第二章 拾ったものは、捨てられない
エドが排水塔に来てから、十日が過ぎた。
その間に、ロイドは三度、仕事を休んだ。
一度目はエドの足の手当て。二度目は、熱を出したエドを医者に連れていくため。そして三度目は、医者からもらった薬を受け取りに行くためだった。
その結果、三人の蓄えは見事になくなった。
「……銅貨が二枚」
ロイドは机の上に硬貨を並べた。
正確には、机と呼べるほど立派なものではない。廃材置き場から拾ってきた木箱を二つ重ね、その上に板を渡しただけのものだ。
それでも、三人にとっては大事な家具だった。
「二枚もあるじゃない」
ルカが言った。
「二枚しかないんだよ」
「考え方の違いだね」
「その考え方で飯が食えるなら、お前に全部任せる」
「僕は交渉担当であって、奇跡を起こす担当じゃないから」
ロイドは硬貨を指で弾いた。
乾いた音が、排水塔の中に響く。
エドは少し離れた場所に座り、二人のやり取りを見ていた。
足の腫れはほとんど引いている。まだ走るのは難しいが、普通に歩く分には問題ない。顔色も少し良くなり、食事を取るようになってから頬にわずかな肉が戻ってきた。
ただ、食べる量は相変わらず少なかった。
最初の頃は、パンを一つ渡しても半分を残していた。あとで食べるために隠していたのだ。
最近は少しずつ、食事の時に食べきるようになってきた。
それでも、誰かが自分の分を減らしていると、すぐに気づく。
「ロイド」
「何だ」
「ぼく、仕事するよ」
「駄目だ」
「でも」
「足が治ったばかりだ」
「もう痛くない」
「痛くなくても駄目だ」
エドは口を閉じた。
ルカがその様子を見て、少しだけ眉を上げる。
「ロイド、そんなに厳しくしなくてもいいんじゃない?」
「お前が甘やかすからだ」
「僕は優しいだけだよ」
「同じだ」
バルドは鍋をかき混ぜながら、ぽつりと言った。
「……仕事、危ない」
エドはバルドを見た。
バルドは鍋から目を離さない。
「鉄、落ちる。蒸気、熱い」
「でも、ぼくも何かしたい」
「……家で、手伝う」
それだけ言って、バルドは鍋の火を弱めた。
エドは少し考えてから頷いた。
「わかった」
ロイドは硬貨を拾い上げた。
「今日は俺とルカが仕事に出る。バルドはここに残れ」
「……うん」
「エドの様子を見ててくれ」
「わかった」
「昼飯は棚にある豆を使え。全部使うなよ」
「……うん」
「あと、外に出るな」
「うん」
「誰かが来ても、扉を開けるな」
「うん」
エドは真面目な顔で頷いた。
ロイドはその顔を見て、少しだけ安心した。
この子は、言いつけを守る。
守りすぎるくらいに。
それがいいことなのかどうかは、まだわからなかった。
*
仕事場へ向かう途中、ルカは何度もあくびをした。
「眠そうだな」
「昨日、寝るのが遅かったからね」
「何してた」
「髪の手入れ」
「寝ろよ」
「君には美意識というものがないの?」
「生きるので精いっぱいだ」
「だからこそ、身だしなみは大切なんだよ」
ルカは自分の髪を指先で整えた。
煤煙の街では、髪を洗う水も貴重だ。上等な整髪料など買えるはずもない。それでも彼は、拾った小さな鏡を大切に使い、毎朝、髪の乱れを直していた。
ロイドはそんなルカを、最初はただの気取り屋だと思っていた。
今も半分はそう思っている。
ただ、ルカが身なりを気にする理由を、少しだけ知っていた。
この街では、見た目で相手の態度が変わる。
汚れた服を着た子どもは、まともに話を聞いてもらえない。貧しそうな顔をしていれば、値段を安く買い叩かれる。弱そうに見えれば、仕事を押しつけられる。
ルカは、それをよく知っていた。
