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月下恋歌  作者: 梨千子
第四章「南風、吹く」
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第一話「掌握」

 如月の陽は高く、空は澄み渡っている。

 大路には、昨夜の雨による水たまりが、鈍く光っていた。


 その水面を、人の足が、踏み乱す。

 ざわ、ざわりと。


「解放せよ――!」


 声が上がる。

 ひとつ、ふたつ。次第に増えていく。


「時親様を解放せよ!」

「返せ!」


 叫びは波となり、大路を満たしていく。


 検非違使庁の前には、すでに人の壁ができていた。

 農民、町人、女、老人――身なりも身分もばらばらな者たちが、押し合うようにして詰めかけている。


 その目は、異様なほどに熱を帯びていた。


「天女様が仰せになったのだ!」


 誰かが叫ぶ。


「天女様の夫君が、無実の罪で捕らえられていると!」


 どよめきが広がる。


 その言葉は、もはや確かめようのないものだった。

 誰が言い出したのかも、どこで広まったのかも、誰も知らない。

 真実はどうでもよいとばかりに、民衆は集まってうねりを作り始める。


 日頃の鬱憤を晴らすがごとく、顔を真っ赤にして叫んでいる男。

 群衆に押されて、途中で転ぶ子供。その子供を救おうとする母親。

 面白いことが始まりそうだと、好奇心でその波に乗る若者。

 様々な人間が集まりだし、叫ぶ。


「返せ!」

「時親様を返せ!」


 拳が振り上げられ、水たまりが跳ねる。

 泥が飛び、裾を汚すことなど、誰も気にしてはいない。


「ええい、貴様ら、ここは検非違使庁だぞ!」

「立ち去れ! ひっ捕らえられたいか!」


 押し寄せる人波に、検非違使たちが声を張り上げているが、騒ぎは収まりそうにない。

 むしろ、彼らが邪険に扱えば扱うほど、民衆の表情が険しくなっていく。


「検非違使がなんだってんだ! こっちには天女様がいるんだぞ!」

「まともに仕事してねえくせに! 裏通りに溢れてる浮浪者のこと、知らねえとは言わせねぇぞ!」

「どうせまたご貴族様の都合だろうが!」

「あたしたちの時は見向きもしないくせに!」


 噴き出した群衆の不満を浴びて、建物の前に立つ検非違使たちがひるむ。


「き、貴様ら! それ以上寄るんじゃない! 斬られたいのか!」


 恐怖からか、検非違使の一人が刀を抜き放った。

 ぬらりと光る鈍色のきらめきに、破裂しそうだった場の空気がついに動く。


 悲鳴が上がる。殺される、と誰かが言った。ついに本性出しやがったな!と誰かが叫んだ。

 誰かが石を拾った。次の瞬間には、投げ入れられていた。

 誰が放ったか定かではない石が、次々に数を増やして検非違使を襲った。

 

 検非違使庁の建物を囲む柵が、蹴り壊される。

 検非違使は混乱して、がむしゃらに叫びながら刀を振り回した。

 騒ぎを聞きつけた検非違使が庁内から飛び出してきたが、刀を振り回している男は味方すらわからない様子で、誰も近づけない。


 どちゃりと、幼子が民衆からはじき出されて、検非違使庁の前の泥水の中に倒れこんだ。

 刀を振り回す男のすぐそば。子供が泣き出した。男は興奮した目で子供に目をやった。顎から流れる汗が一滴落ちる。刀の切っ先が高く上がった。


 そのときだった。

 

「やめなさい」


 高く透き通る声が、場を割った。


 群衆を割るように進む。着物をかぶった少女だ。

 決して上等とは言えない着物を、前に進みながら落とす。


 現れた金の彩りに、肩をぶつけそうだった男が慌てて後ずさる。

 燃え上がる夜空の瞳を見て、石を握りしめていた若者が静止する。

 その白い肌を見て、年かさの女の汚い叫びが消える。

 少女の持つ雰囲気に、検非違使の刀が止まった。


 咲夜は、泥だらけになって座り込む子供を見て、息をついた。


「こんなつもりなかったのに……」


 最悪だ。


 刀を振り上げたままの男を無視して、咲夜は幼子の前にしゃがみこんだ。


「大丈夫? けがはない?」


 大粒の涙が溜まっている子供は、しかし目を見開いて、咲夜の顔を見上げる。

 ぽろりと涙がこぼしながら、子供はその手を、咲夜に伸ばした。


「おねえちゃん、きれい」

 

