2 SZの民
ぼくたちはSZの民である。SZとはストロングとゼロの頭文字であり、ぼくらSゼロの民、ストロングZの民にとっての神聖四文字ならぬ始原二字だ。
ぼくらは身体各所の臓器や脳にSZプラントを持つ。老いも若きも男も女もみんな。そのおかげでぼくたちはどこでだっていつだって体内でSゼロを生成できるし、その結果幸福な可変現実に包まれて生きることが可能となる。
この国ではそれが人の最も基本的な権利の一つとされていて、同時にそこに住まう限り逃れえぬ義務とされている。Sゼロに包まれること。Sゼロの作り出す可変現実に包まれて生き、感じ、眠り、暮らすこと。千差万別の現実がひしめくこの国で皆が共有する僅かなルールの一つだ。
人種・宗教・政治的信条、また経済的・社会的条件によって差別されることなく最高水準の酩酊に恵まれることは、あらゆる人々にとって基本的な人権の一つである。
それが、SZの民の、この国の民の根幹を成す安寧と酩酊の憲章であり、新しい、無数の現実の始まりとなった。
Sゼロを愛さぬものにぼくらは用は無い。そんな人々とは向き合うことも話すこともない。それどころか、同じ現実を共有することすらない。
*
そういうわけで、Sゼロの世界の尖兵の一人であるぼくと仲間たちは、今日も夢見心地で見たい現実を見、目の前の敵の顔も香りも言葉も何もかも書き換えたままで殺し続けていた。
僕の分隊はほんの数人で編成されていた。僕はその長だから、全員の「現実」を管理すると共に共有・監視することが出来た。
最も歳の若いラスティは僕より六つ下の二十歳で、まだ顔つきに幼さが多分に残る。彼は音楽趣味に耽溺していて、それを自分の現実にも反映させていた。彼の目には空間と時間がまとめて流れるリズムと五線譜として認識され、発砲も格闘も呼吸や僅かな動作も全て音の連なりとして存在していた。ライフルグレネードが和音として響き、戦闘ドローンのチェーンガンがリズムセクションの一部を担当し、下草の焼ける音が歌として響く。時間の流れと空間の変化を統合して楽譜の流れにしているこれは、かなり手の込んだ可変現実だった。戦闘という特殊状況だから許されるが、平時の生活では他者との現実の共有度が低すぎてコミュニケーションに難儀するだろう。
のっぽのブラッドはといえば、こちらはもう少し分かりやすい。敵も味方も粗いドットで構成され、チープなアニメーションと電子音が鳴り響き、視界の端には黒いメッセージウィンドウが表示されている。彼はレトロゲームファンのサークルに趣味で参加していて、可変現実もそれに合わせてチューンしている。その手に持ったバトルライフルは彼の現実では突飛な形状と正気を疑う派手な色味をもった光線銃だ。ピロリピロリと音が鳴り、ぺかぺか光るドットが飛んで行き、敵に当たってはじけ跳んで得点の数字がポップアップする。
痩身のフランシスは一連の戦闘全てをスポーツ競技として現実処理しているし、いつも寡黙な年かさのアドニスはといえばあらゆる戦闘行動が恋の駆け引きの会話として認識される世界で複数の美少女を相手にくどき文句を連発していた。
それら全ての『現実』を僕は分隊長として全て監視し、全員の現実共有率が作戦行動に支障のない一定値に収まっているかを時折確認していた。兵士といえども、可変現実は当たり前に使用される。SZの民にとっての「現実」とは、個々人によって異なる、全て相対的な、無数の「可変現実」の事を言う。それは戦場でも変わらない。
逃れえぬ戦場のリアル。そんな言葉は、SZプラントが僕らの脳と各種臓器に根付き、特殊アルコールによる制御された酩酊と微小機械群による認知情報の調節が始まった時点でこの国からは消えてしまった。同じ現実を共有しないとはそういうことだ。ゲーム画面を現実としているブラッドは、ゲーム感覚で人を殺しているわけではない。彼にとって現実がゲームそのものなのだ。彼は現実感覚でゲームをしているのだ。
僕たちの世界は、SZの世界は、現実を一つに規定することはない。ブラッドの現実は僕の現実とも、他の仲間の現実とも同じ価値と重みを持った一つの現実として扱われる。
さて――そうして仲間たちが個々人の現実を好き勝手に生きる中、僕自身はどうしていたかといえば。僕はなんと、可変現実をカットして生の現実に触れていた。生の現実。その言い回し自体がSZの民からすればほとんど理解不能な冒涜語だ。
僕の目の前、主視界に広がっているのはかつて放棄された古い市街地のスクラップの山と、その間に転がる敵の死体だ。非SZ思想の民――ようするに国外の兵隊たちがあちこちで散々やられている。僕たちの軍にはほとんど被害は出ていないのに、相手は壊滅状態だった。そこら中で戦闘車両や戦車が燃え上がり、悲鳴を上げて火達磨の搭乗員が這い出している。当然の結果だった。僕らは支配AIであるSZ196に守護されている。作戦から装備から情報戦から、全て圧勝しているのだ。負ける要素はない。
