第38話 聖女を呼ぶための条件
ミレーネを呼ぶ。
その方針が防衛区全体へ共有された瞬間、空気は少しだけ変わった。
リュミエル召喚の時は、“火力を増やす”という分かりやすさがあった。
セレフィア召喚の時は、“最前線を切り裂く剣を呼ぶ”という即効性があった。
だがミレーネは違う。
彼女が来ることで変わるのは、一撃の派手さではない。
防衛区そのものの持久力。
兵の継戦能力。
負傷者の回復速度。
精神の消耗。
境界汚染への耐性。
つまり、“ここから先へ行くために死なない形”そのものだ。
終末日本の地下防衛区にとって、それは火力以上に重い意味を持っていた。
「じゃあ問題は一つね」
技術分析区画の中央机に資料を広げながら、榊原玲奈が言った。
「何が必要か、よ」
「また素材集めか」
木村三曹が露骨に嫌そうな顔をする。
「半分は」
玲奈があっさり頷く。
「でも前回までと少し違う」
「違う?」
雫が首を傾げる。
「ミレーネは、リュミエルほど“遠くに引っ張る知性核”じゃないし、セレフィアほど“強い一本の縁”でもない」
「言い方が抽象的だな」
恒一が言う。
「抽象的な話をしてるの」
玲奈は端末を回し、皆へ見せた。
「ミレーネを安定して呼ぶには、高純度コアだけじゃ足りない。“清浄な媒体”が必要」
リュミエルが横から補足する。
「要するに、汚れた針だけじゃ聖女は引けないってこと」
「それ、かなり分かりやすいな」
恒一が言う。
「でしょう」
リュミエルは少しだけ得意げだった。
「高純度コアは、確かに境界へ届く。でも敵由来の歪みが濃い。ミレーネみたいな子を呼ぶなら、そこへ“浄化側の足場”を足さないと嫌がるわ」
「嫌がるって」
雫が言う。
「人間みたいに言うね」
「人間よ」
セレフィアが真顔で言った。
「しかもかなり繊細です」
「繊細……」
木村三曹が少し嫌な予感のする顔になる。
「それ、戦場向きなのか?」
「戦場向きだからこそ、汚れに敏いのです」
セレフィアは答える。
「穢れたもの、傷んだもの、壊れかけたものに気づく力が強い。だから、呼ぶ側もそれなりに整えないといけません」
「……なるほど」
真田一佐が低く言う。
「つまり今回必要なのは」
「敵コアに触れる“強い針”と、それを中和する“清い土台”」
玲奈がまとめた。
「言い換えれば、異世界側アンカーの強化と、防衛区側の浄化陣」
会議卓の空気が締まる。
また難題だ。
だが前回までのように“足りないから無理”ではない。
今回は条件が見えているぶん、対処の道筋もある。
「清い土台って、具体的には?」
恒一が聞く。
セレフィアが少し考えてから言った。
「ミレーネの聖印に近いもの」
「あるのか、こっちに」
「完全に同じものはありません」
彼女は首を振る。
「ですが、代用は可能かもしれません」
「どうやって」
「人の祈りです」
静かな答えだった。
雫が目を瞬かせる。
「祈り?」
「はい」
セレフィアは頷く。
「聖女の術式は、土地や物質だけでなく、“人がそこへ何を託したか”に強く反応することがあります」
「うわ、めちゃくちゃ宗教っぽくなってきた」
玲奈が眉を上げる。
「でも、理屈としては嫌いじゃない」
「博士、その言い方だと何でも実験っぽくなる」
雫が言う。
「実際、検証対象だもの」
「ぶれないなあ……」
リュミエルは机へ指を軽く打ちつけた。
「防衛区には条件がある」
「条件?」
木村三曹が聞く。
「ここは人が必死で生き延びてる場所。守りたいものがある。祈りも願いも、嫌というほど積もってる」
「それが土台になる?」
恒一が聞く。
「なる可能性は高い」
リュミエルが答える。
「少なくとも、“ただの綺麗な場所”よりよほどマシ」
「皮肉だな」
「事実よ」
真田一佐は腕を組み、しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「つまり、防衛区そのものを召喚基盤にする」
「ええ」
玲奈が頷く。
「搬入口区画だけじゃなく、地下全体の一部を使う感じになるかも」
「規模がでかいな」
「ミレーネ級なら、そのくらいした方が安定する」
恒一は深く息を吐いた。
また派手なことになる。
だが、ここまで来ればもう驚くことでもない。
異世界の仲間を呼ぶたびに、防衛区は少しずつただの避難拠点ではなく、“世界をまたぐ前線基地”みたいなものへ変わっていっている。
「……問題はもう一つある」
玲奈が言った。
全員の視線が向く。
「ミレーネの召喚、条件的にはいける。でも」
「でも?」
雫が聞く。
「今の防衛区、汚れすぎてる」
「言い方」
木村三曹が顔をしかめる。
「物理的にも、魔力的にも、精神的にも」
玲奈は指を折りながら言う。
