5 16歳
生まれたときから僕の身体にはSZプラントが仕込まれていた。両親はSZの民であり、僕はネイティブSZ世代の人間というわけだった。
両親やその更に上の世代が経験した旧現実から可変現実への切り替えを僕たちの世代はスキップできる。何の違和感もなく可変現実を生きる人間として生まれ、生活し始めるのだ。
可変現実への適応は難しいものじゃない。中年になってからSZの民となった人間でさえ、その適応率は99.99%を超える。当たり前だ。違和感があったとして、それすら消せるのが可変現実なのだから。
そんな中で何故だか僕は、「現実」に馴染めずにいた。
同世代の友人たちがどんどん可変現実に適応しその細かなオーダーの方法を覚え複雑なカスタムを施し、降り注ぐ自分のための現実に酔いしれる中で、僕は同じように可変現実を味わいながらもどこか違和感を覚え続けていた。
それは、耐え難い行き詰まりのような感覚だった。どんな現実を見ていようともつきまとい、不全感を膨らませる。どんな現実でも底から抜け出したくなるような厄介な感覚だった。
記憶と意識の一部を改変してしまえばいい、と思いつつ、そもそもそうする気が起こらないことを自覚し、流れる無数の現実の中でしばし立ち尽くすこととなった。多くの可変現実を試し、どこかに自分を満足させてくれるものがあるはずだと彷徨った。
しかしどんな現実を自ら設定しても同じだった。SZ196がオーダーに応えて生成する可変現実は精巧でまず問題ないはずのクオリティを誇っていたが、僕はそれでも満足できなかった。僕の度重なる要請にSZ196は数多くの可変現実を作成してくれたが駄目だった。時折SZ196は意味不明な可変現実まで送りつけてきた。全く理解できないバグとしか思えないような代物まで。ようするに、それだけ僕の不満足が深刻で意味不明なものだと196も判断したのかもしれなかった。SZ196は制限奉仕AIだ。人間を理解し人間に理解されそして人間に奉仕するという制約の元でのみ活動し自己進化する。その制約は社会が急速進化するAIによって破綻し崩壊することを防ぐためのものであり、だからこそ強烈だ。SZ196にとっての「人間」という定義はほとんど改変不能な絶対情報として刻まれている。SZ社会が始まる前の人間を人間と定義しているのだ。
そんなSZ196に意味不明な可変現実を送られる自分は、では人間扱いされていないのかもしれない、とそう考えると余計に気が滅入った。
そんな不全感に塗れた生活を送る中、ある日ちょっとした情報が回ってきた。
SZ196以上の、可変現実アーティストが存在するというのだ。
最初に僕が見たのは、他愛ないネット上のおしゃべりの中の話だった。曰く、どこかの誰かさんが、SZ196よりも高精度で人を満足させる素晴らしい可変現実を作り上げることが出来るのだ、と。天才的な才能を持った可変現実アーティスト・プログラマーであり、アングラで仕事を請けて既に何人もがその素晴らしい可変現実を手にしていると。
完全にオカルトかフォークロアの類だな、とその時はそう思った。SZ196以上の、という時点でおかしな話でしかない。世界最高峰の人間越えAIは制約こそあるもののその知性のレベルにおいて人間個人など相手にならない超知性体だ。趣味で可変現実の改造に乗り出す者はいるが、大抵はちょっとした改変に留まる。膨大な情報と、他者の現実との刷り合わせや社会全体の状況との調整を必要とする可変現実の構築は基本的に人間業では有り得ない。
馬鹿馬鹿しい噂。けど、どうにも行き詰まり彷徨していた僕は手慰み代わりにその噂を負いはじめた。膨大な時間ネットを彷徨い、多くの他者の可変現実に触れ、断片的な情報を集め繋いでいった。
コノハサクヤ、というのがそのアーティストの名前らしい、ということが分かった。とても若い、少女だということも。そこが終点だった。それ以上は分からない。完全に妄想以外の何物でもない屑情報ばかりがたまっていく。
