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月下恋歌  作者: 梨千子
第五章「君の、香り」
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第四話「残香」

 光の柱が立つ。

 空を飛ぶ白い鳥に呼応するように。


 竹林が音を立て、迎合して大きく口を開いた。

 頭上。宵闇。

 満ちた月が、光り輝いていた。


 腰を上げる。時親が、咲夜を抱いたまま立ち上がった。

 

 震える足を、一歩踏み出そうとして。

 もう一度、体を抱く腕に力がこもる。息が詰まった。

 こんな風に、痕がつくほどに抱きしめられたのは、初めてだった。


 やがて、腕が離れる。

 背中の温もりが消える。

 

 その爽やかな香りだけをよすがに、咲夜は足を踏み出した。

 光の柱に向かって、一歩。


 二歩目を踏み出して、めまいがした。


 胸がつぶれて、呼吸ができない。

 言葉は声にならない。正解の言葉がわからない。


 流されて、三歩目を踏み出した。


「咲夜」


 声がかかった。

 静かな声だった。彼の瞳のように、咲夜の心を落ち着かせる。


「私はこれから、新たな妻を迎える。次代の血を残すために」


 咲夜はぐっと奥歯を嚙みしめた。

 ああ、最後まで。

 なんて残酷で、やさしい人だろう。


「だが、未来……やるべきことを終えて、命が尽きたとき。私が思い出すのは、そなただ」


 咲夜の勇気のなさを、笑うでも嘆くでもなく。


「そなた、だけだよ」

 

 ただ優しく背中を押された。

 四歩目で、体が浮きあがった。


 ――ああ!


 大きく息を吐きだした。


 よぎる思い出に、心が引き裂かれる。

 自分はなんて、ばかだったのだろう。


 広がる光の中、振り向いた。

 温かなその人に、駆け寄ろうとした。

 正解の言葉なんてどうでもよかった。ただ伝えたくて、叫んだ。


「私はきっと、あなたの何倍も長い時を生きる。だから、もしあなたのその言葉が本当なら……全部終わったら、私を迎えにきて。ぜったい。約束よ!」


 眩しい光が視界を焼く。

 咲夜を飲み込んで、白く染め上げていく。


 時親の姿が霞んでいく。

 声を張り上げた。


「愛しているわ。あなたを、誰よりも――」


 顔は、見えなかった。

 視界だけではなく聴覚も消えて、言葉が届いているのかどうかもわからなかった。

 

 でも、確かに笑った気がした。

 咲夜の愛する、春の木漏れ日のような笑み。

 それで十分だった。


 光の架け橋が立った。


 

 ***


 

 早朝。

 爽やかな風が吹いている。

 中庭にある、湖の香りを運んでくる。


 王宮の廊下を、少女が元気よく駆けていた。

 突きあたりの廊下を左に折れたところで、一度足を止める。壁に隠れて、後ろの気配をうかがった。


「よし」


 誰もいないことを確認して、少女はまた走り出す。

 後で近衛に叱られることはわかってたが、少女は足を止められなかった。

 古き女王の部屋へと、一直線に向かう。


 部屋の前で、元女王の護衛官と顔を合わせた。


「おばあさまは?」

「まだお休みでいらっしゃいます」


 女王を降りた後「しばらくゆっくりするわ」と笑っていたから、早速、余暇を楽しんでいるのかもしれない。

 時間を改めるべきか。


 廊下の奥から、少女の名を呼ぶ声が聞こえた。

 間違いない。あの融通の利かない近衛の声だ。

 悩んだのは一瞬で、少女は目の前の扉を開いて中に入った。


 陽の光が入っている。カーテンは下ろされていなかった。

 奥の寝台で、祖母が眠っているのが見える。


「お寝坊なおばあさま、もう朝ですよー」


 少女は名前を呼びながら、窓を大きく開けた。

 少し甘さが残る香りが入ってくる。


「王太女の儀式は十一時からでしょう? ぎりぎりまで昨日の続きを聞きたいと思って」


 隣の窓を続けて開ける。


 元女王は返事をしなかった。

 少女はいぶかしんで、寝台に近づいていった。


「おばあさま?」


 強い風が吹き込んだ。少女の金の髪をさらっていく。

 壁に飾ってある古風な長槍。白い羽飾りがついた房がちぎれて、ふわりと舞った。


 いけない、と少女は慌てて、窓を閉めた。


「ごめんなさい、おばあさま。風が……」


 少女は息を止めた。

 ゆっくりと、寝台へ近づく。

 

 ちぎれた房が、眠る元女王のそばに落ちている。

 寝台に沈む祖母の手を、震える小さな手が包み込んだ。


「おばあ、さま……」


 ふわりと、香りが立ち上る。

 爽やかで、どこか甘い気配がした。

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