「敵残骸の持ち込み、別働隊の侵入、中心部偵察帰りの境界ノイズ、負傷者の増加。全部がじわじわ溜まってる」
「つまり?」
恒一が問う。
「一度、防衛区を掃除しないと無理」
玲奈はきっぱり言った。
「掃除って」
雫がまた顔をしかめる。
「ただの清掃じゃなくて?」
「もちろんそれもやる」
玲奈は真面目だった。
「でも、もっと広い意味で。“ここを聖女が降りてもいい場所にする”ための準備が必要」
「……」
「戦場のくせに贅沢だな、って顔してるわね」
「少し」
木村三曹が答える。
「でも必要なんだろ」
「必要」
玲奈は頷く。
「そして多分、やる価値もある。ミレーネが来たあとも、防衛区の状態そのものは彼女の力に影響するから」
そこで、セレフィアが静かに言った。
「なら、皆へ伝えましょう」
「皆?」
恒一が聞く。
「はい」
彼女は当然のように答える。
「ここを守る兵。ここで生きる民。皆が少しずつ手を貸せば、それは単なる掃除ではなく“迎える準備”になります」
「迎える準備……」
雫が小さく繰り返す。
「ええ」
セレフィアは頷いた。
「ミレーネは、そういうものに応える子です」
その言葉を聞いて、恒一の中で少し像がはっきりした。
敵中枢攻略のための聖女召喚。
その準備として、防衛区全体を“少しでもまともな場所”へ戻す。
ただの儀式ではない。
この終末世界で生きている人たちの手で、次の仲間を迎えるための基盤を整える。
「……悪くないな」
恒一が言うと、玲奈が目を細めた。
「珍しくロマン寄りの感想ね」
「ロマンというか」
恒一は少しだけ苦笑する。
「この防衛区の人たちが、自分たちで次の切り札を呼ぶって形は、嫌いじゃない」
「私も」
雫が言った。
「ただ待ってるだけより、ちょっといい」
「ちょっとどころか、かなり大事よ」
玲奈が言う。
「防衛区の士気にも直結する」
真田一佐はそこでようやく頷いた。
「分かった」
一佐の声は低く、よく通る。
「ミレーネ召喚準備に入る。内容は三つ」
その一言で、全員の意識が揃う。
「第一に、召喚媒体の調整。第二に、防衛区の浄化と再編。第三に、中心部攻略を見据えた戦力の再配置」
「了解」
木村三曹が言う。
「防衛区全体へ通達するか?」
「する」
一佐は即答した。
「ただし、“聖女を呼ぶため掃除をしろ”とだけ言えば混乱する」
「そりゃそうだ」
恒一が言う。
「言い方は考える」
「大事ね」
玲奈が頷く。
「すごく」
その場で簡単な役割分担も決まった。
玲奈とリュミエルは召喚陣の再設計。
セレフィアは防衛区内の聖印配置と、兵側への説明補助。
木村三曹は物理的な区画整理と不要残骸の搬出。
雫は民間区画側の調整と、避難民への周知。
恒一はその全部の中心で、媒介調整と全体の魔力接続を担う。
「忙しいな」
恒一が言う。
「いつも通りよ」
玲奈が返す。
「嫌な意味でな」
「今さら」
会議が一区切りしたあと、雫が恒一の横へ来て、小さく聞いた。
「ミレーネさんって、どんな人?」
「優しい」
恒一は即答した。
「優しい?」
「すごく」
「へえ」
「でも、その優しさが一番強いタイプだな」
「……何か、ちょっと分かる気がする」
雫は言った。
「セレフィアさんともリュミエルさんとも違う感じ?」
「全然違う」
「また濃い人が増えるんだ」
「まあな」
「天城さんの周り、ほんとにどうなってるの」
「俺も時々そう思う」
その少し向こうでは、セレフィアとリュミエルが早速言い合いを始めていた。
「だから、外周に聖印を置くならこの順番です」
「それだと浄化は強いけど、召喚の引き込みが弱いのよ」
「ならば内周を――」
「内周に寄せすぎると高純度コアの歪みを吸うでしょ」
「……」
「はい、そこで黙るなら私が正しい」
「少し腹が立ちます」
「知ってる」
玲奈がその横で、楽しそうにメモを取っている。
「いいわねえ」
「博士、その顔さっきからずっとそれ」
雫が言う。
「だって面白いんだもの」
「ほんとにぶれないなこの人」
だが、その喧騒の底には確かな前進があった。
中心部偵察で、敵の心臓に近い入口は見つけた。
敵は“帰還個体”を認識していた。
だから次に必要なのは、そこへ潜るための支えだ。
聖女ミレーネ。
彼女を呼ぶ条件が、ようやく具体的な形を持ち始めた。
「コーイチ」
セレフィアが振り返る。
「何だ」
「動きますよ」
「今すぐか」
「今すぐです」
「休ませる気ないな」
「終末戦争ですので」
横からリュミエルが言った。
「お前までそれ言うのか」
「便利な言葉ね」
「腹立つなあ……」
それでも恒一は立ち上がった。
ここから先は、聖女を迎えるための準備だ。
そしてその準備は、そのまま敵中枢攻略の前哨になる。
防衛区全体が、少しずつ“次の段階”へ形を変え始めていた。




