第35話 帰還者を待つ都市
高層廃墟に潜む観測特化個体を確認してから、一行の動きはさらに慎重になった。
東京中心部の空気は、もはや“静か”ではなかった。
無音のまま、常にこちらへ何かが触れてくるような感覚がある。
視線。
観測。
計測。
それもただ敵兵に見られている、という程度ではない。もっと奥で、もっと長い目で、“ここへ来た者そのもの”を見られている感じ。
「……嫌だな」
雫が小さく言った。
「今さらだけど」
「今さらだからこそ嫌なのよ」
リュミエルが前方のビル影を睨んだまま答える。
「見られている、って分かってからの方が余計にね」
一行は、高層エリアのさらに内側へ入っていた。
地上の大通りは広く、遮蔽物は少ない。
だから今は、崩れた複合施設の裏手を縫うように進んでいる。搬入口、非常階段、壁面の亀裂、倒れた案内板、地下へ続く半壊シャッター。そういう“人間が作った隙間”だけを拾っていく移動だ。
雫の土地勘と、木村三曹の現代戦的なルート判断、リュミエルの索敵、セレフィアの近接警戒。
その全部が噛み合って、ようやく成り立つ進み方だった。
恒一は最後尾寄りで、常に背中側の気配を拾っていた。
前に出たい気持ちはある。
だが今日は偵察であり、隊として動かなければ意味がない。
真田一佐にも、セレフィアにも、雫にまで念押しされた以上、単独で飛び出すわけにはいかなかった。
「止まって」
今度は木村三曹が小さく手を上げた。
全員が反射でしゃがみ込む。
前方、半壊した高層オフィスビルのエントランス跡。
そこに、また観測特化個体がいた。
だが今度は、前話で見たような壁面張り付き型ではない。
人型に近いシルエット。細長い胴体。腕の代わりに複数のセンサーフレーム。頭部はなく、胸の位置に赤い複眼が埋め込まれている。
それが、崩れた受付カウンターの向こうでじっと動かない。
「また眼か」
恒一が低く言う。
「ええ」
リュミエルが答える。
「しかも、前のより“人間の動線”寄りにいる」
「待ってたってこと?」
雫が聞く。
「多分ね」
彼女は短く言った。
その時、リュミエルの表情が変わった。
「……ちょっと」
「何だ」
恒一が聞く。
彼女は複眼個体を指差した。
「胸の下、見える?」
「下?」
雫が目を細める。
「なんか……板?」
「記録ユニット」
リュミエルが即答する。
「しかも外部抜き出し型」
木村三曹が顔をしかめる。
「取れるのか」
「壊さずに落とせば」
リュミエルが言う。
「でも失敗したら周囲に飛ぶわ」
「回収したいな」
恒一が言う。
「かなり」
「同感」
木村三曹も頷いた。
「ここまでの観測特化個体なら、持ち帰る価値は高い」
「なら」
セレフィアが静かに言う。
「私がやります」
「行けるか?」
恒一が聞く。
「騒がせずに落とせばいいのでしょう」
「まあ、そうだな」
「なら容易いです」
その言い方が頼もしすぎる。
セレフィアは音もなく一歩、また一歩と前へ出た。
高層廃墟の薄暗がりの中、金髪と軽装鎧は本来なら目立つはずなのに、不思議と輪郭が街へ溶けているように見える。
彼女は異世界の騎士姫であると同時に、最前線で何度も潜り抜けてきた戦士でもあった。
複眼個体が、まだ動かない。
観測に徹している。
あるいは、侵入者がここまで来ること自体を予定通りと見ている。
セレフィアの手が剣へかかる。
抜く。
光を散らさないように、最小限で。
次の瞬間、銀の一線だけが走った。
複眼個体の胸下ユニットが、綺麗に切り離される。
個体本体は一瞬だけ赤を明滅させたが、セレフィアは返す動きでもう一太刀。
複眼の中央を貫き、完全に沈黙させた。
「すご……」
雫が思わず漏らす。
「言ったでしょう」
リュミエルが当然のように言う。
「こういう時のセレフィアは雑に強いの」
「雑にって何ですか」
戻ってきたセレフィアが少しだけ不服そうに言う。
「褒めてるのよ」
「なら問題ありません」
木村三曹がすぐに切り離されたユニットを拾い、ケースへ収めた。
玲奈がここにいたら絶対に飛びついただろうな、と恒一は思う。
「中身は帰ってからだな」
木村三曹が言う。
「いや」
リュミエルがケースを軽く叩く。
「今ここで少しだけ見る」
「危なくないか」
「危ないから少しだけ」
その返答は全然安心できなかったが、彼女はもう小型の展開式術布を広げていた。
その上に、回収したユニットを置く。
指先で術式を走らせると、赤い複眼の残光が一度だけ揺れる。
「……やっぱり」
リュミエルが呟く。
「何が」
恒一が訊く。
彼女は、目を細めたままユニット内部の記録層を指した。
「観測内容そのものより、ラベルが嫌」
「ラベル?」
木村三曹が覗き込む。
「ほら、ここ」
彼女が術式で浮かび上がらせたのは、乱れた記号列だった。
人間の言葉ではない。機械の識別コードのようにも見える。だが、既視感がある。
恒一の背筋が、ひやりとした。
「……これ」
「分かる?」
リュミエルが聞く。
「単語じゃない。でも分類の癖が、前に見た高位個体ログと似てる」
「ええ」
彼女は頷く。
「で、その中に、これがある」
術式光が、ある一列だけを強調した。