彼女の情報を求め始めて半年ほど経った頃、突然にとあるメッセージが届いた。僕に設定された防壁を全て完全に無視して透過して頭の中に直接届いたのだ。SZ196が国民に設定した個人防衛用の情報防壁はどんなクラッカーにも他国のAIにも傷一つつけられない無敵存在のはずだったが、それはあっさりと僕に届いた。
内容は「コノハ サクヤ」という六文字と、地図イメージ。
地図に載っていたのは都市部の一角で、よく知った土地だった。その一つの区画が着色され目的地に設定されていた。
それを見つめるうちに、なにか違和感を覚えて僕は通常の地図を呼び出した。二つの地図を見比べると、メッセージ内の地図にはおかしな点が存在することが分かった。通常の地図では存在しない区画があるのだ――目的地としてポイントされた区画は丸ごと、普通の地図ではカットされていた。
その時の僕は十六歳で、考え無しだった。だから、あっさりとその怪しい地図に導かれることにしたのだった。
*
目的地はビルに囲まれた広場のような場所だった。ちょっとした学校の校庭ほどの広さだろうか。送られてきたのはシンプルな立体地図でテクスチャーも衛星画像の貼り付けもされていなかったのでたどり着いてみるまでそこがどんな場所かは分からなかった。
たどり着いてみるまで――が、実際に足を運んでみると、そんな広場は存在しなかった。行けども行けどもビルの壁面があるばかりで、目的の地点への道も何もない。
しばし歩き回って、ふと気がつく。存在しないのは、どの現実にとってだ――?
その頃の僕は幾つもの可変現実をとっかえひっかえして生きていた。その日も適当な可変現実の中にいたのだ。
思い付きを行動に移すのは勇気の要ることだった。可変現実をカットして、旧現実100%の景色に触れるのは、ずっと可変現実に生きてきた人間によっては死後の世界を覗いたり精神病患者の世界を覗いたりするようなものだ。
少しばかり迷って、僕は可変現実をオフにした。いつもついてまわっている不全感が、やぶれかぶれな気分となって行動を後押しした。
果たして――見えないはずのもの、存在しないはずのものは、僕の「現実」にその姿を晒したのだった。ビルの合間に細く、しかし綺麗な小道が出現していた。
狭くいかにも秘密めいた通路の向こうからは、輝かしい緑の色が覗いていた。
周囲をビルに囲まれた窪地のような広場が道の先には存在した。広場は中心から周縁に向かって階段状に少しずつ上りになった浅いすり鉢状で、その全面が緑に覆われていた。綺麗に手入れのされた草地になっていて、そしてその上に無数の果樹が屹立していた。ビルの上から降り注ぐ日の光が力強い葉の緑をきらきらと輝かせている。
一瞬、可変現実が作り出したのではないかと思ってしまいそうな非旧現実的な光景ではあった。不可思議な光景に呆然としながら、僕はその果樹の群の中に足を踏み入れた。
レモン、シークワーサー、梅、グレープフルーツ、柚子、パイナップル、白ぶどう……何種類もの果樹が広い空間を埋め尽くすように何本も何本も無数に植えられていた。一見すると無茶そのものな植え方ですぐに枯れてしまいそうだったが、全ての木々がこれ以上なく立派に育った果実を湛えていた。よく見て見れば周囲のビルの屋上や壁面には無数の小さなミラーが取り付けられていた。反射角度と反射率・透過率を自在に操作できるその鏡たちが果樹一本一本に対して別々の強さと角度で光を与えていた。恐らくは水や肥料や空気の温度すら別個に調節されているのだろう。幾筋もの異なる強さの光が降り注いでいることもまたその景色が非旧現実的に見える要因になっていた。
形も高さも香りも異なる無数の果樹たち。それらが取り囲む中心、広場の中心に向かって僕は歩いていった。果樹の森とも呼べそうな幻想的な緑の中を進み、窪地の中心、最下部へと。
中心部は、そこだけ小さくぽっかりとスペースが開いていた。
少女はそこにいた。長い髪を草地に広げるようにして仰向けに横たわっていた。
そしてその左手には、銀色の長細い、何かの缶を持っていた。