 泥だらけの手が、無遠慮に咲夜の頬をぺたりと触る。

 はっと誰かが息を呑む音が聞こえた。

 

 頬を濡らす冷たい感触。そのあとに、子供特有の高い体温と、やわらかさ。

 ぺたぺたと何度も触っていくそれに、咲夜はぐっと一瞬、眉を下げた。

 それから、ふっと笑う。


「そうでしょう。お姉ちゃん綺麗でしょう!」

「うん! きらきらしてる!」

「素直でよろしい」


 泥だらけの子供を抱き上げる。頬だけでなく、着物や髪も汚れたが、構わなかった。


「お母さんは?」

「ん!」


 子供が指をさした先に、真っ青になって震えている女性を見つける。

 咲夜は彼女に近づいて、幼子をその腕に抱かせた。


「あ、あの……ど、泥が……」


 おずおずと女性が言い出したが、咲夜は笑い飛ばす。


「大丈夫よ。だってもう、泥だらけだもん」


 どこもかしこも――地上に落ちてからは。


 そして、咲夜は検非違使たちに向き直った。

 刀を振り回していた男は、その切っ先をすでに下げていた。呆然と、青白い顔を足元に落としている。


 咲夜は呼びかけた。


「ここに、時親はいる?」


 男の顔を見て。それから後ろに控える検非違使たちの顔。順番に目をやった。


「返してもらいにきたの。そこにいるなら、通して」


 声はよく通った。

 頬から泥水が落ちて、胸元の着物を汚す。染みがさらに広がる。


 検非違使たちは、互いに視線を交わしあった。

 やがて、おずおずと一人が進み出る。


「……ここには、おられません。上に呼び出されて、移送されました」

「そう。どこに行ったか知ってる?」


 ちらと、検非違使が視線で指示した先。


 宮中。

 

 咲夜は息をついた。

 まだ、生きている。


「ありがとう」


 検非違使に礼を言うと、咲夜は踵を返した。

 するとなぜか、検非違使が慌て始めた。


「ま、待たれよ! まさか宮中に向かわれるおつもりですか」

「問題ある?」

「問題――」


 振り返った咲夜の目を見て、検非違使が黙る。

 咲夜は背を向けた。


「か、かの御仁は……その……あなた様が天に帰った、と……」


 検非違使が、大きく息を吸う音が聞こえた。


「あの方は潔く、我らのもとに下られました。あなた様を、守ろうとしていらっしゃった」

「だから?」

「……」


 はねつけると、検非違使はそれ以上、何も言わなかった。

 

 なんだ。死の間際だっていうのに、あの男ときたら。


 ――そなたはやはり、人たらしの才能があるようだな。

 

 河原でそう言われたけれど。

 人たらしは、どちらだ。

 

 咲夜が進むたび、群衆が割れていく。

 歩く咲夜の後を、彼らは静かについていった。


 横道から、すいと重孝が入ってくる。

 咲夜の半歩後ろを歩きながら、彼は手ぬぐいを差し出した。


「……肝が冷えました」


 咲夜は簡単に頬をぬぐう。


「いざってときは神力があるから大丈夫って言ったじゃない」

「あなたに何かあったら、御屋形様になんとお詫びすればよいか」

「ちゃんと情報は取れたでしょ」

「次は、絶対に無茶をなさいますな。私を置いていくのはなしです」

「来なかったのは重孝でしょ」

「……私の体に金縛りをかけたのは誰です」

 

 重孝は憮然としている。

 咲夜はぷいと顔をそむけた。


「民があんなふうになるなんて、思わなかったのよ」


 止めなければ、きっとあの子は……。

 咲夜はぎゅっと手ぬぐいを握りしめた。


 ――おねえちゃん、きれい!


 無邪気に手を伸ばしてきた子供の体温は温かかった。

 血が流れていたときのことを想像すると、身震いがする。

 

 ――咲夜。夜に咲き誇り輝く花という意味だ。

 ――美しいそなたにふさわしい名だろう。


 ふ、と唇に笑みが浮かぶ。

 わずかに、その端が歪んだ。

 ……本当になんなのだろう。

 

 咲夜は顔を上げると、先を急いだ。

 重孝が無言で後に続く。


 宮中に繋がる門は、すぐそこだ。

 白い鳥が、空を横切った。

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