花の香りと
——
「運んでくれてありがとう」
ナナセは、セレンにゆっくり下ろされながらお礼を言うと、ベッドの縁へ座った。
「濡れたところ、拭く」
セレンはナナセの前へ向かい合うように屈むと、流れるように部屋にあったタオルを広げた。
タオル越しにセレンの手がナナセの足や服の裾を包み、小さな水滴をそっと拭き取っていく。
「……自分でできるのに」
「別にいい」
小さな子供になったようで、ナナセは少し恥ずかしそうに目を伏せていた。
そうして、拭き終えたセレンが立ち上がり、ベッドの側にある椅子へ腰掛けようとした時だった。
立ち上がった拍子に起きた小さな風から、ふわりと花の香りが舞い上がった。
「……セレンって、お花の香りがするね」
「……花?」
「うん。いい香り」
「……初めて言われた」
「庭園を通ったからかな」
「……たぶんな」
セレンは一瞬驚いた様子をみせたが、少しだけはぐらかすように答えると椅子に腰かけた。
——
丁度そんな会話をしていた時。
薬といくつかの書類を持ったキサが部屋の扉を開けた。
「うん、このぐらいの外出なら今後も問題なさそうだね。じゃあ、点滴を元に戻すよ」
キサはナナセの顔色をみてそう言うと、慣れた手つきで点滴を準備し始める。
自分に薬が入れられる所を見るのは、相手がキサとはいえ、まだ少しだけ怖かった。
プツ、と針が刺さる瞬間身体がこわばり、きゅっと目を閉じる。
暗い記憶を忘れて楽しんでいた時間など無かったように、過去から続く現実に引き戻されたようだった。
「……ごめんね。もうしばらくこの生活は続きそう」
キサは何ひとつ悪くないのに、こうして投薬をするたびに謝ってくる。
勝手にキサを怖がる自分の身体に、申し訳なさを覚えた。
「ううん……いつもありがとう」
「また調子がいいときに、庭園にいこう」
「……うん」
ナナセはそう返事をしながら、座るのをやめてベッドへ入った。
久しぶりに外を歩いたせいか、身体は思ったよりも疲れていて、自然と全身の力が抜ける。
体温で温まりはじめた布団の中へ身体を預けると、そのまますぐに眠気を誘いだした。
「セレン、本。……読んでいくんだろ?お前、前回1階に忘れて帰ってたぞ」
キサがセレンに話しかけて本を渡している声が、少し遠く感じる。
キサはウトウトしているナナセに気付いて微笑むと、視線を書類に落とし記録を書きだした。
セレンは椅子に座ったまま、受け取った本を静かに広げ始める。
「……まだ居てくれるの?」
「あぁ。眠るまでここに居る」
「うん…………」
返事をする頃には、ナナセはすでに眠そうな声でゆっくりと目を閉じていた。
「……ナナセ、おやすみ」
その様子を見ていたセレンは、ふっと口元を緩めると小さな声で話しかけた。
セレンに返事をする間もなく、ナナセはすでに眠りについていて、一定の呼吸音だけが聞こえていた。




