余韻
——
スースーという小さな寝息と、紙をめくる音だけになった部屋。
キサは記録を書きながら、ナナセの隣で本を読むセレンにチラリと目を向けた。
椅子に座りながら足を組んだ膝の上には、ナナセに使ったらしきタオルが乗ったままになっている。
最初の頃は、この部屋に居るセレンを見ると少し浮いた存在に感じて違和感を覚えていたものだ。
今ではここに居ることが当たり前だというように馴染んでいる彼は、ナナセがもたらした変化のあらわれのひとつなのだろう。
そんなことを考えていると、セレンは視線を感じとったのか、本から顔をあげてキサを見た。
「……なに」
「案外、見慣れるもんだなと思って」
「なにが」
「いや、こっちの話。お前もたまには休め。今日も訓練所にずっと居たんだろ?」
「……今、休んでる」
「まあ……そういうことにしとく」
キサは呆れ半分に小さく笑ってそう言うと、再び手元の記録に目を通しはじめた。
セレンはその様子を少し見つめた後、小さな声で問いかけた。
「キサ、ナナセの容体は?」
「ん?良くはなってるよ。もうしばらくは庭園にも出られるだろうね」
「……もうしばらく?」
「無理やり生かし続けるために入ってた薬物がギリギリ残ってるからね。それが全部抜け切ってからが大変だと思う」
「……なぜ?」
「ナナセに残った元の身体の部分がすごく弱い。何もかも。呪いの類も、完全に治すまで時間がかかる」
「……」
「とはいえ、魔力の回復具合は順調だけどね。妖精としてはいい傾向なんじゃないのかな」
セレンにそう答えると、それ以上の返事はなく、静かに眠るナナセを見つめているだけだった。
——
数時間後。
ナナセは目を覚ますと身体を起こし、小さな背伸びをした。
部屋の中は薄暗くなっていて、あのまま夕方まで眠ってしまっていたことを知る。
ふと椅子に目をやると、セレンの姿はなく、代わりに読んでいた本が置かれたままになっていた。
そっと手を伸ばし、本を手に取る。少し古色を帯び、表題のない本。
(……また忘れて帰ってる)
そう思いながら、この本の所在が1階から2階へ変わっただけになったことに小さく笑う。
表紙をひらりとめくると、異国の民話を集めたような目次が並んでいた。
セレンが部屋で本を読む様子は何度か見ていたが、表題から察するに体術や武術の教本が多く、意外な本の正体に少し驚く。
(こういう本も読むんだ)
先のページの隙間からは、挟まれた栞の端が覗いていて、まだ読み終わっていないようだった。
それはまるで、セレンがまた来ると言っているみたいで、心がふっと軽くなる。
それが嬉しいからなのか、寂しさからなのか、ナナセにはまだ分からないままだった。