だから、どんなに貧しくても、髪を整える。
服の襟を直す。
笑顔を作る。
自分を安く見せないために。
「今日の仕事は?」
「古い搬送機の解体だ」
「また鉄くず?」
「使える部品があれば、少しは金になる」
「食べ物になる?」
「なる」
「じゃあ、頑張ろう」
ルカは、ようやく真面目な顔をした。
その日の仕事は、昼過ぎまで続いた。
搬送機の内部には、古い歯車や配線が残っていた。ロイドは機械の構造を確認しながら、使える部品を一つずつ取り外していく。
ルカは外した部品を種類ごとに分け、買い取り業者に渡す準備をしていた。
作業がひと段落した頃、休憩場所の近くで声がした。
「返せよ!」
子どもの声だった。
続いて、何かが地面に落ちる音。
ロイドは顔を上げた。
廃材の山の向こうに、二人の少年がいた。
一人は、年齢のわりに小柄で、赤茶色の髪をしている。着ている服は汚れていたが、目だけは妙に生意気だった。
もう一人は、少し背が高い。
痩せていて、髪は黒い。少年は地面に膝をつき、落ちた袋を拾い集めていた。
「だから、返せって言ってるだろ!」
赤茶色の少年が怒鳴る。
「……お前が先に取った」
「俺のだ!」
「違う」
「うるせえ!」
赤茶色の少年が、黒髪の少年の肩を押した。
黒髪の少年は、抵抗しなかった。
ただ、落ちた袋を拾い続けている。
ロイドは眉を寄せた。
「喧嘩か?」
ルカが覗き込む。
「子ども同士みたいだね」
「放っておくか」
「そうだね。僕たちには関係ないし」
そう言いながら、ルカも二人を見ていた。
赤茶色の少年は、黒髪の少年の袋を奪い取ろうとしていた。
黒髪の少年は、それを両手で押さえている。
「離せよ!」
「……嫌だ」
「俺が見つけたんだ!」
「俺が拾った」
「だから俺のだ!」
「……違う」
その時、赤茶色の少年が袋を強く引っ張った。
袋の口が破れ、中に入っていた小さな金属片が地面に散らばる。
黒髪の少年は、初めて顔を上げた。
「……返せ」
声は小さかった。
けれど、その目にははっきりと怒りがあった。
赤茶色の少年が一瞬だけ怯む。
その隙に、黒髪の少年は散らばった金属片を拾い始めた。
「何だよ、お前!」
赤茶色の少年は、腹立ちまぎれに少年の背中を蹴った。
ロイドは歩き出していた。
「おい」
二人が振り向く。
「何してる」
「関係ねえだろ!」
赤茶色の少年が叫んだ。
「関係ないなら、そこで終わりにしろ」
「こいつが俺のもん盗ったんだ!」
「何を?」
「鉄くず!」
「どれだ」
少年は袋を指差した。
ロイドは地面に散らばった金属片を見た。
古い歯車の欠片や、曲がった銅板。どれも小さなものだが、まとめれば少しの金にはなる。
「これは誰が拾った」
「俺!」
「……俺」
二人の声が重なる。
「じゃあ、二人で拾ったんだろ」
「違う!」
赤茶色の少年が噛みつく。
「俺が先に見つけたんだ!」
「見つけたのはお前でも、拾ったのはそいつだ」
「だから何だよ!」
「自分で拾え」
「もう拾ったんだよ!」
「なら、そいつの分を返せ」
少年は唇を噛んだ。
ロイドは、これ以上話しても無駄だと思った。
「行け」
「覚えてろよ!」
赤茶色の少年は吐き捨てるように言い、走っていった。
黒髪の少年は、その場に残っていた。
ロイドは散らばった金属片を拾い、袋に戻す。
「立てるか」
少年は頷いた。
「怪我は?」
「ない」
「嘘つけ。背中を蹴られてただろ」
「大丈夫」
「そうか」
ロイドは袋を差し出した。
少年は受け取る。
「……ありがとう」
「気をつけろよ」
ロイドはそれだけ言って、仕事場へ戻ろうとした。
だが、ルカが横から口を挟んだ。
「君、名前は?」
