第33話 終末東京、中心部へ
出発は、夜明けと朝のあいだだった。
空はまだ薄暗く、東の端だけが鈍く白んでいる。
新宿外縁線の上空には、昨日までと同じように高高度の観測ドローンが点のように浮かんでいたが、完全な昼でも完全な夜でもないこの時間帯は、敵の観測網にもわずかな継ぎ目が生まれる。
少なくとも玲奈とリュミエルはそう判断した。
「今が一番マシ」
玲奈が搬入口の脇で言う。
「安全とは言ってないけど」
「でしょうね」
木村三曹が即答する。
「お前が“マシ”って言う時は大抵ひどい」
「でも事実でしょ」
「否定できねえのが腹立つ」
偵察隊の編成は、結局こうなった。
天城恒一。
セレフィア。
リュミエル。
木村三曹。
三崎雫。
真田一佐は最後まで藤堂を悩ませたが、結論は変わらなかった。
今回は“見て帰る”ことが最優先であり、少数精鋭でなければならない。中途半端な怪我人を抱える余裕はない。
藤堂本人は不満そうだったが、最後には黙って送り出す側へ回った。
その顔が少し悔しそうだったのを、恒一は見ないふりをした。
「持ち物、最終確認」
木村三曹が言う。
「通信は最低限。長話はしない。観測されたと思ったら即切る。撤退判断は俺と天城で即決する」
「了解」
恒一が頷く。
「術式面は?」
玲奈がリュミエルを見る。
「広域は封印」
リュミエルが答える。
「本当に必要になるまで撃たない。索敵、認識補助、遮蔽術、あと緊急退避用の位相ずらしまで」
「位相ずらし?」
雫が少し不安そうに聞く。
「簡単に言えば、“一瞬だけ嫌な位置から消える術”」
リュミエルが説明する。
「ただし、この世界だと長くは持たないし、境界汚染が濃いと逆に危ない」
「さらっと怖いこと混ぜるのやめてほしいな……」
「怖いから言ってるの」
「ですよね」
セレフィアはすでに聖剣を背に収め、軽装鎧の上へ防衛区支給の防弾ジャケットを重ねていた。
異世界の騎士装備と現代日本の実用装備が混ざった、何とも言えない見た目だ。だが本人は一切気にしていない。
「コーイチ」
「ん?」
「今日の目的は偵察です」
「分かってる」
「見つけても、斬るべきでないものがあります」
「……」
「分かっていますか?」
「分かってる」
恒一は少し苦笑した。
「今日は“敵中枢っぽい何かが見えても突っ込まない”日だろ」
「ええ」
「そこまで言葉にすると、逆に自信なくなるな」
「では、何度でも言います」
「勘弁してくれ」
雫がそのやり取りを横で見て、ぼそっと言う。
「ほんと、天城さんって見張られてるよね」
「異世界でも昔からああなの?」
玲奈が聞く。
「そうだよ」
リュミエルが答えた。
「放っておくと、自分が一番危ない場所へ行く」
「だから見張る必要があるのです」
セレフィアが当然のように続ける。
「……自然すぎて何も言えなくなるな」
雫が半眼になる。
真田一佐が最後に、全員を見回した。
「繰り返す」
一佐の声は低く、よく通る。
「今回は攻略ではない。中心部を見て、帰ってくる。それ以上を欲張るな」
「了解」
「敵中枢を見つけても、家族の痕跡を見つけても、単独行動はするな」
「……」
一瞬だけ、恒一が目を逸らした。
「おい」
「分かってますよ」
「本当に?」
雫がすぐ横から刺す。
「お前まで言うのか」
「言うよ。今の間で信用落ちたし」
「ひどい」
「事実です」
セレフィアが重ねた。
「追撃しなくていいんだよそこ!」
それでも、出発の空気は少しだけ和らいだ。
終末日本での偵察任務。
敵が待っているかもしれない東京中心部。
家族の痕跡があるかもしれない場所。
その重さを抱えたままでも、こうして軽口を交わせるのは悪くない。
「じゃあ」
玲奈が一歩下がる。
「行ってらっしゃい」
「……お前、やっぱり来ないのか」
恒一が言う。
「行きたいわよ」
玲奈は即答した。
「でも行かない。技術中枢が空になる方がまずいから」
「珍しく理性的だな」
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「悔しそう」
「それはまあ悔しいわよ!」
その玲奈の顔を見て、恒一は少し笑った。
そして、偵察隊は動き出した。
新宿外縁線を抜け、最初に入ったのは、かつてオフィス街だった区域の外れだ。
朝とも昼ともつかない薄明かりの中で、ビル群は黒い影の柱になっていた。
窓はほとんど割れ、看板は落ち、道路には放置車両の骨組みと崩れた外壁材が散乱している。
遠くの高層エリアほど建物密度が増し、空が細く削られていくのが見えた。
「ここから先、空気変わるよ」
雫が先頭を歩きながら言う。
「変わる?」
恒一が聞く。
「生活の匂いが消える」
雫は短く答えた。
「外縁はまだ、人が生きてる感じが残ってる。でも中心部寄りは違う。ほんとに“街の死体”って感じ」
その表現は、やけにしっくりきた。
今歩いている区域にも、人の痕跡はある。
落ちた自転車。
壁に貼られた避難誘導紙。
店舗の割れたガラス越しに見える、倒れた棚。
だが少し進むごとに、それが減っていく。
代わりに増えるのは、敵の痕跡だ。
道路の焦げ。
