12 あなたの望む次代の酩酊
サクは僕と出会うより前に、SZ196と出会った。彼女は微小機械群と特殊アルコール、ようするにSZシステムを通して、世界第一位の支配AIと同和した。Sゼロプラントと微小機械群を通して人とSゼロが一体となった存在であり、人でもAIでもない存在。拡張された人であり、収縮したシステムがそうして作り上げられた。
SZ196はサクの答えを求めていた。現状のSゼロでは満足できず十分な幸福に至れない人間がそれでもどうにかしようとあがき答えに至ることができれば、それは同時に現状のSゼロシステムの不十分さを乗り越える答えとなるからだ。
SZ196はさらに、サクの思考を研ぐことにした。彼女を同じような「酔えない人々」と接触させ、対話と刺激を与え、「どうすべきか」という答えへの道筋を見出させる糧とした。サクはSZ196と同和していたから、その力と権限の一部も自由に使うことが出来た。超常的なクラック能力、非公開情報の入手、Sゼロシステムの脆弱性の理解――
「可変現実創作は、その一環だった」
ゴーストは語る。
サクの可変現実アーティストとしての活動は彼女自身が答えを見出すための行動の一つだった。現実を考え、可変現実を考え、その本質に迫り、対応策を考え出すための。
そして、サクにとって有用だと考えられる同属、「酔えない人」が彼女に接触するように取り計らわれた。サクへの接触条件は、「よりよい現実を一定程度以上探し求め続けていること」。可変現実社会の中で懊悩し続け、現状以上の何かを求め続けた人間に、サクの元への招待状が届くのだ。
何年も前、あの日の僕の元に届いたサクの位置情報。あらゆる防壁を無視して送りつけられたあれは、SZ196からの招待状だったというわけだ。
「でもサクは人類の次のステージ、Sゼロの次のステージの答えに届かなかった。自分の道をツミに預けて、託して、アルコールの中に消えちゃった」
「僕を連れまわし、サクの話を聞きたがったのは何のためだ?」
「連れまわしたのは、ツミが知らないサクの要素をツミに知ってもらうため。サクのことを話してもらったのは、SZ196としての私が持たないサクの要素を引き出すため」
「だから、どうしてだ。そんなことをしてどうなる。そっちがサクの情報を、そのパーソナリティや経験や思想を完全なものにしたいというのは分かる。SZ196としてSゼロシステム進化のために、だろう。だがこっちにサクの全てを見せることにどんな意味が――」
口早に言いながら、僕は自分の問いかけに対し半ば自動的に僕自身の中で答えが形作られていくのを感じていた。もはや疑問は口先だけのものだった。サクの不在、自らの実在、SZ196の行為。その意味するところから逃れたい願望が発露しているだけだった。
僕の、僕自身に内在する答えを、目の前のゴーストもすでに見抜いているようだった。彼女は廃屋の壁と空き缶を背に僕と正面から向き合っている。
「ツミのかつてのお仲間の四人は、ツミと同じく皆候補だった。サクの後を継ぐ候補。四人はSZ196の采配で全員が一所に集められ、意識、行動、なにもかもが観察され解析され、SZ196の判断のための情報とされていた。無人機だけで片がつく戦場に人間が未だ駐留するその理由は単なる惰性や兵士たち自身の趣味嗜好、色々とあるけれど、こういう使い方もされてたってわけ」
「四人は、どうしたんだ」
「みんな、だめだった」
僅かな残念さだけが、返ってきた声には滲んでいた。
「みんなかつてサクと接触した『酔えない人々』だったけど、だれもその後を継ぐことはできなかった。今のツミと同じように道を辿り多くを知り、けれど何も見出せなかった。彼らは、自分が不適格だと考えて、サクの後を歩もうとはしなかった」
「彼らが失踪したのは――失踪『できた』のは、SZ196自身がそれを隠蔽し支援していたからか……」
「うん。軍を突如抜け、あらゆる監視と追跡を無視していくつかのポイントを巡り、サクの終局の事実に至る。その上で可能なら『Sゼロの擬人化存在』となる。そのためにね。今のツミもデータ上はいきなり消えたことになってるよ」
発作的に、僕は擦り切れた笑いを上げそうになっていた。
かつて共に戦っていた仲間たち。あの分隊員たちは皆、同属だったのだ。それも同じサクという少女と出会い、その導きと啓示を受けた、いわば同じ師を持つ同門の弟子のようなものだったのだ。そんなことを何も知らず同じ分隊で顔を合わせ「まあ今時戦場なんかに来る人間はどこかなにかを抱えているのだろうな」などと思いつつ行動を共にしていた僕は、全て知っていたSZ196からすればなんともお間抜けだっただろう。何かを抱えているどころではない。皆同じ不全感を抱えていた。