少年は答えなかった。
「名前を聞いてるんだけど」
「……リック」
「リックか。何歳?」
「五つ」
ロイドとルカは顔を見合わせた。
五歳。
とてもそうは見えなかった。
少年は痩せていて、頬はこけ、服は大きすぎる。年齢より幼く見えるというより、年齢を感じさせるものが何もなかった。
「一人で仕事してるの?」
ルカが尋ねる。
リックは頷いた。
「誰かと住んでる?」
今度は、首を横に振った。
「……そう」
ルカの声が少しだけ柔らかくなる。
ロイドは、少年の袋を見た。
中には金属片が十個ほど入っている。
五歳の子どもが、これを一人で集めていたのだろう。
「それ、いくらになる?」
「わからない」
「買い取り場所は知ってる?」
「……知らない」
ルカは小さく息を吐いた。
「じゃあ、誰に売るつもりだったの?」
「……売らない」
「売らない?」
「食べ物と、交換する」
ロイドは黙った。
この街には、そういう取引をする人間もいる。
金を持たない子どもから、拾った金属を安く買い叩き、代わりに古いパンや傷んだ食料を渡す。
それでも、何もないよりはましだと思わせる。
「誰と交換するんだ」
「……おじさん」
「どこの?」
「知らない」
ルカがロイドを見る。
その目は、もう答えを知っているようだった。
「ロイド」
「わかってる」
「この子、放っておけないんじゃない?」
「……まだ何も決めてない」
ロイドはリックを見た。
「腹は減ってるか」
リックは少し迷ってから、頷いた。
「食べ物、あるの?」
「ある」
「……いくら?」
「いらない」
リックは、警戒するようにロイドを見た。
「なんで?」
エドと同じ質問だった。
ロイドは少しだけ苦笑した。
「この街の子どもは、みんな同じことを聞くんだな」
ルカが小さく笑った。
「それだけ、ただで何かをもらうことがないんだろうね」
リックは、袋を胸に抱えた。
「……行かない」
「そうか」
ロイドは無理に誘わなかった。
「気が変わったら、旧排水塔に来い。大きな鉄の扉がある建物だ」
リックは何も答えなかった。
ロイドはそのまま仕事場へ戻った。
背中に視線を感じたが、振り返らなかった。
*
その日の帰り、ロイドたちは市場でパンを買った。
エドの分を含めて四つ。
少し余裕があったので、乾燥豆も買った。
「今日の稼ぎ、悪くなかったね」
ルカが紙袋を持ち上げる。
「ああ」
「これなら、しばらくは食べられる」
「しばらくって何日だ」
「二日くらい?」
「それはしばらくじゃない」
「僕の感覚では、十分しばらくだよ」
バルドが袋を覗き込んだ。
「……パン」
「まだ食べないよ」
ルカが言う。
「帰ってから」
「……うん」
排水塔に戻ると、エドが入口で待っていた。
「おかえり」
「ただいま」
ロイドは、思わずそう答えていた。
エドは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ると、ロイドは少しだけ落ち着かない気持ちになる。
帰る場所。
そう呼べるものが、自分たちにもできたのだろうか。
「今日はどうだった?」
ルカが尋ねる。
「布を畳んだ。あと、鍋を洗った」
「偉いね」
「それから、バルドが水をくんできてくれた」
「……うん」
バルドは短く頷いた。
ロイドは買ってきたパンを棚に置いた。
「今日は豆を煮るぞ」
「パンもある?」
「ああ」
エドの顔が明るくなる。
その時、入口の外で小さな物音がした。
ロイドは振り返る。
「誰だ」
返事はない。
扉の隙間から、赤茶色の髪が見えた。
ロイドは外へ出た。
そこには、昼間の少年が立っていた。
「……何だ」
「別に」
「何しに来た」