機械脚の穿孔跡。
高層ビル壁面の奇妙な削れ。
そして、時々見つかる赤黒い結晶のごく小さな欠片。
「止まって」
リュミエルが言った。
一行が足を止める。
彼女は目を閉じ、片手を前へ出す。
青紫の細い糸のような魔力が指先から伸び、空気中へ散った。
「……上空に三。地上巡回二。地下寄りに一つ」
「こっち見てる?」
木村三曹が聞く。
「まだ直接ではない」
リュミエルは目を開けた。
「でも、この辺からかなり観測密度が上がってる」
「やっぱり中心部に近づいてるんだな」
恒一が低く言う。
セレフィアは周囲のビル群を見上げた。
「高いですね」
「今さら?」
雫が少しだけ笑う。
「うちの世界にも高い塔はあります」
セレフィアが真面目に答える。
「ですが、これほど“空を削る壁”のような建物は少ない」
「しかも全部死んでる」
雫が言う。
「電気も人もいないのに、箱だけ立ってる」
「……不気味ですね」
「うん」
雫は頷いた。
「だから私、中心部あんまり好きじゃない」
移動は慎重だった。
高架下。
地下搬送路の入口。
崩れた歩道橋の影。
使える遮蔽を拾いながら、なるべく“空に見られない線”を選んで進む。
木村三曹は時々、立ち止まっては周辺へ小型センサーを置いていく。
敵に追われた時の簡易察知用らしい。
リュミエルは無線のノイズと空気の揺らぎを測り、セレフィアは近接域の待ち伏せを警戒する。
恒一は、その全部の間を埋めるように気配を読む。
パーティーとしての噛み合いは悪くない。
むしろ、異世界の仲間と現代側の人間が混ざっているわりに、よくまとまっていた。
「何か」
木村三曹が小さく言う。
「この編成、胃が痛いけど強いな」
「褒めてる?」
リュミエルが聞く。
「半分」
「残り半分は?」
「責任が重い」
「それはそうね」
進むほどに、通信が怪しくなっていく。
防衛区との定期連絡は入る。
だが雑音が増え、言葉の頭が途切れ始める。
機械的なノイズではない。もっと嫌な、空気の奥で何かが擦れるような乱れ方だ。
「これ」
雫が耳を押さえる。
「普通の電波障害とちょっと違う」
「境界汚染に近いわね」
リュミエルが言う。
「この世界の通信が、向こう側に少し噛まれてる感じ」
「分かりやすく言って」
恒一が言う。
「空気が気持ち悪い」
「それなら分かる」
中心部へ近づくほど、その“気持ち悪さ”は増した。
景色もおかしい。
高層ビル群が近づき、道幅は急に広くなったり狭くなったりする。
大交差点の残骸には、信号も横断歩道もあるのに、そこを横切るべき人の気配が一切ない。
道路の中央には、巨大な機械搬送の跡が残り、信じられないほど重いものが何度も通ったことだけが分かる。
「……うわ」
雫が思わず声を漏らした。
「ここ、前よりひどくなってる」
「来たことあるのか」
恒一が聞く。
「端っこだけ」
彼女は答える。
「でも、こんな“何もない感じ”じゃなかった。もっと……壊れた街、って感じだった」
「今は?」
「街じゃない」
雫は少し震える声で言う。
「なんかもう、“敵のための空間”みたい」
その表現に、全員が無言で同意していた。
人間の都市だったものが、人間のための場所でなくなりつつある。
それが、ここまで来るとはっきり伝わってくる。
「止まって」
今度はセレフィアが言った。
一行がすぐに身を低くする。
前方、高層ビルの谷間になった広い道路の先。
そこに、通常個体とは明らかに違う反応があった。
人型でも四脚でもない。
細長い。
高所にいる。
だが戦うための構えではない。
「……見られてるな」
恒一が低く言う。
崩れたビルの中腹。
割れた外壁の陰に、細い赤い単眼が一つ。
こちらを正面から狙うでもなく、ただじっと“見ている”。
「観測特化個体か」
木村三曹が顔をしかめる。
「多分」
リュミエルが答えた。
「兵士じゃない。目ね」
「目?」
雫が小さく復唱する。
「ええ」
リュミエルはその赤い点を睨んだ。
「戦うより先に、記録するための個体。こういうのがいると、いよいよ気持ち悪いわ」
だが今は、撃たない。
偵察が主目的だ。
こちらから派手に火を入れれば、以後のルート全部が死ぬ。
「行く」
恒一が言う。
「無視するの?」
雫が聞く。
「見られてるのはもう前提だ」
木村三曹が答えた。
「ここで撃ったら“いました”って大声で言うようなもんだ」
「……そっか」
「ただし」
セレフィアが静かに付け加える。
「見られていることは忘れないでください」
「分かってる」
一行はさらに中心部へ進んだ。
かつて人で埋まっていたであろう巨大交差点。
崩れた高層商業施設。
地上と地下を繋ぐ大階段。
そして、遠くに見え始める、異様に高いビル群。
そこへ近づくほど、空気が重い。
ただの静寂ではない。
見えない圧力。
無音のざわめき。
リュミエルが言っていた“気持ち悪さ”が、街全体へ薄く染み込んでいる。
「ここから先」
リュミエルが呟いた。
「空気そのものがおかしい」
その言葉で、第33話は終わりを迎える。
偵察隊はついに、東京中心部の“本当に嫌な領域”へ足を踏み入れ始めたのだ。