「ツミは、どうかな? サクの答えを、継ぐことができる? Sゼロシステムの欠陥を前に、人とSゼロを進歩させる答えをSZ196とSZ社会に、フィードバックすることが出来る?」
ゴーストの問いかけ。それが答えでもあった。僕が知らないサクの情報を与え、あちこち連れまわした理由だ。分隊員も僕も、サクの次の『Sゼロの擬人化』なる存在、Sゼロと人の融和存在となる候補だったわけだ。
だから、もう、サクはいないのだ。
分かりきっていた事実が、何故か今更に意識に降り注いできていた。何年も前、フェードアウトするようにぼやけた不在状態になってしまったサクという少女が、今こうして彼女の終わりの地を見て、全ての経緯を知って、完全にいないのだと、逃げ場無しの実感が湧き上がっていた。
だというのに、僕の目の前にはサクがいた。サクのゴーストが。SZ196がそのシステムに取り込み、同時にサクにSZ196を取り込ませた存在が。あの頃と変わらぬ危うげな美しさを纏った少女が立っているのだ。
ずっと曖昧にして、記憶の奥底に霧がかかったまま押し込めて放置していた何もかもがそのベールを取り払われ、鮮明さと共に荒れ狂っていた。絶え難い感覚だった。サクはもういない。
だが、それなら目の前のこれは一体誰だ。
「今も、サクはいるのか、君の中に」
僕は声を絞り出した。
「サクはSZ196と一つになっていた。サクの中にはSZ196が存在したし、SZ196の中にはサクが存在した。人間個体としてのサク自身は消えても、SZ196の中のサクは残存してる」
返答が刺さる。サクとSゼロは一体となっていた。SZ196はサクを通して、サクはSZ196を通して一歩先に進もうとしていた。融和していたのだ。サクとSZ196はお互いの中にお互いを住まわせていた。
人間としてのサクは消えて、一方SZ196は今のところ不滅のAIだった。
サク・ゴーストはサクそのものに見えていた。今朝出会った時からずっと。それは実際に、SZ196の中に残ったサクの一部そのものだったからだ。僕にサクの話を聞いたのは他者から、それも深く教えを授かった人間から見たサクを理解するためか。SZの民を監視し管理するSZ196なら直接脳でも精神でも解析すればいいじゃないか、と思いかけて、気付く。目の前のゴーストは僕のための幻影だ。SZシステムが作り出す小さな可変現実だ。それを通して僕は一日かけて、サクと向き合い、理解し、その理解をSZ196と共有した。この行為自体がSZ196による解析そのものだ。
サクは至れなかった。結局最後は自らの現実の苦痛から逃れえず、拮抗できず、いなくなった。
俯きかけた僕の視界にゴーストが入り込む。昔よりもこちらのほうがより上背になったことを今更ながらに実感した。
「私は、その一部は、いまもここにいる。だから、会いにいったんだよ、ツミ。私より、ツミのほうが強いって、そう思ったから」
その、一言で。
これまで何年も押さえ込み、誤魔化し、有耶無耶にして抑圧し、背を向けて無視していた何かが、恐ろしい勢いで解放されたようだった。
ああ、ああ――喉の奥から音声にならない悲鳴が漏れる。
ちがうんだ、と叫び出したかった。
強くなどないのだ、僕はもっと小さくて脆弱で――そして卑劣なのだと。
サクがいなくなったとき。過酷な現実を経験したのだと知ったとき。
戦場で凄惨な光景を旧現実として見る時。幸福な可変現実を離れて粗雑な旧現実を垣間見るとき。
僕は、ほっとしていたのだ。束の間、安らいでいたのだ。
僕はサクと同じ、可変現実に満足できない人間だ。サクは正面からその現実に拮抗しようとした。僕も出来ると言った。だが違う。
僕がこれまで安らいだ瞬間というのは、全て、不幸で悲惨なものを『見下ろした』瞬間だ。
サクは僕を旧現実に連れ出した。現実と拮抗できればそれが一番いいと考えて。僕は表面的にはそれに順応しているかに見えたかもしれない。でも僕は、家に帰る度に可変現実にも帰還していた。
僕にとって、旧現実は、可変現実の幸福を実感するための踏み台だったのだ。
悲惨な境遇にあるものが、自分よりも更に酷い仕打ちを受けている人間を眺めて心を慰めるように。僕は旧現実を踏みつけていたのだ。可変現実という幸福圏に身をおいてそれを時折眺めることで、自分の幸福を強く味わっていたのだ。
どうして、サクの過去の境遇を聞いた時、僕は平穏な気持ちになどなっていたんだ?