帰還個体
そう読める、と恒一は直感した。
正確な翻訳ではない。だが、意味としてはそれしかないと分かる。
「……おい」
木村三曹の声が低くなる。
「それ、まさか」
「そう」
リュミエルが言った。
「敵は、コーイチを“ただの強敵”として見てない」
「……」
「“帰ってきたもの”として見てる」
雫が、ゆっくり恒一を振り返る。
「それって」
「まだ確定じゃない」
恒一はすぐに言った。
だが声が少し硬いのを、自分でも感じた。
「でも、かなり近い」
「ええ」
リュミエルは容赦なく頷く。
「しかも、そのラベル、観測対象の優先順位が高い位置にある」
「優先観測対象ってことか」
木村三曹が言う。
「そういうこと」
「……最悪だな」
「ええ」
セレフィアが静かに一歩、恒一の側へ寄った。
「コーイチ」
「分かってる」
「本当に?」
「……分かってる、けど」
そこで言葉が少し詰まる。
敵が自分を見ている。
それは前から分かっていた。
だが、“異世界戦力の一人”としてではなく、
“帰還者”として。
もっと言えば、帰還したこと自体に意味がある個体として見られているなら、話が変わる。
自分の異世界転移。
帰還のタイミング。
終末日本。
敵コアに混じる境界痕。
全部が、ただの偶然ではなく、もっと根の深い線で結ばれている可能性が出てくる。
「つまり」
雫が、少し震える声で言った。
「天城さんがここに戻ってきたこと、敵は“来るはずのなかったもの”って見てるんじゃなくて……」
「来るかもしれないもの、として見ていた可能性がある」
リュミエルが言葉を継いだ。
「少なくとも“偶発的な異常現象”では済ませてない」
木村三曹が小さく舌打ちする。
「面倒の質が変わったな」
「元から面倒だったけど、さらにね」
リュミエルが返す。
「敵中枢は、コーイチの帰還そのものに興味を持ってる」
「興味、って言い方が嫌だな」
恒一が言う。
「実際そうでしょ」
リュミエルは淡々としている。
「観測対象。分析対象。優先度高め。つまり、“帰還賢者”がこの戦争にどう絡むか、向こうも知りたがってる」
「……」
セレフィアの目が静かに怒っていた。
「無礼ですね」
彼女が低く言う。
「コーイチを、ただの観測物のように扱うとは」
「同感」
リュミエルが即答した。
「でも感情で怒るだけじゃ足りない。これ、かなり大事な情報よ」
「ええ」
セレフィアも頷く。
「だからこそ、不快です」
その時、複眼ユニットの奥で、別の記録断片がちらついた。
「待って」
リュミエルが指を止める。
「まだある」
「何だ」
恒一が身を乗り出す。
術式の光が、さらに深い記録層をなぞる。
断片的な記号。
崩れた識別列。
だが、その中にひとつだけ、繰り返し出る指標があった。
「……搬送路」
木村三曹が眉をひそめる。
「何?」
雫が聞く。
「完全には読めないけど」
リュミエルが言う。
「中心部地下へ繋がる移動経路に、何か重点を置いてる記録」
「地下……」
恒一が呟く。
敵中枢候補が地下深部に近いかもしれない、という話は前にも出ていた。
そして家族の避難ハブ記録にも、地下設備側の異常反応が混ざっていた。
ここに来て、その線がまた強くなる。
「やっぱり、地下か」
恒一が低く言う。
「ええ」
リュミエルは頷いた。
「少なくとも、この都市の“心臓”は地上の見えるところにはなさそう」
「となると」
木村三曹が周囲を見回す。
「今日はここまでか?」
「……そうね」
リュミエルは少し考えたあと、珍しく素直に認めた。
「これ以上は深く入りすぎる。観測個体の回収と、帰還個体ラベルの確認だけでも十分大きい」
雫が小さく息を吐いた。
「じゃあ戻る?」
「戻る前に、もう一つだけ」
恒一が言う。
「何?」
「周辺の地下入口を一つだけ見たい」
「またそれ」
木村三曹がすぐに顔をしかめる。
「言うと思った」
「でも」
恒一は真剣だった。
「帰還個体ラベルと地下搬送路の強調が出たなら、入り口だけでも見ておきたい」
「深追いしない?」
雫が聞く。
「しない」
「本当に?」
「……する気はない」
「その間が嫌なんだよ」
木村三曹が言った。
だが、リュミエルは少しだけ考えてから、頷いた。
「入口だけなら賛成」
「おい」
「ここで引くと、次に来た時また一から距離を測ることになる」
彼女は冷静に言う。
「入り口の位置、術式汚染の濃さ、周辺観測密度。それだけでも見て帰る価値はある」
「……」
「もちろん、深追いはしない」
「お前まで同じ台詞を言うと逆に怖い」
木村三曹が呻く。
セレフィアは恒一の顔を見て、それから小さく頷いた。
「入口だけ」
「分かってる」
「なら行きましょう」
「ほんとに、自然に前へ行くんだよなあ……」
雫が呆れたように言う。
そうして、一行は再び高層廃墟の影へ溶け込んだ。
観測特化個体から得た“帰還個体”の記録は、もはや敵と恒一の関係が偶然ではない可能性を濃く示していた。
この都市は、ただ侵入者を待つ都市ではない。
帰還した恒一を、何かとして認識し、観測し、あるいは待っている都市なのかもしれない。
終末東京は、ますます気味の悪い意味を持ち始めていた。




