業の日が近づいていた。


 ある週末。


 いつものように侯爵家を訪れたジュリアンと、エレノアは庭を歩いていた。


「そういえば、もうすぐ卒業だね」


「ええ」


「早いな」


「ジュリアンと婚約してからも、ずいぶん経ちましたものね」


「……そうだな」


 ジュリアンが少しだけ笑う。


「卒業したら、結婚か」


「そうなりますね」


「なんか、実感ないな」


「私もです」


 エレノアはそう答えた。


 幼い頃から決まっていた婚約。


 だからこそ、結婚もずっと先のことだと思っていた。


 けれど今はもう、その日が手の届くところまで来ている。


「式の準備とかも、そろそろ始めなきゃな」


「ええ。お父様達が少しずつ進めているみたいです」


「卒業してからじゃ遅いからね」


「そうですね」


「ドレス決める日は教えといてね」


「なんでですか?」


「俺も一緒に選びたいから。」


「……」


「まあエレノアなら、何を着ても似合いそうだけど」


「……またそういうことを」


「本当のことだろ?」


「知りません」


 エレノアは顔を逸らした。


 けれど、耳が少しだけ赤くなっている。


 ジュリアンはそれを見て、笑った。


「楽しみだな」


「……何がです?」


「結婚式」


「……」


 エレノアは黙った。


 胸が、少しだけ騒がしくなる。


「私も……」


 小さな声だった。


「ん?」


「……私も、楽しみです」


 ジュリアンが目を見開く。


 エレノアは恥ずかしそうに視線を落とした。


「……何です?」


「いや」


 ジュリアンは嬉しそうに笑った。


「珍しく素直だなと思って」


「……言わなければよかった」


「もう遅いよ」


「忘れてください」


「無理」


「ジュリアン!」


「ははっ」


 いつものようなやり取り。


 けれど。


 二人の間に流れる空気は、以前とは少し違っていた。


 結婚は、もう遠い未来の話ではない。


 卒業すれば。


 そう遠くないうちに、自分たちは夫婦になる。


 そう思うと、エレノアは不思議な気持ちになった。


 そしてジュリアンもまた、同じことを考えていた。


 だからこそ。


 胸の奥には、一つの焦りがあった。


 ――それまでに、終わらせなければならない。


 今の任務を。


 エレノアとの未来を、何の憂いもなく迎えるために。


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