「通りかかっただけ」
「ここは通り道じゃない」
「うるせえな」
少年はふてくされた顔で、地面を蹴った。
ルカが後ろから顔を出す。
「あら。お客さん?」
「違う」
「そうなの?」
「……聞こえてるぞ」
少年が睨む。
ルカはにっこりと笑った。
「聞こえるように言ったんだよ」
「お前、嫌な奴だな」
「よく言われる」
少年は、排水塔の中を覗いた。
その視線が、棚の上のパンに止まる。
ロイドは気づいていた。
「腹が減ってるのか」
「減ってねえ」
「そうか」
ロイドは扉を閉めようとした。
「待てよ!」
「何だ」
「……ここ、飯食えるの?」
ロイドは少年を見た。
「食える」
「毎日?」
「毎日とは限らない」
「何人で?」
「今は四人だ」
「四人?」
「そうだ」
少年は少し考えた。
「……俺も入れてくれよ」
ロイドは目を細めた。
「名前は?」
「トム」
「何歳だ」
「六つ」
「住む場所は?」
「ねえ」
「家族は?」
トムは答えなかった。
代わりに、顔をそむけた。
ロイドは、それ以上聞かなかった。
「入るなら、勝手に物を持ち出すな。人を殴るな。食べ物を奪うな」
「子ども扱いすんなよ」
「子どもだろ」
「俺は六歳だぞ!」
「十分子どもだ」
ルカが後ろで吹き出した。
トムはロイドを睨みつけた。
「じゃあ、俺は何すればいいんだよ」
「まずは飯を食え」
「……それだけ?」
「それだけだ」
トムは少しだけ迷った。
そして、ゆっくりと排水塔の中へ入ってきた。
エドが、奥から顔を覗かせる。
「こんにちは」
「……誰だよ」
「エド」
「俺はトム」
「うん」
「何だよ」
「何でもない」
エドは笑った。
トムは、その笑顔が気に入らないように顔をしかめた。
「変な奴」
「よく言われるよ」
「誰に?」
「ロイドに」
「……ふうん」
ルカが、わざとらしく咳払いをした。
「これで五人だね」
「まだ決まったわけじゃない」
「またそれ?」
「何だよ」
「君、いつまでそれを言うつもり?」
ロイドは答えなかった。
トムは、棚のパンを見ていた。
バルドが鍋を火にかける。
エドは、トムの隣に座った。
そして、少しだけ距離を空けて、パンの紙袋を置いた。
「一緒に食べよう」
トムは返事をしなかった。
けれど、紙袋から目を離さなかった。
*
翌朝。
トムは、誰よりも早く目を覚ました。
排水塔の中には、まだ朝の光が届いていない。
ロイドは毛布にくるまり、ルカは壁際で寝返りを打っている。バルドはいつものように、横向きで大きな体を丸めていた。
エドは、トムのすぐ隣で眠っていた。
トムはゆっくりと起き上がる。
棚を見る。
そこには、昨日の夜に残ったパンが一つあった。
トムは周囲を見回した。
誰も起きていない。
手を伸ばす。
パンをつかむ。
そして、ポケットに入れようとした。
「何してるの」
小さな声がした。
トムは振り返った。
エドが起きていた。
「……何でもねえよ」
「パン?」
「違う」
「パン、持ってくの?」
「うるせえな」
エドは起き上がり、トムを見た。
「持ってってもいいよ」
「は?」
「お腹すいた時に食べたらいい」
トムは、少しだけ目を見開いた。
「……お前、馬鹿なの?」
「そうかな」
「食べ物なくなるだろ」
「また買えばいいよ」
「買えなかったら?」
「その時は、みんなで考える」
トムは何も言わなかった。
パンをポケットに入れるのをやめ、棚へ戻す。
「……変な奴」
「うん」
「何で笑ってんだよ」
「トムがパンを戻したから」
「戻しただけだろ!」
その声で、ロイドが目を覚ました。
「朝から何だ」
「何でもない!」
トムが叫ぶ。
ロイドは半目で二人を見た。