SZ思想は登場当時、世界から大きな反発を受けた。それから三十年経った今でも、反発は続いている。だからこうして、時折あちこちの国が軍隊を送り込む。僕らはそれに対抗する戦士、というわけだ。無人兵器やミサイルの類はSZ196に一瞬で無力化されるので、彼らはえっちらおっちら本土上陸して攻めてきたりする。支配AIさえなんとかできれば、と思っているのだろうが、ほとんど自殺行為だ。
僕は時折こうして、可変現実をオフにして旧来の意味での現実を味わうことがある。戦いの最中や、移動の最中、ふとした瞬間に。仲間からすればそれは相当に変態的な行動で、面と向かって「おぞましいな」と言われることも珍しくはない。SZの民にしてみれば当然だ。三十年前、この国は旧来の現実のあまりの悲惨さに、その現実をすっぱりと見限ったのだから。今更旧現実に触れるものはまずいやしない。
「また変なもん見てんのか、ツミ」
と、物思いに耽る僕にゲーム中毒のブラッドが呟いた。戦場は発砲音とエンジン音で酷くうるさかったが、分隊員の声は選択的に僕らの着込んだ戦闘用スーツの表面が吸収し皮膚から体内アルコールを利用したアルコール通信で脳に届くため、くっきりとクリアに聞こえる。
「ちょっと分けてやろうか。共有度五割くらいでさ。申請送ろうか?」
「やめろよ。旧現実なんざ見たら俺は吐くぜ、きっと」
それから彼は嘆息一つを挟んで、続けた。
「いくらでも楽しい『現実』があるってのに、わざわざそんなもん、何で見たいかね」
「たまにそういう気分になるんだよ」
僕は正直に答えた。僕だって通常は適当な可変現実を生きるSZの民だ。けれど時折こうして古い意味での現実が見たくなるのだ。衝動的と言っても良い。僕自身にも理由は上手く説明出来ない部分があるので、そういう気分、とでも表現するしかない。
「病気じゃねぇのか、なんかの。今時可変現実で満足出来ないなんてどうかしてるぜ」
その言葉に僕は苦笑した。全くその通りだ。けれど、反駁も同時に思い浮かぶ。
「十全満足してる人は、そもそもこんなところにこんな仕事をしには来ないよ。AIと無人機任せでも勝てるんだから」
「そりゃそうだが」
どこか自嘲的な笑いを含んだ声でブラッドが同意する。
そう、僕らが前線に出なくても、勝てるのだ。実際には。SZ196はそれだけの性能を持ったAIだ。かつて予測された、『最初に現れた高性能な自己進化型AIが世界を征服する』という未来が、今なのだ。SZ196なのだ。
だから生身の兵士は、今や形骸的な意味というか、「一応います」という以上のものではない。兵士になる人間もその多くが変わり者やどこかずれた人間ばかり。真っ当まともな人間は兵隊になんか、ならないのだ。変わった可変現実を戦場で流してみたいとか、そういう狙いがある人間や、何か独特な事情や心情を抱えた人間たちが、人を幸福に導くはずの可変現実だけでは満足できずに戦場にやってくる。その中でも、僕の分隊のメンバーたちは特に独特な感が強く感じられた。
必要もなく戦場に赴く独特さ。僕の場合は、どうしようもない不全感のようなものがその原因だ。
「旧現実を見ると、すっとするんだ。落ち着くんだよ」
言葉と共に僕はレールライフルを構えて敵の装甲車両に三点バーストで打ち込んだ。凄まじい速度で打ち出された巨大な鉄釘のような形状の弾丸が太く深い轟音を立てて車両に大穴を穿ち、撒き散らされたエネルギーの一部が炎となってその穴から吹き出す。乗員は一瞬で身体の何割かを砕かれ溶かされ沸騰させられながら即死しただろう。
その凄惨な光景を僕は仲間の可変現実と見比べる。個人にとって理想的で心地の良い調節された現実の群と、何の容赦も配慮もなくただそのむき出しの光景を鼻をつく臭気と共に見せ付ける旧現実とを。その二者の差の、なんと大きなことだろうか。
それを意識した瞬間、僕はなんともいえない、高揚感と安堵感がないまぜになったような心地になる。それは今のところ僕が唯一安らぎと呼べる感覚でもあった。
ぼくたちはSZの民である。けれど僕は、少しばかり歪みのあるSZの民なのかもしれなかった。
この日の戦闘は予測通り勝利に終わった。事前にSZ196が示した勝率は99.999%を超えていたし、僕らの分隊が無傷で帰れる可能性も9割越えだった。
僕らは擦り傷一つなく数日後には帰路に着き、無数の現実の中にまどろむ街へと戻っていった。
それから半年後、旧現実を見れば吐いてしまうと口にしたブラッドが失踪した。