どうして、サクが消えた後、僕はちっともぶれずに日常を続けられたんだ?
どうして、兵士になんかなって、より悲惨な光景を見る必要があった?
全部、利用していたからだ。自分の足元の幸福を強く感じるために。
サクは僕を強いという。死を選ばなかったこの僕を。
死を選ばなかった理由は、簡単だ。サクがそうしたからだ。サクが突如消えた、その現実の悲惨さが僕に安らぎを、とびきりの安らぎを与えたからだ。
逃避だけでは満足できない。
可変現実でも満足できない。
Sゼロが与えたこの酩酊の幸福は僕には足らなかった。だから僕は、旧現実を捨てるのではなく、「踏みつけ蹴り付け飛翔する」ことを選んだのだ。
旧現実からの飛翔感、遊離感。その距離感こそが僕を幸福に導く。
最低の塵だ。それが僕だ。
理解する。僕が望んでいたのは、『非』現実だ。可変現実じゃない。ゼロ・リアルの上に築かれる、ゼロ・アンリアル。それこそ僕がずっと望み、安らぎを感じてきた場所だ。
内心にとめどなく流れ来る言葉の群はいつの間にか声になっていた。僕は廃屋の暗がりの中で懺悔のように、あるいは自らを呪う呪言のように言葉を唱えていた。
僕は現実を踏みつけた。踏みつけたのだ。あらゆる幸不幸、そしてサクと共に。
いつの間にか膝を地に着いて呟く僕に、サクが、ゴーストが、手を伸ばす。幻の指が僕の頬に触れる。歪められた現実の触感が僕の皮膚に暖かく柔らかな感覚の火を走らせる。
そうだね、でもさ、とゴーストは囁きかける。
「価値を知っていなければ、踏みつけようなんて、思わないよね?」
その囁きが、僕の退路を塞いだ。
踏みつけてきたのは踏みつけるだけの価値があると知っていたから。その通りだった。
最早、逃げ場は無いのだと絶望的に直感する。
不全感。サクの不在。現実の根源的な問題と辛さ。僕は卑怯な方法で、全てと直面しそれに耐えることを避けてきた。可変現実によって旧現実と直面することを避けたSZの民たちよりさらに進んで、可変現実とも正面から向き合うことを選ばなかった。旧現実と可変現実の間を行き来し、ひたすら一時の安心だけを貪っていた。幸福と不幸の間を都合よく行き来することで幸福の実感だけを貪っていた。
終わりだ。そんな行為はもう通用しない。通用する余地が無い。目を逸らしていたことを言葉として突きつけられてしまっていた。踏みつけていた、悲惨さを含む現実の価値を認めるよりほかにない。
現実からは逃げられない。可変現実であろうと現実からは逃れ得ない。現実と人の間にある問題からは。
助けてくれ、と、懇願するような思いが口から零れた。現実との拮抗の一番槍に、人とSZ196を導く者になど、なれるものか、と。誰か助けてくれ、Sゼロよ、助けてくれ、と。
だが願ったと同時に、何か異質な声が、僕の脳裏に弾けていた。
おまえがSゼロになるんだよ
誰の声でもない、あるいは全ての人の声が混ざったような、不可思議な声だった。SZ196自身の声、もしくはSZの民の共有するシステム全体から発せられる総意としての声かもしれなかった。
「答えを出して。ツミ。あなたの望む次代の酩酊を提示して」
サクの指が、僕の頬の内側に滑り込む。幻が僕の現実に滑り込む。
僕はSZ196のゴースト、サクの亡霊を、身動き一つ出来ずに受け入れる。