「うるさい。まだ寝てろ」
「もう朝だよ」
ルカが毛布の中から言った。
「じゃあ起きろ」
「僕はまだ夢の中にいたい」
「勝手にしろ」
バルドがゆっくり起き上がる。
「……飯?」
「まだだ」
「……そう」
いつもの朝だった。
ただ、寝床が少し狭くなっていた。
*
トムが来てから三日目。
リックが排水塔に現れた。
夕方、ロイドが戻ると、入口の前に小さな影が立っていた。
あの日の黒髪の少年だった。
リックはロイドを見ると、すぐに視線を落とした。
「来たのか」
リックは頷いた。
「入るか?」
また頷く。
ロイドは扉を開けた。
中では、トムがエドの持っていた布を引っ張っていた。
「それ、俺が使う!」
「ぼくが畳んだんだよ」
「だから何だよ!」
「使うなら、聞いて」
「うるせえ!」
ルカが二人を見ながら、髪を整えている。
「元気だねえ」
「止めろよ」
ロイドが言う。
「僕が?」
「お前以外に誰がいる」
「僕は交渉担当だよ」
「何でも担当だ」
バルドは鍋をかき混ぜていた。
リックが入ってきたことに気づくと、手を止める。
「……リック」
リックは少し驚いた顔をした。
名前を覚えていたことが意外だったのだろう。
「……こんにちは」
「うん」
トムが振り返った。
「あっ、お前!」
リックの肩が少し強張る。
「何しに来たんだよ」
「……ここに」
「何だよ」
「……住む」
トムは一瞬、言葉を失った。
それからロイドを見た。
「こいつも?」
「そうだ」
「何で?」
「本人が来たからだ」
「俺が先だぞ」
「だから何だ」
「俺の方が先にいたんだから、偉いだろ!」
ルカが笑った。
「なるほど。先に来た人が偉いという制度なんだね」
「そうだ!」
「じゃあ僕が一番偉いね」
「何でだよ!」
「僕はロイドたちより先に、この街にいたから」
「知らねえよ!」
リックは、二人のやり取りを見ていた。
その顔には、まだ警戒が残っている。
ロイドはリックの前にしゃがんだ。
「ここで暮らすなら、約束がある」
リックは頷く。
「食べ物を勝手に持ち出さない。人を殴らない。危ない場所には一人で行かない」
「……うん」
「それから、何かあったら言え」
リックは目を伏せた。
「言わなくてもいい」
「何?」
「……自分で、できる」
ロイドは、少しだけ息を吐いた。
「できないこともある」
「……」
「そういう時は、誰かに頼れ」
リックは答えなかった。
ただ、ゆっくりと頷いた。
「わかった」
その夜、排水塔には六人分の食器が並んだ。
ロイド。
ルカ。
バルド。
エド。
トム。
リック。
鍋の中身は、いつもより薄い豆のスープだった。
それでも、誰も文句を言わなかった。
トムだけは、少しだけ不満そうだった。
「肉は?」
「ない」
「魚は?」
「ない」
「野菜は?」
「豆がある」
「豆は野菜じゃねえ!」
「じゃあ何だよ」
「豆だよ!」
ルカが吹き出した。
「正しいね」
「笑うな!」
エドも笑った。
リックは黙ってスープを飲んでいる。
バルドは、自分のパンを半分に割り、リックの器の横へ置いた。
リックはそれを見た。
「……いいの?」
「うん」
「どうして?」
「食べて」
「でも」
「……食べて」
リックはパンを手に取った。
そして、小さくちぎって口に運ぶ。
その様子を、バルドはじっと見ていた。
ロイドは、鍋の底に残ったスープを器へ分けながら、人数を数えた。
六人。
たった十日ほど前までは、三人だった。
それが今は、六人になっている。
食料は足りない。
寝床も足りない。
明日からの仕事も、増やさなければならない。
それでも、ここにいる子どもたちは、誰も帰る場所を持っていなかった。
