第四話「残香」
光の柱が立つ。
空を飛ぶ白い鳥に呼応するように。
竹林が音を立て、迎合して大きく口を開いた。
頭上。宵闇。
満ちた月が、光り輝いていた。
腰を上げる。時親が、咲夜を抱いたまま立ち上がった。
震える足を、一歩踏み出そうとして。
もう一度、体を抱く腕に力がこもる。息が詰まった。
こんな風に、痕がつくほどに抱きしめられたのは、初めてだった。
やがて、腕が離れる。
背中の温もりが消える。
その爽やかな香りだけをよすがに、咲夜は足を踏み出した。
光の柱に向かって、一歩。
二歩目を踏み出して、めまいがした。
胸がつぶれて、呼吸ができない。
言葉は声にならない。正解の言葉がわからない。
流されて、三歩目を踏み出した。
「咲夜」
声がかかった。
静かな声だった。彼の瞳のように、咲夜の心を落ち着かせる。
「私はこれから、新たな妻を迎える。次代の血を残すために」
咲夜はぐっと奥歯を嚙みしめた。
ああ、最後まで。
なんて残酷で、やさしい人だろう。
「だが、未来……やるべきことを終えて、命が尽きたとき。私が思い出すのは、そなただ」
咲夜の勇気のなさを、笑うでも嘆くでもなく。
「そなた、だけだよ」
ただ優しく背中を押された。
四歩目で、体が浮きあがった。
――ああ!
大きく息を吐きだした。
よぎる思い出に、心が引き裂かれる。
自分はなんて、ばかだったのだろう。
広がる光の中、振り向いた。
温かなその人に、駆け寄ろうとした。
正解の言葉なんてどうでもよかった。ただ伝えたくて、叫んだ。
「私はきっと、あなたの何倍も長い時を生きる。だから、もしあなたのその言葉が本当なら……全部終わったら、私を迎えにきて。ぜったい。約束よ!」
眩しい光が視界を焼く。
咲夜を飲み込んで、白く染め上げていく。
時親の姿が霞んでいく。
声を張り上げた。
「愛しているわ。あなたを、誰よりも――」
顔は、見えなかった。
視界だけではなく聴覚も消えて、言葉が届いているのかどうかもわからなかった。
でも、確かに笑った気がした。
咲夜の愛する、春の木漏れ日のような笑み。
それで十分だった。
光の架け橋が立った。
***
早朝。
爽やかな風が吹いている。
中庭にある、湖の香りを運んでくる。
王宮の廊下を、少女が元気よく駆けていた。
突きあたりの廊下を左に折れたところで、一度足を止める。壁に隠れて、後ろの気配をうかがった。
「よし」
誰もいないことを確認して、少女はまた走り出す。
後で近衛に叱られることはわかってたが、少女は足を止められなかった。
古き女王の部屋へと、一直線に向かう。
部屋の前で、元女王の護衛官と顔を合わせた。
「おばあさまは?」
「まだお休みでいらっしゃいます」
女王を降りた後「しばらくゆっくりするわ」と笑っていたから、早速、余暇を楽しんでいるのかもしれない。
時間を改めるべきか。
廊下の奥から、少女の名を呼ぶ声が聞こえた。
間違いない。あの融通の利かない近衛の声だ。
悩んだのは一瞬で、少女は目の前の扉を開いて中に入った。
陽の光が入っている。カーテンは下ろされていなかった。
奥の寝台で、祖母が眠っているのが見える。
「お寝坊なおばあさま、もう朝ですよー」
少女は名前を呼びながら、窓を大きく開けた。
少し甘さが残る香りが入ってくる。
「王太女の儀式は十一時からでしょう? ぎりぎりまで昨日の続きを聞きたいと思って」
隣の窓を続けて開ける。
元女王は返事をしなかった。
少女はいぶかしんで、寝台に近づいていった。
「おばあさま?」
強い風が吹き込んだ。少女の金の髪をさらっていく。
壁に飾ってある古風な長槍。白い羽飾りがついた房がちぎれて、ふわりと舞った。
いけない、と少女は慌てて、窓を閉めた。
「ごめんなさい、おばあさま。風が……」
少女は息を止めた。
ゆっくりと、寝台へ近づく。
ちぎれた房が、眠る元女王のそばに落ちている。
寝台に沈む祖母の手を、震える小さな手が包み込んだ。
「おばあ、さま……」
ふわりと、香りが立ち上る。
爽やかで、どこか甘い気配がした。