ロイドは、空になった鍋を見た。
「……明日、もう一つ鍋を探すか」
「何で?」
ルカが尋ねる。
「人数が増えたからだ」
「そうだね」
「寝床も何とかしないとな」
「そうだね」
「食料も」
「そうだね」
「仕事も増やす」
「そうだね」
ルカは、にこりと笑った。
「忙しくなるね」
「他人事みたいに言うな」
「僕も働くよ」
バルドが言った。
「……俺も」
エドも手を上げた。
「ぼくも手伝う」
「俺も!」
トムが勢いよく言った。
リックは少し迷ってから、頷いた。
「……できることをする」
ロイドは、六人を見回した。
誰も、特別なことを言っているつもりはないのだろう。
ただ、ここにいる。
ここで食べている。
ここで眠ろうとしている。
そのことが、ロイドには少し不思議だった。
「……わかった」
彼は短く答えた。
「無理はするなよ」
*
その夜、ロイドはなかなか眠れなかった。
寝床はさらに狭くなり、トムは寝返りを打つたびに誰かの足を蹴る。エドはそれを気にして何度も目を覚まし、リックは壁際で体を丸めていた。
ルカは、眠りながら何度か文句を言った。
「狭い……」
バルドは、ほとんど動かなかった。
ロイドは天井を見つめていた。
六人。
このままでは、本当に食べていけないかもしれない。
仕事を増やす必要がある。
寝床も作らなければならない。
それに、子どもたちの服も、靴も、薬もいる。
考えることが多すぎた。
それでも、ロイドは思った。
明日の朝、六人分の食事を用意しなければならない。
それは、昨日までとは違う仕事だった。
誰かを食べさせるために働く。
誰かが眠れるように、場所を作る。
誰かが帰ってきた時に、扉を開ける。
そんなことが、自分の生活の中に入り込んできていた。
「ロイド」
暗闇の中から声がした。
ルカだった。
「起きてる?」
「起きてる」
「眠れない?」
「ああ」
「僕も」
少し間が空く。
「大丈夫かな」
ルカの声は、いつもより小さかった。
「何が」
「この先」
ロイドは天井を見たまま答えた。
「大丈夫にするしかないだろ」
「そうだね」
「お前も働け」
「もちろん」
「バルドも頼む」
「……うん」
「子どもたちは、まず食べさせる。仕事はさせない」
「そうだね」
「リックは、まだ俺たちを信用してない」
「うん」
「トムはうるさい」
「うん」
「エドは遠慮しすぎる」
「うん」
ルカが小さく笑った。
「よく見てるね」
「見てないと、やっていけない」
「そっか」
再び静けさが戻る。
しばらくして、ルカが言った。
「ねえ、ロイド」
「何だ」
「僕たち、家族みたいだね」
ロイドは答えなかった。
家族。
その言葉は、彼には少し大きすぎた。
けれど、隣で眠る子どもたちの呼吸を聞いていると、否定する気にもなれなかった。
「……似たようなもんだろ」
ようやく、それだけ言った。
ルカは満足したように、毛布を引き上げた。
「おやすみ、ロイド」
「ああ」
排水塔の外では、夜風が錆びた配管を鳴らしていた。
雲の上には、今日も明るい都市が浮かんでいる。
その下の古い塔では、六人が身を寄せ合って眠っていた。
誰かのために残したパン。
誰かのために空けた寝床。
誰かが帰ってくるのを待つ時間。
そういう小さなものが、少しずつ積み重なっていく。
まだ、ここを家と呼ぶには頼りない。
それでも。
拾ったものは、捨てられない。
ロイドは目を閉じた。
明日は、鍋を探しに行こう。
それから、仕事を増やす。
そして、子どもたちの靴を買わなければならない。
やることは山ほどある。
けれど、そのひとつひとつが、少しだけ悪くないと思えた。




